鉄塔の町 2

夜の東京の街を踏みしめて歩くうちに、私はどんどん取り込まれていくのだろうと気付いた。雨に濡れたコンクリートが足の裏から細胞を肉を内蔵を吸い取っていく。よく冷やされた外灯、中心に陣取る鉄塔、狭い路地にしがみつく老人、私もその一部としてゆっくりと着実に駆け足で溶けだしていく。

夜景だとかうまいご飯だとか、美味しいお金だとか自己消耗だとか、選択肢があまりにも多いくせにすべてを選ばせてくれない不自由を知ったのはサトウ君と東京の街を歩くようになってからだった。田舎者の憧れを具現化したような上澄みだけを見てきた私を、鼻で笑ったのもサトウ君だった。あのくたくたのワークブーツはいったい何を見てきたのだろうと不思議で仕方なかった。

雨が降るとこの街はよく冷やされる。夏から冬に向かう中途半端でぐらぐらのこの季節は、暑くも寒くも無いけれど、ビルから排水溝まで夏のビールの様である。しかし心地の良いものではなく、そこはかとない悪意に満ちているのではないか。などと。

サトウ君。消えたサトウ君。雨の降る日を選んで東京の隅っこの街を歩くのは、彼の面影を見るからだろうか。

駅からの道を真っ直ぐ行って、黄色い看板が目印のラーメン屋を通り過ぎ、踏切を越えて小さな商店街を抜けると、静かな住宅街が広がり、目立たない風の喫茶店がこちらを伺うように面を構え、なんだか冴えない街だなあと思わせる。ネリはこの街が好きだと言ったが、私はどうやっても好きになれない。雨が降れば少しは好きだと思えるが、それだってサトウ君ありきの話しだろう。だってここには、うまいご飯はあるけれど、夜景も美味しいお金も自己消耗も存在しないじゃないか。選択できない不自由を皆が好むように(気付いて好むのか気付かずに好むのか)、私もそれを好みたい。綺麗なものを寄せ集めて溶かしたような、上澄みだけでもいいんじゃないの、と最近少し思うのだ。東京の街なんて、それくらいでいいんじゃないの。などと。

雲に遮られて星なんてみえない。居座ったまま退こうともしない。小さな雨粒が乳色に煙って、街は大人しく息を潜め、こちらを伺うかのように目を光らせている。礼儀正しく並ぶ家やアパートと、その間を走る線路の真っ直ぐとした体に、私は馴染めない気持ちを抱えたままコートのポケットからくしゃくしゃのハイライトを取り出して、ゆっくりと火をつけた。無惨で愛おしい幻想の煙。肺に張り付く心地よい棘。

鉄塔が根を張る海沿いの小さな故郷も、鈍色の雨にけむっているのだろうか。奇妙な魂で歪んでしまった母は、小さなマンションの一階で父の偶像を喰らっているだろうか。目をつむって考えてみたところで、答えなんて返ってこないのに。サトウ君の記憶は、東京の街にも落ちていないのに。


もうちょっと頑張れよ、とか しょうがねえ応援してやる、とか どれもこれも励みになります、がんばるぞー。