琉球廻戦 2
【弐】
「なにこれ、作り物?」
大城はやっとの思いで思考を言葉にする事に成功した。
「この猿、生きてるわけ?」
島袋もそれに続く。
二人の眼前には身の丈3メートルはあろうかというオランウータンが鉄の檻の中で鎮座していた。身体が一定のリズムで膨らんだり縮んだりしている所を見るに呼吸をしているのは明白で、つまり生きている。
「このオランウータンは親分が大阪の兄弟分から好意で譲り受けたものらしいさ。動物好きの親分はこいつを大層気に入っているんだけど、中々大食いで世話が焼けるのよ。」
鉄格子の間から覗く眼光が、その猿のひとかたならぬ凶暴性を物語っている。異形、と言う他無かった。動物園で何度か目にしたオランウータンよりも明らかに3回りは大きい。また、その目に宿る光は高い知性を感じさせた。
オランウータンはその名を「彦」と呼ぶらしかった。
「彦の世話をお願いしたいさ。世話と言っても、決められた時刻に餌をやるだけ。簡単でしょ。」
島袋は急激に帰りたくなった。恐らくこの仕事を完璧にこなしたとしても、その先に期待しているようなヤクザドリームなど待ってはいない事が何となく分かったのだ。この化物の世話という厄介事を押し付けられた後、のらりくらりと時間だけが過ぎていって、決して組長に口を利いて貰えたりとか、それこそお茶汲みすらさせて貰えることは無いのだろう。
「なはは!そんな暗い顔しないでよ!大丈夫。ホントに少しの間だけだから。元々の世話係の奴が別の用事出来ちゃって、代わりの人間を今探してるんだけど本当にその間だけだから。留守番かなんかだと思ってくれたらいいさ。」
「あの…」
「ん?」
大城が話し始めた。
「今日は一旦帰って、また考えてから連絡しても良いですか?あんまり適当に返事しても申し訳ないんで、ゆっくり考えたくて…」
「殺すぞ。」
「え?」
「いやだから、殺すぞって。おめぇさ、脳味噌の代わりに海ぶどうでも詰まってんのか?組の施設の地下まで案内させて秘密もしっかり見て、それでそのまま帰ってまた野球出来ると思ってんのかって。ここは大阪じゃねえんだから、そんな本場のお笑いやられても困るわけさ。お前らは彦の世話をするの。この先ずっと。もう決まった事だから。」
知念は急に演技が面倒にでもなったのか、作り笑いをやめて滔々と高校球児達を脅し始めた。笑みが消えると尚更昆虫の様な目が際立つ。
「え?リアルにどうする?彦の世話するの嫌なら悪いけど殺すよ。当たり前さ?サツに歌われても(密告されても)困るし。大方ヤクザにでもなれば辛い仕事とかしなくても楽して儲けられるとか思ってたんだろうけどさ、正直殺してやりたいよ、お前ら。昔の俺を見てるみたいで。」
ガチガチガチ、と、大城の上顎と下顎がぶつかり合う音がコンクリート造の建物に冷たく響いた。
「俺この後国際通りで飲み会あるから。後ちゃんとしとけよ。たまに様子見に来るけど、逃げてたら家族全員殺すからな。」
「ひぃ」
大城が恐怖のあまり踵を返して全力疾走で逃げ出した。
「なはは。」
知念は走り去る大城を昆虫の目で一瞥した後、拳銃で後頭部を撃ち抜いて射殺した。
「あああ!!!」
島袋が絶叫する。
名門野球部員の瞬足を嘲笑うかのように鉛玉は超スピードで大城の脳髄を通過し、灰色の脳漿がヒンヤリとした床に散らばった。
「あっちのゴミは一応脳味噌詰まってたみたいよ。もう詰まってないけど。お前もさ、脳味噌詰まってるうちに言うこと聞いたら?」
腰が抜けて小便を漏らした島袋を背に、知念は「ちばりよー」とだけ行ってどこかへ去っていった。
途方に暮れる島袋の横で、檻の中の彦が少し笑った気がした。
つづく
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