つい先日、両親とともに母方の実家へ帰り、もう齢90になろうかという祖父母の様子を見に行った。祖父は原因のわからぬ身体の不調によって入院しており、面会はZoomを用いてのものだった。また祖父は僕が小学生の頃から耳も目も悪く、ここ数年は電話越しに大声で話しかけてもこちらの質問がわからないような状態であった。Zoomではこちらから呼びかけるとともに、スケッチブックにマジックで太く書いた字を見せることでなんとか意思疎通を行った。
祖母の方も3年前に会った時と変わらず、腰は曲がり、頭は白髪すら禿げかけ、座った状態から立ち上がるのに30秒ほど要する始末だった。受け答えは問題なくできるものの、長年のアルコールの摂りすぎによって記憶はやや混濁状態にあるらしく、自分の少女時代のことや、僕がまだ自我というものを確立していない頃、つまり僕自身が覚えていないようなことについてこうだったんだよ、こうだったんだよ、と話すものの、母や叔母に言わせれば半分ほどが作り話であるようで、2人は話を聞くたびに苦笑いを喫していた。
祖父母は両方とも酒を飲みすぎるたちがあった。僕が小学生の頃から、お年玉をもらった際などに祖父母に電話でお礼をするならば朝起きてすぐにしろというのが常だった。これには僕の面倒くさがり癖も理由の一つとしてあるのだが、最も大きな理由としては、彼らが朝食の時間からワインや、住んでいる鹿児島で作られる焼酎を飲んで酔っ払ってしまうからだった。
祖父の方は病院に入ってからというもの酒を絶っており、それに応じて体調も回復に向かっているそうだが、やはり祖母の方は僕達と食事をする時もワインを飲み、その早さは若さによって両親すら驚くほどの速度で飲む僕と同じペースで飲んでしまうほどだった。しまいには「ワインの味はあの人(祖父のことだ)と一緒に行ったフランスで覚えたのだ。フランスに行った時は〜」といつもの話を始め、母と叔母だけでなく、僕の父までもをうんざりさせてしまっていた。

祖母の住んでいる母方の実家に到着すると、リビングにはいくつかの写真アルバムが開かれていた。どの写真にも小さい頃の僕が写っている。祖母は毎晩、その写真たちを眺めながら酒を飲んでいるのだという。
写真の中には僕と両親、母方の祖父母、そして父方の祖父まで写っているものもあった。写っている全員が若々しかった。今では60を超え、そのいかつい顔にシワと疲れの表情をたたえる父など、まだ40代であっただろうその写真では頭髪に一切の白髪もなく、顔にもシワは目立っていない。祖母もこの頃の写真では背筋を張り、顔も痩せしっかりとした表情を保っていた。
父方の祖父についての記憶は少ない。その写真を撮って3年もしないうちに亡くなった祖父は、息子たちにはかなり厳しい人だったらしいが、僕が小学校に入るかどうかというタイミングで何度か会った時には、ものをあまり言わないものの、基本的に優しい人だったように思う。写真では毅然とした表情で写っている祖父は、煙草の吸いすぎによる肺がんで命を失った。ハイライトを好んで吸う人だった。僕が煙草を覚えたとき、初めて吸ったのもハイライトだった。ラム酒が混ぜられているハイライトの香りは独特なもので、吸った後手に残る香りも他のタバコとは異なる、唯一無二のものだった。ハイライトを吸ったあとの手の匂いを嗅ぐと、祖父のゴツゴツとした手を思い出すことができた。

普段このような文章を書くとき、僕はできるだけ真なるもの、善くあるもの、美しいものを描こうとする。その足掻きが徒労に終わることもしばしばだが、先日の帰省によってその意欲が掻き立てられたことは言うまでもない。
僕と少なからず関わりのある人間には薄々気づかれていることだと思うが、僕はあまり他人に関心がある方ではない。どちらかと言うと自分の殻に籠り、内省を行う毎日を送っていると自分では思っている。だが、親戚については無条件に好きだと言うことができる。あの写真アルバムを見て、自分の両親や親戚たちが、時の経つにつれて変化していく様を、初めて美しいと思うことができた。
老いること、腐ること、変化し続けることはこの世の常だ。この世の常を、事実を事実としてただ受け入れる。今この瞬間を「在る」ものとして捉え続ける。不思議とそういった思想は、仏教にも哲学にも現れる────。これは一体どれだけの人間が通った思想で、その先には一体どれだけの境地が存在するのだろう、そう思うと、『美味礼讃』を締め括るのに筆者、ブリア・サヴァランが描いた彼なりの境地を思い出さずにはいられない。

教授(すなわち著者)はここで連想が雲のように起こり、恍惚としてペンをとりおとし、そのまま無限の国を逍遥した。かれはそこで歳月の流れをさかのぼって美味を礼賛する学問の始まりをたずねたが、それがわれわれに与える楽しみに関する限り、古い時代が常に後世に及ばないのを知るや、やおらかたわらにあった竪琴をとりあげて、ドーリア調でヴァリエテの中に見られるような懐古の挽歌をうたった。

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