10years for 3.11
役立たずと自分を罵った震災ボランティアから10年、
やっぱり今年も3月11日は、秘教本を手にしながら途方に暮れる。
秘教が伝える俯瞰的な知識で
傷ついた人を慰めても、
地震がおきた意味を伝えたとしても、
地震は起きたし、家族を失えば心は痛む。
緊急時に本の知識は何の役にも立たない。
何も言わず、ただただ抱きしめるだけでいい。
誰かのために身体を動かすだけでいい。
傷ついた誰かを抱きしめたくなる心、誰かのための行動力が
希望なんだとボランティアは私に教えてくれた。
あれから10年、直接人助けできない智慧を、私は今でも学んでいる。
今年も東北から届く声を聴いて心を痛めたり、泣いたりしかできない、
そんな感じやすい心が、10年たってもあるだけだ。
いったい何のために学ぶのか?
それを問うと、やはり3.11にもどる。
あの日感じた虚無感のなかで、微かに感じた予感。
いつかこの世界に希望をもたらす啓示は必ずおろされる。
それを知ることで誰もが楽になり、生きやすい世界が生まれる。
ブラヴァツキー夫人、アリスベイリーと続いた啓示の続きが、
世界中の人の希望になってほしい。
だが、その啓示の理解には、秘教学の基礎が必要…という確信がある。
一人でも理解する人がいれば、確実に啓示は受け取れる。
それが私でなくても、このコミュニティが日本にあれば
他の誰かが啓示を受けとるだろう。
津波災害で学んだことは伝承という智慧の力だ。
「いま」ではなく、ずっと先を見続けた「いま」の行動が
100年後、1000年後の誰かを救うかもしれない。
小さな自分に傷ついている場合じゃない。
信じたことをコツコツと学んで読んで、
理解したことを人に伝えていくだけだ。
もしそれが「まったく必要ない智慧」だったならば、
探求者として潔く何も残さず去るだけだ。
3月11日、すべてのプロセスに感謝しかない。
災害で亡くなった命を無駄にしない。
あの日があったから、私は新しい時代のための啓示を求め始めた。
生きることは、苦しい。試練などない人生はない。
そして生きることは、嬉しい。未来のために生きる希望があるから。
求めよう。もし探求することによって、ここで述べられていることがすべて、実現不可能な夢でしかなく、全く何の役にも立たず、暗闇に導くだ けでしかないということが分かったとしても、時間を無駄にしたことにはならない。なぜなら、探すべきではないところを突き止めたことになるのだから。 もし探求することによって確信が生まれ、光がより明るく輝くようになるならば、夜明けが訪れるまで、その探求を続けよう。
そのとき、暗闇に輝く光がハートと脳を照らし、探求者は次のような認識に目覚めるであろう。つまり、進化のすべての流れは自分をこの意識拡大とこのイルミネーションへともたらすためだったのであると。
~このようなことを一人ひとりが自分で確かめなければならない。知っている人々は真実はこのようなものであると語るかもしれない。しかし、他人の意見や理論の言明は、探求者にそれを確かめてみよという指示を与える以上の助けにはならない。神の王国は内にあり、個々の意識の中で真理であると認識した事実だけが本当に 価値あるものであるということを常に頭に入れておきながら、一人ひとりの魂は自分でそのことを確かめなければならず、自分の内にその確証を見出さなければならないのである。
アリスベイリー『イニシエーション』
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