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『LOVELETTER FROM KAMATA ep』Liner Notes by KOJI WAKUI

 現代のアメリカ音楽界では屈指のギタリスト、マーク・リボーにインタヴューしたときに、ボブ・ディランの話になった。ちょうど私がディラン公認の日本語カヴァー・アルバムを出したときで、そのCDを渡したからだろう。プレゼントへのお返しのつもりがあったのかもしれないが、「アメリカ人でもよくわからない歌詞をどうやって日本語にしたんだい?」と感心してくれたマーク、自分の取材なんかよりよっぽど面白いと言わんばかりにボブ・ディランを語り始めたのだ。

 フォークという枠の中で初期のディランがいかに特殊だったか、とか、エレキを持ってロックに踏み込んだことがどれだけ革命的だったか、また、1966年7月のバイク事故のあと身を隠したことがどれだけミステリアスだったか…。ノリノリで話すマークはかなりのディラン・フリークと思われた。

 けれど、しばらくすると彼は「うーん」と目を宙に泳がせて、こう言ったのだ。

 「でも、あの人の最大の発明は“ボブ・ディラン”て名前だろうな。日本人にはわからないと思うけど、本名のロバート・ジンママンじゃきっと売れなかったよ。ジンママンなんて男が、ポップだったりヒップだったりするわけがないからね。世のジンママンさんには悪いけど、アルバムのジャケットに“ロバート・ジンママン”と記されているのと“ボブ・ディラン”じゃ雲泥の差なんだ。日本にもダサイ名前はあると思うけど、“ボブ・ディラン”のカッコ良さは半端じゃない。何かやるヤツって匂いがする名前だからね」

 面白い話だと思った。私はそれ以来、表現者の名前を気にするようになったのだが、ミュージシャンや俳優より本人の顔と作品が直結しない作家や映画監督で考えてみると、その名前で世に出た時点で勝ち、と言えるような人がたくさんいる。フランツ・カフカ、アーネスト・ヘミングウェイ、ジャック・ケルアック、フェデリコ・フェリーニ、ジャン・リュック・ゴダール、スタンリー・キューブリック…なんて、どーよ。いかにも凄い作品を残しそうではないか。

 と、思っていたら、「印象派」である。最初に紙資料をもらったとき、それはキャッチ・コピーなのかと思って、グループ名を探しちゃったじゃん。おいおい、「印象派」って名乗るか? そこの女子ふたりー、センスが変なんじゃないか? 逆に行ったつもりー?なんて頭の中で文句つけながらドッサリ送られてきた音源を聴いていたら、この名前、とんでもないってことがわかってきた。ふつう「印象派」と言えば、あるジャンルの中での立ち位置を示す言葉だよね、「印象派の絵画」とか、「プログレッシヴ・ロックの印象派」とか…。

 けれどこの娘たちの、ヒップホップとオルタナ・ロックと歌謡曲を一緒にしたような音は、ジャンルの大きな枠をぶち壊している。だから「印象派」は、従来のこの言葉の意味を粉砕しているのだ。

 詞も曲も、アレンジや演奏も、確固たる意志の賜物と言えるほど絶対的なのに、いま立ち位置を明確にすることがどれほど安っぽいか、行間から漂う意味をなきものにしてしまうかを知っているように、ふたりは「決定」を迂回しているのである。

 なるほど、そういう意味ではまさに「印象派」だ。どんなに明快なヴィジュアルを見せられても「写真はイメージです。」と一言添えられていれば、誰もそれが真実の姿・形だとは思わない。心理作戦、もしくはトリックだと疑う人もいるだろうが、彼女たちが「印象派」と名乗ったことを、私はある種の「哲学」だと感じているぐらいだ。

 世の中のすべてが点と線でできていることを示唆した曲が、個人的にはいちばん気に入っている。あえてタイトルは書かないから、知らない人は出会えるまで探してほしい。

 サービス満点のJポップに慣れてしまった人には、ミッションだらけの「印象派」の音楽は少し難しいだろう。けれど、点と点を結んでできた線が、別の線や新たな点と、どうリンクしていくかを発見することが「芸術」なのである。アーティストとは名ばかりの三文楽士と芸のない芸人が持て囃されるこの国の実像に、「写真はイメージです。」と書き添える女子ふたりを、私は頼もしく思う。

 で、この新作EP『LOVELETTER FROM KAMATA』だ。

 カナダではなくて、蒲田。おじさんたちは笑うだろうが、若いヤツらはどう反応するのかな? まぁ、インポテンツ同然の草食男子を狙っても世の中なんにも変わらないから、おじさんと女子狙いなのかもしれない。そういうところからも「現代」への視線が感じられるのだが、チクチクする棘は自分の方に向けて、相手には〈あり得ぬほどに大雑把〉な投げかけしかしてこないのがあり得ぬほどに気が利いていると思う。椎名林檎とか大森靖子みたいな「女の売り方」は作戦でしかないと気づいているちょっと利口なおじさんと女子にも、間違いなくジャスト・フィットだ。相変わらず聴きどころ満載の一曲一曲には、もう少し抜いてもいいんじゃない?とは思うのだが、EPだからEか。気持ちの余裕は、そうきたかというカヴァー〈WOMAN~Wの悲劇より〉に表れているから、次のアルバム『TYPHOON!』(仮)への期待は大である。

 どこまで行くんだ? MICAとMIU。〈ふたりはイケるわ〉じゃなくて、みんなを連れてってくれよ。

 でも、ビートルズだってディランだって、あの60年代には大衆に迎合することなく、どこまでも勝手に行ってしまったのだ。おじさんにそういう〈ロック〉を思い出させるところが、「印象派」とか言っておきながらの凄みなのである。ったく「したたか」だぜ。

2016年10月21日 和久井光司

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