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私的アニメ語り
ガリアンについて語る。
この作品、ガリアンブレードだけが有名になりがちだが、古典的SF作品としてしっかり固められた良作である。
誰もがこの作品をお手本にしたらいいと思うほど優れている。
まるで子供のころ、図書館で読んだHGウェルズやマーク・トウェーン の読後感を思わせるほど良作なのだ。
ただ少しいろいろと問題あって、やはりこれは高橋良輔監督の色が強く出ているとも言える。
子供の頃、買った、ガリアンのカセットにライナーノートらしきものがあって、物語はジョジョとチュルルに的を絞って展開するような事が書いてあった。
要するに物語はこの二人を視聴者が好きになってくれればそれで完結してもいい。マーダルのような悪役。ヒルムカのような謎の女。濃い脇役がいるが、それらはジョジョとチュルルを盛り立てる為に存在するだけで、それ以上のものではないと・・・・・・
ただ他に、ジョジョが「ニュートラル」過ぎると言うような記述もある。
高橋良輔監督に共通する「主人公がモブ化」してしまうという特徴。
ボトムズのキリコなんかは第一話から戦争で徴兵された一兵士という位置づけだったし、ダグラムのクリン・カシムも主人公という認識はあるが、ガンダムのアムロやシャアほど特徴ある性格を示していなかったように思う。
いうなれば普通の人である。
ガリアンも例にもれず主人公のジョジョはかなり「普通」だったように思える。むしろ後半、物語の舞台であるクレセント銀河まで広がり、舞台裏の詳細が示されたあたりのマーダルの存在感。
最終回近くで主役のジョジョとマーダルの存在感が逆転し、マーダルが主役のダークSFと言ってもいい展開だった。
私を含め、ボトムズが好きな高橋監督のファンはむしろこのダークな展開のほうが好まれるが、ガリアンはこれではいけないのである。
ジョジョがマーダルの元まで駆けつける原因になったジョジョの母親のフェリアをマーダルがさらった理由も希薄だし999のパクりと思われても仕方ない。
もしかしたら999のように少年が成長する物語を作りたかったのかもしれない。だが、ランプレートという超文明の栄光と衰退。それを危惧し反逆者となったマーダル。完全に高橋監督の十八番芸である世界観、歴史の潮流、文明の裏に隠された超意識・・・・設定語りというと言葉が悪いが、これこそ高橋作品の真骨頂であり、我々ファンもそこが好きで見ていたはずだ。
だが繰り返しになるがガリアンはそうではいけなかった。
ラストのエンディングでジョジョがボーダー国王を引き継ぎ、チュルルと結婚?したらしき所で物語は終わるが、まるでAmazon本社のシアトルまで行って頑張ったのに東京の下町に戻って個人書店の店主となって終わるような尻すぼみ感は否めない。
ボーダー王国継承でめでたしめでたしとするなら、クレセント銀河を出しちゃいけなかったし、マーダルの故郷である惑星ランプレートに舞台を移すべきじゃなかった。
上記の大がかりな背景はほんのちょっと匂わせる程度で良かったし、何よりジョジョとチュルルの性格描写、エピソードが足りな過ぎた。
つまり高橋良輔監督は自分が最も苦手とする話を作ろうとしていたのである。
先のライナーノートに載っていた「視聴者が主役を好きになってくれればいい」と言うのは、どんな作品にも言える大原則ではないかと思う。
これさえ出来ればどんな作品も合格である。
これさえ出来ればどんな脚本家も引っ張りだこになれる。
でもそれができている作品ってどれだけあるだろう?
意外と少ないのではないか?
私の知る限りでは、それに成功しているのはメジャーな作品で「仮面ライダー電王」と、かなり古くなるが「赤い光弾ジリオン」だ。
この二つは主役級のキャラを視聴者が好きにさせることに成功していた。
ガリアンは作品作りの骨子となる重要なヒントをくれながら、自身がそれを実践出来なかった作品だ。
かと言って残念な作品ではなく、伝統的SFとして王道を極めたとも言える良作である。
特に前半の白い谷のイザコザから惑星ランプレートに急展開する後半の流れは対照的と言えるほど面白さが倍増している。
白い谷の部分を一話にしてもいいぐらい、ガリアンと言う作品は後半にこそ物語の醍醐味がある。
さて、高橋監督はこの後、レイズナーを世に出しているが、この作品は「主役キャラを好きにさせる」ことにある程度成功していると思える。詳しくは分からないが、中にいたアニメーターの谷口守泰氏の影響が強かったと思う。うまく言えないが、なんとかエイジ主人公たちの青春グラフィティみたいにはなっている。
それに比べて、エイジの故郷のグラドスや、グラドス配下となってしまった地球人類の描写は希薄だ。
最終的にグラドスの超文明的話になってしまうが、そこでもエイジとル・カインの対決に演出を絞っている。
世界観に目が行きがちなのを主役を盛り立てる方向になんとか舵を切っている感じだ。
長くなりそうなのでレイズナーについてはいつか話そうと思う。
ガリアンに関しては、作品作りの重要なヒントを提示してくれた作品として私の胸にずっと刻み込まれるだろう。
とまとめておきます。
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