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曖昧な過去

赤いセーターと赤い口紅が突然欲しくなり、ここのところ頭の中は赤でいっぱいだ。

赤で思い出すことがある。大学時代だったか就職活動だったか、もはや幻だったのかわからないけど、六本木の着物を着てお座敷で接客する場所でバイトしたことがあった。短期だったと思う。曖昧すぎて、もしかしたら六本木じゃないかもしれない。

有名人やどこそこのお偉いさんなどが利用する店だけど、垢抜けない私を雇うぐらいだから、そんなに敷居が高い店ではなかったはずだ。お座敷がいくつかあって、人工の川にアーチ状の橋もあり、照明が赤く遊女になった気分だった。大事な席でお呼びがかかるのは、女から見ても色っぽい先輩たち。でも彼女たちはすごく優しかったし、お化粧の仕方も教わった。私はその他大勢の女の子達とおしゃべりしながら待機してることの方が多かった、気がする。私のような短期はほとんどいなく、年はさほど変わらないのに、みんな女を纏った女達で、一回りも年上の男性とお付き合いしていて、今度ふろふき大根を作ってあげるの、って話してくれた子がいた。

20代の頃は赤い口紅なんて全然似合わなかった。アクセサリーもゴールドよりシルバーで、ゴールドが似合う気がしなかった。今はシルバーが似合わない。

シフトが入ると、その日だけは自分が持ってる中で一番赤い口紅をつけた。それでも女将さんみたいな人に「もうちょっと赤味を」と注意されてたが、これ以上赤い口紅を買っても、日常生活で使うことはまずないと思って、なんとか逃げていた。隣で鏡を見ながら赤い紅をリップブラシで塗る、花形の先輩はとても艶っぽく、いつか年を重ねればあんな風になれるのか、いや、無理だろうな、と早々に諦めてはいたが、そっち側の女性にひどく憧れてた。

気がする、しか出てこない。もうそのお店は多分、ない。

曖昧な記憶が何かの拍子に思い出されるのは、老いの症状の一種なのかな。

その頃、散々飲んで踊って、終電を逃して早朝をウロウロしていた時だったか、あるいはその着物バイトの前だったか、ある日、日がまだ明るい時間帯にパキスタン人にナンパされた。「吉野家の前で声かけるなんて、どうかしてる」と思ったことだけは鮮明だ。なんでそのことを思い出したかと言うと、クローゼットを整理していたら、GUESSのGジャンを見つけ、そういえばパキスタン製だったこと思い出したからだ。

いよいよ記憶が定かではないけど、そのパキスタン人は、昨日自分は誕生日で友達にお祝いをしてもらったこと、母国の絨毯を見せながらもっと説明したい、ってことを言ってた気がする。よほど当時の私は頭が空っぽだったのだろう。今思えば、危険すぎるのに、本場の絨毯というのを見てみたくて、ついて行った。

ここから先をしっかり覚えていたら、ちょっとは何かに使えただろうに、残念ながら覚えているのは、誕生日ケーキの残りがあったことと、大事そうに絨毯を持って一所懸命説明していたパキスタン人のことだけ。そして、途中でこの状況が流石に危険だと気がつき、相手を刺激しないように、できるだけ柔らかく、その部屋を去った。多分。

その遠く曖昧な記憶の絨毯も、美しい赤色だった。


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