見出し画像

ラノッキア引退に寄せて

 皆さんは、インテルを象徴するキャプテンといえば誰を思い浮かべるだろうか。おそらくサネッティであろう。では皆さんは、サネッティからキャプテンの座を受け継いだ選手が誰なのかご存知だろうか。カンビアッソ?ミリート?それともイカルディ?

 次に皆さんは、インテルに10年間在籍しサポーターから愛されたCBであるマルコ・マテラッツィから背番号23を受け継いだ選手が誰なのかご存知だろうか。

 そして皆さんは、長友がインテルに電撃移籍したのと同じ2011年冬に加入した、かつてネスタ2世と呼ばれ将来を嘱望されたCBが誰なのかご存知だろうか。

 正解は全て、アンドレア・ラノッキアである。

 筆者も「インテルのイケメン枠」として何回も使わせていただいたが、彼は2021-22シーズンをもってインテルを退団した。そして先日、自身の負った怪我を理由としてモンツァと契約を解除、そのまま現役引退を発表した。7月よりモンツァに移籍し、ベテランとして新たなキャリアを歩むかと思われた矢先のことであった(その経緯については割愛)。彼がインテルの主将になった頃から少しだけ経歴を振り返る。

  サネッティが引退した翌シーズン(2014-15)からの主将がラノッキアになったと聞いたとき、筆者は特別良いとも悪いとも思わなかった。ただ、3冠で一旦サイクルを終えて若返りを図ろうとしている過渡期のチームにとって、この26歳の新主将がどのようなアクションを見せるのか楽しみではあった。

 結論から言うと、彼は主将としての役割を果たし切れたとはいえなかった。代名詞的によく用いられた「エレガントな守備」は、裏を返せば直感頼みの危なっかしいプレーとなった。パスミスが多く、スピードで振り切られる場面も少なくなかった。プレー面だけではなく、当時無節操に大枚を叩いて繰り返された補強で構成された多国籍チームを一枚岩にするだけのキャプテンシーも不足していた。ファンも彼を叩いた。成績が伴わず、彼自身のパフォーマンスも頼りなかったから無理もなかった。このシーズン、インテルは監督を途中解任し、リーグは8位に沈んだ。

 もちろんこれらは彼だけの責任ではなかったが、2015年夏にマンチーニ監督は主将をイカルディに交代することを決めた。また新戦力のミランダとムリージョはすぐに安定したCBコンビを組み、不動のスタメンとなった。ラノッキアの出場機会は激減した。

 彼は一年でレギュラーの座と主将の座を失った。

 半年後の2016年1月、サンプドリアにレンタル移籍。インテルでの居場所も失った。

 その冬、インテルがサンプドリアから獲得したエデルの背番号は23。私も目を疑ったが、彼は思い入れの強かったであろう背番号までも失った。サネッティやマテラッツィの幻影に苦しんだ、とまでは言い切れないが、結果を見れば少々荷が重かったのだろうと思わざるを得なかった。

 1年後の冬、サンプドリアから帰ってきてそのままプレミアリーグのハル・シティにレンタル移籍。まずまずの活躍を見せていると知って嬉しかった。

 そして2017年夏、彼はインテルに帰ってきた。いつしかオーナーは変わり、監督もマンチーニではなくなっていた。新監督にはスパレッティが就任した。当初ラノッキアは移籍を希望していたというし、私もそうなるものだと思っていた。彼のインテルでの時間は残念ながら既に終わったと思っていたからだ。しかしラノッキアは残留を決めた。その根底にはインテルへの変わらぬ愛情があったことは間違いないだろう。

 その時から退団に至るまで、彼はずっと控えCBであった。スタメンで試合に出たのは数えるほどしかない。総合的なディフェンス能力ではシュクリニアルやデ・フライとは差があった。それでも彼がことあるごとに示してきた信じられないほどの真摯さ、プロフェッショナリズム、インテルへの愛着は唯一無二のものだと感じたから、筆者は彼が試合に出ると嬉しくなったし、全力で応援したくなった。さらにコンテが就任した2019年以降は、ゲームキャプテンを務めることもしばしばあった。かつての主将がクラブでの居場所をなくしたのち帰ってきてキャプテンマークを巻く———。そこには言葉にできない感情がある。

 2021年、コンテ政権下でインテルはリーグを制し、10年ぶりのタイトルに酔いしれた。暗黒期と揶揄されるインテルの2010年代の大半を過ごし、おそらく辛いことの方が多かったであろうラノッキアも、とびきりの笑顔でカップを掲げていた。その側頭部には白髪が混じっていた。

 文字通り彼は、インテルに恋をしていたのだろう。入団してこのかた10年あまり。

 絶えることなく。

 間違いなく筆者がラノッキアに抱く感情は8年前とは違う。筆者だけではない。かつて多くの批判を浴びせた多くのファンは気づけば、インテルに恋し続けるラノッキアに恋をしていた。と、思う。彼が愚直なまでに示してきたインテルへの愛情や、彼の振る舞い一つ一つがそうさせたのは明らかである。

 本人からもそうなることを期待されたネスタ2世がネスタになることはなかった。10年以上前のバーリ時代にボヌッチと強固なディフェンスラインを築いていたことはよく知られているが、クラブでも代表でも確固たる地位を確立した元相棒のようになることもなかった。インテルでは賞賛より批判の方が多かったかもしれない。プレー時間よりベンチを温めた時間の方が長かったかもしれない。しかし彼は彼にしか歩めない、全インテリスタの記憶に残る確かなキャリアを刻んだ。少なくとも私はここ10年で、彼ほど自らの評価を振る舞いで変えさせた選手を知らないし、彼ほどフォアザチームの精神を体現した選手を知らないし、彼ほどインテルというクラブそのものを愛した選手を知らない。

 本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。


 読んでいただきありがとうございました。彼の本当にイケメンなところは外見ではないことが伝われば幸いです。

 最後に、Gazzetta紙が掲載した文を載せておしまいにします。訳はnato(@nattou2017)様によるものです。


ラノッキアはインテルで長年にわたり言葉だけでなく、自分のことよりチームの利益を優先し、少ない出場回数でもグループを引っ張るよう常に背中を押してきた。他の選手が日曜日にプレーすると分かっていてもトレーニングに全てを捧げ、チームメイトにも同じことを強要したあの魂だ。

https://twitter.com/nattou2017/status/1572884749261369345?s=46&t=3OQ5nHVZqXKfegeaiB0cCw


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?