戸山中学校

無事に、というか当たり前の様に戸山中学校へ進学する事になる。
正直、入学式の事は一切記憶にない。
入学式後に教室に向かう予定。
俺は1年E組だ。
後の戸山中の番長とは違うクラスになり、久々にクラスメイトになる友人が大半だった。
しかし、雰囲気が違う。
顔見知りが大半の中に知らない顔がチラホラ。
戸山中は近隣の3小学校からの生徒が集まっていたからだ。
お互いに探り探りの1週間を過ごして、仲良く(12歳の子供のコミュ力ハンパないw)なり始めた頃に違うクラスの人間から突然、因縁をつけられた。
彼曰く「お前、中々ケンカ強いらしいな?」
え?何の話w
ってかお前誰?
彼は隣の東戸山小学校から来た子だから、俺は一切知らなかった。
確か、階段から蹴落とされそうになり、俺は踏ん張って落ちなかった。
その後にその子の事をぶん殴った。
授業の合間か給食後の休み時間だったが、すぐに先生方が集まって来て、お互いに事情聴取される事になった。
何故か同室でw
その時に分かった事は、彼も兄が居るらしいく、俺の兄貴と同い年。
どうも、兄貴も彼の兄と揉めたことがあるらしい。
そういえば、中学時代にケンカだかなんだか、ガラスが割れたのか割ったのかで、兄貴が病院で何針か縫った事があった。
その時は、兄貴が被害者だった。
それを憶えていた彼は、意趣返しのつもりだったのかもしれない。
結果、双方共に停学等は無かったが、手を出した?俺がシコタマ説教された。
先生方は勿論俺の兄貴を認識していたから「お前の兄貴はあんだけ真面目なのになんでお前はなんでそんななんだ?」
的な事を言われた。
兄貴と比べられる事はよく合ったが、大概は俺が悪かったから今まで比べられても気にしてはいなかった。
だけど、この件だけは未だに納得いかない。
「殴ったのが悪いなら、蹴落とそうとしたのはいいのか?」
先生方は
「手を出した奴が1番悪い!」
なんてアホな事を言い放った。
悪ガキにはこの一言で十二分だった。
以降、俺は戸山中の教諭を信用しなくなった。
学校生活も小学生より教科も増え、それに伴い宿題も増えた。
勿論宿題なんてしない俺は先生方から落ちこぼれのレッテルを貼られていく。
その度に「兄貴は〜」と呪文を投げかけられる。
決定的な出来事も1年の時だった。
当時の担任は国語教諭。
良くある、夏休みの宿題の読書感想文。
俺は何故か
カフカの変身
を選んだ。
意気揚々と提出した。
帰ってきたら物には、辛辣な言葉が書き連ねてあった。
物語の本質を理解出来ていない。
ちゃんと読んだ?
何を言いたいかが分からない

いやいや、俺は俺なりにちゃんと読んで、その上で感想文書いたんだけど?
俺の感想をなんでお前が批判してんの?
お前が俺の感想に意見できんの?
お前なんなの?
これは授業中に放った精一杯の反撃だった。
しかし担任も意見を変えず、この学期の国語の通知表は1だったw
中学生活というか、身近な大人に絶望を抱きつつ、新たな友人関係はとても良好で、プライベートは充実していた。
野球も地域の
東戸山スリースターズ
へ入団していた。
そして2年に進級する。
2年C組。
そこでツレと久し振りにクラスメイトになる。
中学生活の残り2年はツレを含めて6人組で過ごす事になる。
この時期くらいから、音楽(パンク、ロック、アメリカンハードロック、ヘビーメタル)に没頭する事になる。
ツレとはお盆、お正月等以外はほぼ毎日遊ぶ様になっていた。
勿論、遊ぶとなるとお金が必要だ。
中学2年ともなると、小学生以上に金を使う様になっていた。
遊び場と言えば、俺たちの家から1番近いゲームセンター
「STAR FIVE」
俺たちの中で通称「スタファイ」
当時は1ゲーム50円。
今より安いとは言え、何回もやると直ぐに1000円が無くなる。
俺もツレも小遣いは貰っていても限度がある。
悪ガキ2人の解決策は万引きだった。
小学生時代同様に玩具屋でゲームソフトをパクリ、中古ゲーム屋に売りにいく。
直ぐに10000円を稼ぐ事になる。
味を占めた俺達は…
正にデジャブだった。
同じソフトを何本か売りに行く俺達に中古屋が気付いたんだ。
俺達は蟻の子を散らす様に逃げたが、1人捕まった。
俺達は、悪い事をしている自覚が有ったから何が有ってもチンコロしない!と、誓い合っていたから安心して各自帰宅した。
家に帰ると母親が鬼の形相で待ち構えていた。
そう、捕まった子が見事にチンコロしていた。
久々の鉄拳制裁。
勿論学校にも報告される。
警察へ通報されなかったのが境だった。
だけども俺達は遊んでいた。
俺は流石に懲りて、これ以降万引きはしていない。
3年になり、俺達6人はバラバラにされた。
俺達の学年は丁度6クラスだったから。

3年B組

金八か!
素直な感想だったw
ここで、1年の時に絡んできた子と初めて同じクラスになる。
相も変わらず、事あるごとに突っかかって来る。
俺は相手にしない。
これが彼にとって屈辱だったんだろう。俺はイジメを受け始める。
小学生時代とは違い身体的なイジメも有った。
その度に俺は相手を殴る。
その彼はヤンチャだったが良くいる様な中途半端な少年だった。
クラスメイトの前ではイキリ散らかし、先生方の前でもイキっていたが怒られると直ぐにシュン…とする。
しっかりと勉強もする。
対して俺はそもそも大人を信用してないし、ツレ以外の友人達はそこまで信用していなかったからクラスでは浮いていた。
担任含め先生方からはまたお前か…
もう先生方が諦めて居たんだろう。
1ヶ月も過ごした頃に衝撃が走る。
極真会館館長
大山倍達氏のご逝去
空手バカ一代を見ていた俺はショックだった。
このニュースはご逝去から少し日が経ってから報道されていた。
前日のニュースにショックを受けながら学校へ向かっていると友人に会う。
昨日のニュース、ショックだよな!
なんて会話していると、全然話が合わない。そのはずだよ、彼は
アイルトンセナ、音速の貴公子
と呼ばれたF1ドライバーの死を悼んでいる。
俺はそのニュースを知らなかった。
そして彼は大山倍達氏のニュースを知らなかった。
寧ろ大山倍達総裁を知らなかった。
え?ゴッドハンドだよ!
と説明しても珍紛漢紛な顔で愛想笑いをしていた。
時は過ぎ、その夏は6人で茨城県の大洗海岸へ1泊旅行もした。
泳ぎ疲れても興奮していたのだろう、旅館の近くをビール片手に探検していた。
思えばこの時から俺の缶ビールは
アサヒスーパードライ一択だw
その時グループの1人が番犬に吠えられた。
からかっていたらしいけど、次にはそいつは噛まれていたw
俺とツレは勿論大爆笑w噛まれた本人と1人だけは狂犬病の心配をしていた。
とても楽しい旅行だった。
修学旅行、運動会等イベントが終わり進路を決める時期になっていた。
俺もツレも特に進学希望も無く、何も考えてはいなかった。
そんな時に6人組の1人がある都立高校に行きたい!と教えてくれた。
そこでいいや。
特に考えずに進路指導時にその高校へ行きたい!
という、
担任は鼻で笑い
無理。
とだけ答えた。
じゃあもういい。
そう答える俺。
俺達の時代は中卒ってのは珍しかったと思う。
進学後にドロップアウトは合ったが、そもそも受験しない。ってのがね。
そんな事もあり、担任から進学を強く勧められる。
俺はまたあの高校以外は行かない。
試験も嫌いな俺は
なんなら推薦受けさせろ!
推薦しないなら、受験もしない!
と担任に恫喝していた。
なんとか推薦を貰い当日、
当たり前の様に寝坊していたw
起きたら、もう間に合わない時間だったから俺は連絡もせず行かなかった。
翌日、こっぴどく叱られた。
何故か学年主任からも。
まあいいや。
そんくらいの事だったが、どうも大事になっていた。
年も明け1995年
1月17日
阪神・淡路大震災
俺の記憶の中では1番古い大災害だった。

そして受験の本番。
俺はその高校に普通に願書を出して、当たり前の顔で受験を受けた。
勿論不合格。
そして2次試験。
勿論落ちる。
もういいや。
俺は中卒の道を選択した。
そして卒業式
1995年3月20日
そう、オウム真理教による
地下鉄サリン事件
親御さんや先生方が慌てふためいていた。
卒業式も終わり、いわゆる春休み。
卒業式の夜にツレと2回目の旅行へ行った。
奥志賀への春スキー。
俺は6人の中では1番スキー歴もあり上手かった。
ツレは運動神経は良いのだがSK8スノボ等の所謂横ノリ(3S)が苦手だった。
スキーもボーゲン止まりだったなwだからツレは直ぐに休憩。
挙句には1人で旅館へ帰っていたw
いやいやスキー言い出したのお前だからなw
この旅行は4人だったんだ。
あとの2人は親から
もうあの子達(特に俺とツレ)と遊んじゃいけません
言われてたw
旅行後、俺とツレは4月からのバイトを探していた。
2人共7月生まれ。
3ヶ月で原チャを買えるだけの仕事を探していた。
そんな時に溜まり場にしていた公園に2人の担任が来た。
卒業した俺達は今まで以上に敵対感を剥き出しに対応した。
どうやら、俺達2人以外は全員進学らしい。
俺達は別に関係無いからタバコを吸いながら追い返した。
晩飯を喰い終わったら、来客があった。
担任だ。
正直ダルいから帰れ!もう来るな!
追い返した後に父親から、初めてお願いをされた。
高校だけは通ってくれ、との事だった。
俺の父親は戦中生まれで、
時代的にも奄美大島は貧しい時代だった。
そんな中、高校へは行けずに就職したらしい。

その後上京して、独学で勉強をしていたらしい。
そんな父親としては、高校は通える状況なら君にとっては無駄になるかもだが、数年間の回り道はしてもいいんじゃないか?
俺の為に通ってくれ!
と言われ、頭を下げられた。
翌日ツレに報告したらツレも同じ状況だった。
寧ろツレの父親は当時の文部省の偉いさんだったから俺よりも親からの説得があったのは想像に難く無かった。
そして4月に入り中学生でも高校生でも無い俺達は同じ新宿区内の違う高校(定時制)の補欠試験を受ける。
この頃の俺はパンク、とくに
The CLASH 
に傾倒していた。
何を勘違いしていたんだか髪を緑色に染め上げていたw
試験会場でもある
東京都立小石川工業高等学校
に着き指定された席に着席して驚愕した。
今じゃBDで人気のU君が何故かいる。
彼だけじゃ無く、彼のグループ全員だ。
何とかやり過ごし、入学が決まった。
勿論入学式前に俺の髪は黒くなっていた

大分長くなったし、ちょっとだけ高校時代の思い出を書いたけど、
俺の中学時代はこんな感じだった。

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