鉄塔の町 6

ひたすらに歩いても、鳥の死骸は途切れることがない。辺りに微かな腐敗臭をまき散らし、ガラス玉みたいな瞳を乱暴に空へ投げ、大きなオレンジ色のくちばしを横たえている。たまに死骸を蹴りあげてみると、どれも一様にくちばしから身体がずる、と抜けて中からショウジョウバエが弾かれたように飛び出してくる。くちばしの抜けた身体を持ち上げてみると抜ける前と比べ格段に軽くなっていた。試しに死骸の身体を揺すってみるとからからと音がして、中にパチンコ玉か何か入っているのではと思えた。一時間ほど歩いているのだが、ネリが作りものみたいに綺麗な顔を歪めにたにたと笑いながら、飽きないのだろうか、ある程度の距離をとって後ろをついてくる。

この町には母の作るうまいご飯があった。父が稼ぐ美味しいお金があった。その二つはとうに消え失せてしまったけど、小さい町にお似合いの小さい夜景と過度の自己消耗はまだ存在する。かといってその二つだけでは、私と町を結びつける理由として弱すぎるのだ。私を町と結びつける大きな理由、そして原因。空っぽの母と偶像に成り果てた父。そんなもの無視すればいいのに、と何度も思ったが、予想以上に莫大で強烈な、太陽のように明白な、とてつもなく大きな理由と原因。

果てのない海岸通りに点在する鳥の死骸には、さて、何が似合うのだろうと考えてみる。葬式だとか埋葬だとか、そういったネガティブな類の言葉が浮かんでくるが、あぁそうだなあ花束を抱えるのが一番お似合いだろうか、と最終的に行きついたのだった。白黒の羽毛にはカラフルに彩った花束が、出来れば軋む花束が、お似合いだろう。家の裏に咲くぎしぎし音の鳴るものだとか、みしりと音をたてるものだとか、そういったものを(種類なんてどうでもいいから)集めて、花束にする。この死骸には、死骸が点在する海岸通りには、軋む花束がお似合いだ。まるで母のようで。

海岸通りを一直線に走る国道沿いには、海を見下ろすように小さな家々が並んでいる。一様に暖かな明りを灯して、心底幸せそうな顔をして海を見詰めている。しかしよくよく見てみると、潮風のせいで白い壁が傷んでいたり木造のテラスが少し朽ちていたり、繕ってはいても隠し通せない悪意が私を笑っている。家の中ではきっと、教科書で習ったかのようなお決まりの暖かい家族がいて、うまいご飯でも食らっているのだろう(ビーフシチューとかチキンの丸焼とか、新鮮な野菜のサラダとかマリネとか、祖母直伝の筑前煮とか子どもの大好きなハンバーグとか)。食後には母親お手製のケーキやプリンが出てきて「母さんこれ凄く美味しいよ」と子どもが嬉しそうに笑って、たまに父親が有名なお店のケーキを買ってきて母親と子どもが顔を見合わせ「こんな美味しいものたべたことない」とか言ってしまうのだろう。洗濯機の廻る音とか洗剤の匂いがかすかに香る母親だとかタバコのにおいがよく似合う父親だとかそんな二人の間でニコニコと今日あった出来事を話す子どもだとか、海岸通りには判を押したように同じ家庭が並んでいるのだろう。まるで昔の我が家のようだ。何かを食いつくして浪費すれば、あの暖かい明りは消えるのだろうか。それとも無限に供給されるなにか、なのだろうか。

「あんたくだらないわよ」

後ろでネリが大声で罵倒する。潮風がごうごうと耳元で泣き喚くので聞きとりづらいが、ネリははっきりと叫ぶ。

「くだらないわ汚いわえげつないわ。私はあんたが大嫌いよ。早く死ねばいいのよ。鉄塔さえ許してくれれば、あんたなんてあの女と一緒に殺してやるのに」

ネリの言葉は下品で下劣だ。私の心に刺さることはない。

「最低よみすぼらしいわ下品で下劣よ。私はあんたを許せないしあの女を憎んでいるの。鉄塔はあの女のせいで身動きができないのよ、空っぽのまま生きているあいつのせいで鉄塔は苦しんだままなのよどうにかしなさいよあんた娘でしょ」

最後の方は波に飲み込まれて聞こえづらかった。後ろを振り向くといつのまにかネリは消えていて、波に飲み込まれたのは声だけではなかったのだと理解する。

海岸線には延々と鳥の死骸が点在するが、いつまで経っても宙に浮くことはない。あの言葉はサトウ君の言葉だったとわかっただけで、私には大きな幸せだったのだ。


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