普通への憧れ
手をつないで街を歩く親子、愛おしそうに我が子を見つめる親、友達と笑いながら歩く子ども達、クリスマスのキラキラした街並み、誕生日のケーキやプレゼント…。
誰もが普通だと、当たり前だと思っている日常。だけど、私にとって、それは夢のような、憧れる光景だった。子供のころから、そして今もただ普通に生きたいと願い続けている。だけど、生まれてからずっとそうだったように、死ぬまで叶うことはないだろう。
両親、姉、そして私の4人家族。両親は新興宗教に入信していて、宗教二世として生まれた。
両親は、二人目は男の子が欲しかったらしい。だけど生まれたのは女の子で、非常に落ち込んだらしく、出生届を出すギリギリまで名前すら付けていなかった。不憫に思った一人の姉妹(その宗教では、入信している男性を兄弟、女性を姉妹と呼んでいた)が「赤ちゃんに名前つけないの?」と聞いても、乗り気でない両親。結局、姉妹が聖書を開き、「霊の実は愛、喜び、平和…ってあるでしょ?この中から選んだらいいんじゃない?」と言い、「じゃあ、愛で。」と決まった。(霊の実とは、身に着けるべき好ましい特性のようなもの)
この名づけの話は、当然私が覚えている訳もなく、両親が何度となく色々な人に話しているのを聞いたもの。両親は笑い話として話していたようだが、私には「私は要らない子だったんだ。名前すら決めてくれなかったんだ。」としか思えず何ひとつ面白くなかったし、それを聞いている人にも「この子は要らない子なのか」と思われる気がして、両親が話すたびに悲しくて、恥ずかしくて、胸がえぐられる様に痛んだ。少し大きくなった頃に、「もうその話しないで」とお願いしたが、両親は全く気にも留めていなかった。
両親は熱心な信者で、正規開拓者と呼ばれ、当時月に120時間(だったと思う)奉仕活動に費やしていた。基本、毎日朝9時から12時、午後2時から4時は家から家へと歩いて回り、冊子を配り、受け取ってくれた人には再訪問をして、新たに入信してくれる人を探した。教義を学んでいる人を研究者と呼んでいたが、両親にはそれぞれ何人か研究生がいて、通常の奉仕活動の時間以外に、それぞれの研究生の家を毎週1時間ほど訪問し教義を教えていた。
その他に、教義について学ぶ集会が週に三回開かれた。日曜日の午前に2時間、火曜日の夜に1時間、木曜日の夜に2時間。父は長老と呼ばれる立場だったので、集会で講演をしたり、司会をしたりしていたので、準備にも時間が掛かっていた。
夏には大会が開かれ、3日間朝から夕方まで教義を学び続ける。ドームや大きな体育館などを貸し切り、何万人もの人が集う大規模なものだ。遠くで開かれることも多く、車で何時間もかけて泊りがけで行く一大イベント。
当然その全ての活動に、私も姉も一緒に連れて行かれた。夏の暑い日も、冬の寒い日も、毎日。
そんな生活をしていたので、当然ながら正社員で働けるわけもないし、そもそもこの宗教では、宗教のためにどれだけ多くの時間を費やしているかが重要だったので、熱心な信者のほとんどはパートだった。両親ももちろんパート。日中は奉仕活動に費やす時間なので働けないので、必然的に早朝や深夜の仕事になる。お弁当屋さん、新聞配達、大きくなった鶏をカゴに詰めて出荷する仕事…、ありとあらゆる仕事を渡り歩いていた。
私が子供だったころは、日本はバブルだったらしい。だけど、我が家にバブルなんて何の関係も無く、ひたすらに貧しかった。服を買ってもらった記憶は、片手で数えられるほどしかない。姉妹たちから回ってくる、何十年前のだろうか…というような着古された服を着ていた。
それどころか、「今日のご飯で、終わり。明日からは食べるものないよ」と何度言われたことか…。食事が無いと言いつつも、奉仕活動は欠かさず出かけた。そして家に帰ってくると、家のドアにビニール袋が掛かっていて、お米とおかず、姉妹からのメモが入っている。「沢山もらったので宜しければどうぞ」。母は嬉しそうに言う。「神様は見てくださっているね」
そんな感じで、どうにかこうにか食事は出来ていた。年に数回、姉妹が持ってきてくれるモロゾフのチーズケーキは、飛び上がるほどうれしい贅沢品。基本いつもお腹がすいていて、空腹に耐えられない時は食器棚の下にある黒糖をかじった。高校生のころは「細くていいね」とよく言われたけど、今思えば単に栄養が足りていなかったのでは…。
火曜日の集会は我が家で開いていたので、毎週火曜日午後7時になると信者20人ほどが6畳間に集まった。集会が終わった後に、持ち寄ったお菓子を皆で食べたり飲んだりする時間が楽しかった。というより、お菓子が食べられるのが嬉しかった。それに、同じくらいの子どもたちが何人かいて、一緒に遊べるのも嬉しかった。誰かと遊ぶのはこの時間くらいしか無かった。あとは奉仕、集会、奉仕、集会…の繰り返し。
よく親になったら親のありがたみが分かるというけれど、私は、親になった今だからこそ理解できない。子供に満足に食べさせることすら出来ない状況をなんとも思わなかったのだろうか。不思議でならない。
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