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非常口の点滅ランプ


他人が大切な他人へ宛てた手紙を読んだ。

「初めて会ったときから可愛いと思っていた、
言うのが遅くなった」
「話してみてもっと可愛いと思うようになった」
「すぐに忘れてほしいけど最後だから伝えるね、
ずっと好きだったよ」
「東京に行っても元気でね」
「さようなら」

わたしはふたりとものことをそれなりに知っていて、どんなところに惹かれたのかは痛いほど理解出来る。
もちろん書かれている通り、その人はかわいくて話していてたのしくて、もう東京に行ってしまった。

きっとわたしが同じことを書いたってあくまでも
「別れを惜しむ手紙」くらいにしかならない。

弱った子猫を慈しむように、雨で洗濯物が濡れて悲しむように、その程度の感情で、言葉であろう。
すきであるというそれだけで、事実や言葉がこんなにもきらめくのかと驚いた。

文章を書くことがすき。人と話すことがすき。
ぐるぐるとひとりで考えているだけでは、
辿り着けなかったことに気が付けるから。

幼い頃からすきな曲の歌詞を書いたノートを作ったりしていたからであろうか。
未だに曲よりも歌詞を大事にしてしまうし、
小説の実写化は基本的に見たくない。
言葉が、映像や音楽より優れているとは到底おもわないけれど。

わたしが使えない言語を使うことが出来る人が羨ましい。
わたしに伝わりきらないことがたくさんあって、
それを混じり気のないものとして、純粋な気持ちで楽しめるのが羨ましい。

このコードはあの曲のオマージュだよねとか、
この絵は時代背景を投影しているからこういう意味があるよねとか、わたしはぼけっと受け取ってぼけっとしているだけなのに。

もっとたくさんの知識があればたのしめる音楽や映像や写真や文学がある。
全部知りたいけれど全部知ることが出来るとはおもわない。仕方ないのかもしれない。
言葉に宿る意味も同じで、わたしが何故言葉を特別視しているのかは正直ずっとわからない。

それでも確かにわかっているのは、
わたしはすきなひとが紡ぐ文章がなによりもすきで、すきなひとが今まで獲得してきた語彙がなによりもすきだ。
感情やふわふわ浮かぶ思想を固定するのに、そのくせ人によって使い方や受け取り方が異なる言葉がすきだ。


ラブレター、ずるすぎ!わたしもほしい!


込められた感情や時間が感じられる言葉がだいすき。もっとちゃんと言葉にしたい。
すきって言って、これがすきだよって言って、言わなかった感情のことも愛している。

それが人によって様々な手段であることを忘れずにいたい。全部の言語を使えるようになりたい。
発することは出来なくても、せめて受け取れるように。
わたしに宛てられたラブレターもラブソングもラブアートも、全部まるっと愛してみたい。
わたしがあなたに宛てた言葉も、全部まるっと愛してほしい。
ありふれてない、オンリーワンのわたしのすき!

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