無意識について
無意識について、感じていることを書いてみたい。
秘教学では「無意識」という概念はない。もちろん言葉としては使われている。たとえば「大衆は神のアイデアを無意識で受け取っている」とか。
ここで自分の話をする。10年前に心理学系の大学院の受験勉強をしたとき、フロイトやユングの「無意識」の概念が納得いかず勉強が進まず、受験に挫折した。
その6年後、秘教学の「イニシエーション」という概念を知り、納得いかなかったことが腑に落ちた。私は「無意識などない」…と思っていたのだ。そのことを確信した映画が「マトリックス」だった。
映画が伝える本質はシンプルだ。睡眠中、肉体から離れた時こそ「意識が目覚めている」。睡眠の向こうの次元こそがリアルであり、普遍意識という真のリアリティの次元で全知全能。自分は「すべてを知っている」。だから睡眠から目覚め、肉体脳や身体で感受する意識、私たちが「起きている」と言ってる状態こそが、「眠っている」のだ。そしてやっかいなことに、その肉体脳は意識に制限をかける。意識できる範囲を狭めるのだ。錯覚やグラマーを引き起こすことで「自分が知っている」ことを忘れさせるのだ。
この「眠っている」状態を秘教学では「無知」という。無意識とは言わない。なぜなら制限されてはいるが、肉体脳の意識は稼働はしているからだ。
無知の殿堂では、肉体が支配し、ものごとの物質面に重点が置かれる。そこでは人間は自我に偏極する。学びの殿堂では、高位我つまり魂が肉体を支配しようと努力する。
アリスベイリー「イニシエーション」より
イニシエーション(意識の拡大)が起きれば、肉体脳という制限ある意識ではなく、全知である魂意識を生きることが出来る。つまり進化すれば24時間(たとえ肉体が寝ていても)意識は目覚めており、無意識は減り続け、すべてのことは知覚できるようになる。これを秘教では「意識の連続性」という。(もちろん私は体験者ではないので、ここで書いていることは情報の域をでない)
すべての人は無意識がある…という定義で人間を限定すれば、人間は全知の魂である…という可能性から遠ざけてしまう。私が大学院受験で腑に落ちなかったのはここなのだ。人間は意識を拡大できる。そして稀に無意識などない人(イニシエート)もいる。
無意識などない…と思ってみる。ただ「忘れていること」があるだけだと思ってみる。何を思い出したらよいのか?は智慧が導いてくれる。そして秘教の智慧は、集合無意識、そして無意識の世界から、あなたを目覚めさせてくれる。
人間の発達とは、一つの意識状態から別の意識状態へと移行していくことでしかない。それは拡大の連続であり、内在する思考者の主要な特性である認識能力の成長である。 それは肉体と自我に偏極している意識が、高位我、魂に偏極し、ついには意識が神そのものになるまで進歩していくことである。 人間は進歩するにつれて、認識能力が拡大していく。まず最初に、認識を自然王国に閉じ込め、そこから出られないようにしている壁を越え、自我が支配する人間の世界へと拡大し、自分が何らかの役割を果たしているこの惑星へと、その惑星が公転している太陽系へと拡大し、最後には太陽系そのものから飛び出し、宇宙的なものになるのである。
イニシエーションより
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