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真に異なる時代の小説を書くことは難しい

真に異なる時代の小説を書くことは難しい。

と言うのも、時代が異なると善悪の判断基準が現代と異なってしまう。そして、出来るだけその時代に忠実に書こうとすると、つまり忠実に会話文を書いたり、登場人物の胸中の思いや考えを書いたりすると出版出来ないレベルの物に仕上がってしまう。

例えば、AD1000年ごろの中世を書いたら、異教徒は人じゃないので殺しても全く問題無い訳だし、命や体をもてあそんでも良い。異教徒殺しまくりたい、なんて発話も当時ならOKだし、むしろ戦士として歓迎されたかもしれない。でも、今そんな内容を1冊にわたって書いたら読者の善悪の観念をむしばんでしまうし、それで異教徒を殺したいと思う読者が現れても困る。当時の何の変哲もない内容が、現代では禁書になる、出版禁止になるレベルの内容になる。

ヴィンランド・サガと言う、中世の北欧のバイキングについて描かれた漫画・アニメがあって、僕はそれが結構好きなのだけど、現代ではなかなかあり得ないような描写が結構ある。例えば、ある村から戦争に行く男たちを集めるシーンで、村人たちは嬉々としてお父さんや息子を送り出していた。死んでしまうとか、人を殺してほしくないみたいな悲壮に満ちた描写は無く、うまくいけば財宝を持って帰ってきてくれるかも、楽しみ、みたいな顔を、送り出す側も送り出される側もしていた。当時とは時代も違うし、環境も違うし、宗教も違うし、死生観も違うので、まぁ死んだら死んだでいいかくらいのことだったのだと思う。と言うか、当時はもっと死が身近で、少し風邪ひいたくらいで死んでしまうような世界なので、夫や息子、父親が戦争に行って死んでも、それほどなんとも思わなかったのかも。
でも現代でこの描写を見るとなかなか違和感があるし、これを見て若者が喜んで戦争に行ってもらっても困る。だから、嬉々として戦争に行く描写をあんまりされてもアニメとして困るわけ。史実に忠実に書こうとすると現代では倫理的に問題が発生してしまう。

今とは違う価値観を知るのは、現代を俯瞰する上で非常に興味深く、楽しいものではある。しかし、現代と違う価値観を育みうる描写は、現代では到底許容できないだろう。ここに、異なる時代の物語を真に書くことの難しさがある。まぁ僕は小説書かないんだけどね。

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