戸山小学校

小2になって2月もしなかったと思う。
両親から突如として引越し、転校と伝えられた。
反対やら、反抗をしなかったと記憶している。
寧ろ、聞き分けの良い兄貴の方が両親に対して反発していたのは驚いた。
俺の意思とは関係のないところで、環境が変わる。
これに関しては、現在進行形です悩む少年少女も多いと思う。
だけど、複数の地域に友達がいると考えて欲しい。
だって単純に倍だよ?
今の俺だから言える事だけどね。
当時の俺は内気な性格が災いして形成されたコミュニティに中々溶け込めなかったんだ。
そんな時に手を差し伸べてくれたのが
このシリーズ記事の最初に登場したツレだ。
2年2組。
当時の2組はツレともう1人のガキ大将が居たが、今のスクールカーストみたいな物は無く楽しく過ごせた。
俺はといえば、兄貴の影響もあり地元の少年野球に参加していた。
戸山フレンズ
当時の新宿区内では強豪チームで高学年、低学年共に2軍まであった。
このチームでの思い出は、良いものも有るが圧倒的に体罰の思い出しかないw
今の時代に照らし合わせると監督、コーチが逮捕されてもおかしくない様な暴力、脅迫、恫喝等々w
だけど、今となってはひっくるめて良い思い出だと思う。
その後3〜6年生はツレとは違うクラスだったが、この4年間は後の中学時代の番長wと過ごした。
その彼とも仲は良く、夜遅くまで遊んだ時には彼の家で晩御飯をご馳走になったり2人で秘密基地を作ったりw
そんな時間を共有していくうちに5年生、6年生になるとすっかり悪ガキになっていくんだ。
当時は「エンジェル」、「カドヤ」という駄菓子屋があったんだが、いつでも金がない俺達は当たり前の様に万引きをして、それに味を占めると万引きした商品を同級生に売り始める。
更に、ファミコンゲームを盗んでは中古ゲーム屋に売る。
その金を持って駄菓子屋で豪遊することになる。
ビックリマンチョコやカードダスで散財するんだが、いかんせん子供の考えなんてタカが知れてる。
2人共親にバレこっぴどく叱られる事になる。
勿論、鉄拳制裁だ。
だけど俺達はバカだったからまだ辞めなかった。
6年生の夏だった。
俺達は、親にバレない程度に駄菓子屋から水風船をパクっては水合戦していたんだが、裕福な友人が電動水鉄砲
UZI(ウージー)
で参戦してきた。
当時の最先端だ。
俺達はCMでしか見たことの無い高級品。
憧れた。
だけど買ってくれない事は分かってる。
欲しい。
やるぞ!
頭のネジが緩んでいたんだろう。
俺達は放課後、ランドセルを放り出しチャリで伊勢丹へ向かった。
今よりも防犯意識の薄い時代。
防犯カメラなんて物は無かった。
俺達は、UZIより高い電動水鉄砲を脇に抱えて片手運転で帰路に着いた。
そして秘密基地に隠した。
次の日にはマルエツで乾電池をパクり、UZIと再戦した。
流石に圧勝した。
家には持ち帰れないから秘密基地に隠していたが、バカな2人は友達に自慢しまくった。
自慢された友達が親にねだり、親同士の連絡網で犯行がバレまたまた鉄拳制裁。
反省なんてことを知らなかった2人共ボコボコな顔で登校して笑いあってた。
前後するが5年生か6年生の時に俺はイジメに合ってた。
当時の担任が出産で代わりの教諭はイジメられる人間が悪いという考えの持主で気に入らない生徒を攻撃する様な教諭だった。
別記事で書いたが、俺は強制されるのが嫌いで、勉強も嫌い、宿題はしない。
教諭にとっては格好の標的だったんだろう。
身近な大人である教諭が俺に対して攻撃しているのを見てクラスメイトの数人が無視をしたりしていた。
幸い、身体的なイジメは無かったから俺は気にしていなかった。
2ヶ月もするもクラスメイトの無視も無くなり後に謝罪も受け卒業まで仲良く過ごした。
戸山小学校時代はこんなかな。
次回は中学時代

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