鉄塔の町 8

母は私の鬼だった。小さなマンションの一室に君臨する絶対的な存在だった。剃刀の刃にしなびた心臓を光らせ、女性特有の過度なヒステリーをまるでアクセサリーみたいに身に纏って、父を懐柔し私を丸め込んでいた。しかしそれでよかった。我が家はそれでよかった。ヒエラルキーは安定し、綺麗に四角い箱を保たせることができていた。父も私も納得していたし、母はそれで満足なのだから何処にも問題なんて無かった。

母親から娘への言葉の暴力は、私の周りにゆっくり、しかし着実に、何処にも逃げないよう柔らかな檻を張り巡らした。暖かで逃げられない柔らかな檻。自己完結の塊。揺りかごを連想させる閉塞感。そこで寝起きし、食事をして、排泄をした。父は母の隣でニコニコと笑い、大丈夫と連呼しながら頭をなでるので、私たちはこれでいいのだと安心をした。

とにかく母は、私を何かしらの型にはめたがった。彼女の思う私はいつもコーヒーの豆をひき、彼女の作るご飯をうまいと言ってニコニコ笑い(事実うまいのだ)、父と母の間で何かしらの冗談を言う娘だった。何か一つでも逸れてしまえば剃刀の刃はこちらを向く。それでもよかった。それでよかった。だって母は私と、そして父の自慢の「母親」だったのだ。

私たちはここにいるのに、いつもここにはいなかった。ここにいて、どこか違う場所にいた。それは前述した柔らかな檻、自己完結の塊、揺りかごを連想させる閉塞感、これらの因子。家族は手を取り合いながらお互いの顔しか見ずに「大丈夫」を連呼して、場所なんか本当は何処でもいいはずなのに、母が鉄塔の恩恵を(果たして恩恵なんてあるのか私には一体全体わからないが)預かりたいが為に海沿いの小さな町に根を張った。気づけば根はコンクリートを割って地中深くに到達し、父と母はまるでこの地を守る大木のようにずっしりと腰を据えていた。だからこそネリがこの町にやってきたとき、二人はネリを毛嫌いし罵倒した(あの女なんてそれでいいと今は思うが)。

母は絶対的な権力者だった。太陽のように明白で、野良犬のわびしさのように当たり前の事実だった。それを知らないのは母だけで、下らない妄言を受け止める父に甘えていただけなのだ。

母のヒステリーは度を超えていた。物は飛ぶし大声を張り上げるし、ワッと急に泣き出すし、包丁を持ち出すことも大いにあった。絵に描いたようなヒステリーを母は体言し、それでも父は笑いながら喜んで母の腹の中で廻っていたから、我が家は完結し檻になることができた。揺りかごを連想させる閉塞感を手に入れることが出来た。綺麗な卵の殻に、真っ白い未来が映っていた。

あのとき、どこで傷つこうが涙を流そうが、柔らかで暖かな檻が私を掴んで離さなかった。十年以上もそういう生活が続き習慣と化し、体の中に染み着いた父と母は私の骨を錆びさせ、髄に入り込み、鍵のかかった部屋の内側にまで忍び込んでいた。母が食い潰され父が変わり果てるまで、私はこれらのことに一切気づかず、だから結局、この町から離れることができない。田舎娘は本当に嘘つきで、ろくでもないことばかりに苦心するどうしようもない奴なのだ。



もうちょっと頑張れよ、とか しょうがねえ応援してやる、とか どれもこれも励みになります、がんばるぞー。