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皆なんで手袋しなくて大丈夫なの?


初雪を節目として何か文章を書いて出す人いっぱいいるだろうな、と思いながら電停まで歩いた昼下がり。市電に乗ってぼーっとしていたら、文字を打っていた。
書きたくなるのは私だった。


寒さが一層深まった。でもそれにしたってまだそんな重装備じゃなくてもいいだろ、というくらい防寒をしている。
耐えられなくはないけど、寒さがけっこう嫌いなのだと思う。

なんか、惨めになるんだよな。自分を暖めるものが自分の脳みそしかないのが寂しくなっちゃう。そこにいるだけで暖かさを奪われっぱなしになるのが嫌だ。

夏は汗にはうんざりしていたけど、暑さにはうんざりはしていなかった。
標で変なアドレナリンが出ていたのもあるだろうけど、暑さはエネルギーになりえたような気がする。
でも寒さはダメだ、ひとつもエネルギーにならない。

だから万全な防寒をして市電を待っていた。
でもなんかやっぱりだめだった。
体感温度は変えられても視界を変えられなかったから。
降る雪を見るのは好きなつもりなんだけど、無音でどんどん積み上がっていくそれが薄気味悪いような気もしている。

というか、そこから思い出される情景がだめなんだと思う。すこし先も見えない吹雪のなか、2人で歩いてる友だちが薄ら見えながら1人で歩いていた記憶が何故かいやに鮮明に残っている小学、理不尽に対する答えをずっと見つけられないまま学校と家を往復していた中高、孤独で惨めになりながらエコバックから牛乳垂らしながら自転車漕いでた去年。
あんまりいい思い出がない。
中高は一緒に帰った友達が誰かしらいるから、それだけが私と冬をぎりぎり繋げているような気がする。


冬のこと待っていたような気がするけど、こうして考えてみるとそうでもない。というかこれからの長い寒さを、すきま風ギャンギャンのきらく荘で乗り越えられるのか不安なのが一番大きいのかもしれない。

名言として記録されているものではないと思うが、「メンタルを助けてくれるのって、やっぱり人なんですよね」という、挫折しかけたスポーツ選手の言葉が印象に残っている。
意外だったんじゃなくて、やっぱりそうなんだ、という方で。
自己だけで完結できることにも憧れるけど、メンタルを落とすのも上げるのも私は人の力を借りないと無理だ。
ありのままで気持ちよく過ごせている今の日々が、冬の印象を塗り替えてくれることに期待もしているんだと思う。


いい冬にできるといいな。

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