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#6「時間があるという憧れ」
はじめに
大学4年生、秋。
もっと時間があるものだと思い込んでいました。
時間が無い、といえば嘘になるし趣味や遊び、飯や飲みには沢山時間を費やしている。
学校の授業に縛られてた時や就活に向き合っていた半年前よりは遥かに時間がある。
それでも数年前、何なら半年前までこの時期にはもっと自由な時間があると思っていました。
時間がある、とは何か
正直イマイチわからないんですよねー。
「やらなきゃいけない事」はともかく、「やりたい事」と「時間がある(暇)」の境界線はどこにあるのでしょうか。
自分はルーティンや予定を当てて行動することが好きなので、なかなか「時間がある」らしきタイミングは出会えませんが他の人はどうなんだろうか、とつくづくと思います。
何も予定を立てず、何をしても許される時間がソレなのかなーと思いつつ。
少し前の自分は何に憧れを抱き、今の自分は少し先に対して何に憧れを抱いているのでしょうか🌞
読書から見る「やりたい事」と「時間がある」
前述した「やりたい事」と「時間がある(暇)」の境界線について。
友達と遊んだりスポーツ見たり、旅行は何をしても許される「時間がある」状態から切り崩して、行動を選択して「やりたい事」を実現していると思います。
一方で、読書はどちらなのか。
「やりたい」ルーティンの1つで毎日数十分は本を読んでいますがこれは日常の一部です。
逆に「時間がある」時の読書はルーティンで読む決まった順序の本ではなく、積読や本屋、図書館でふと読みたい本を読む事だと思っています。
何にも縛られずその時の感性の赴くままに漂流する事を憧れているのかもしれません。
読書では何か調べたり行くにしても前々から決めた事ではなく、その時の感性に委ねた選択1つ1つを示すのかなと思いました。
憧れと現実
これだけ時間が欲しい、と言いながら所詮学生の身分で忙しいことが幸せなのかもしれないとつくづく。。。
1→0より、0→1の方が遥かに難しいのは言わずもがなですし、自由の効く予定に満ちた現状に感謝しなければいけないものだと感じます。
人生はジレンマ👼
それでも学ばない
就活も終わってだいぶ時間が経ちましたが、まだ「時間がある」時には出会えていない。
大学4年生の秋、に対して漠然と自由な時間が沢山ある時期と認識していましたが、そんな秋はもう終わりそうです。冬です。真冬。
それでも来月には、来年初頭にはそんな時が訪れるんじゃ無いかと信じている。
卒論を提出した後こそ時間があるんじゃないか。
多分その頃には違う予定に埋もれて時間なんか無いかもしれませんね。
未来のことはわからんね^_^
おわりに
正直自分でも言語化できていない部分を書いてみたのでよーわからんです。
そんでもって卒論にも大変追われているので今月はこのくらいにしておきます。
来月には卒論は目処がついているはずなので、前々から書きたかった進歩恐怖症について書きたいと思います。時間があれば。
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