「はぐれもの」
お久しぶりです。どこかの獣医学生です。
何やかんやと忙しい日々を送っていて、気付いたら前の記事を書いてから半年以上経過していました。時が経つのは早いものです。
この一年、適応障害を発症したり、教授からパワハラを受けたりしながらどうにか生命だけは繋げてきたという感じで、正直あまり記憶がありません。
そのせいか元々バイセクシャル寄りのヘテロセクシャルと自認していましたが、うっかりホモセクシャル寄りに転向するような事態になりました。まぁそもそも恋人なんていないのでどうなろうとオールオッケーですが。
今回も隙あらば自分語りです。
「はぐれもの」
私という人間を、私のこれまで歩んできた人生を一言でまとめるならこの五文字で済むでしょう。
まぁ、相当変わり者でないと獣医学科なんて入らないので当たり前といえば当たり前なのですが。
幼い頃から私は「はぐれもの」でした。
「普通に過ごす」という、皆が当たり前に出来ることが出来なかったのです。
小中高と「友達」という存在に憧れ続けて、失敗して虐められて、それでも諦めきれずに「普通」になろうとして、失敗して…という繰り返しでした。
ほら、転校生とかに真っ先に話しかけにいく人間。それが私でした。
その後、ある程度仲良くなった転校生は別のグループで友達を作るまでがいつものひと通りの流れでした。
私は、誰の友達にもなれなかった。
あ、辛い話では無いです。今は獣医学科という変わり者の集まりの中でそれなりに友達にも恵まれています。
小中高でたくさん失敗していなければ、今も「はぐれもの」のままだったでしょうから。
同い年の子の中で、私はとにかく「異質」でした。自分で言うとめちゃくちゃイタイ奴みたいですが、まぁそこは一旦置いておいて。
友人どころか、はるかに立場が上の先生に対しても矛盾を看過することが出来ない。
幼い頃からやりたいことが決まっていて、そのための努力を惜しまない。
承認欲求が強く、他人に嫉妬はするけれど、その努力は邪魔しない。
知識に貪欲で、負けず嫌い。それが私という人間です。
こうやって書くと凄く出来た人間のように見えますが、内実は「やりたいことしかやりたくないオタク」です。
だからこそ、「専門性が高く」「やりたいことだけやれる」大学という場所が自分に合っていたのだと思います。
ところが、周りの子供たちは違いました。
自分が何をしたいのかが分からず、他人どころか自分を傷付ける恐怖もなく、そのくせ自分の痛みには人一倍敏感で、一度転んだら転んだ体勢のまま転んだ場所を指さして、
「こんな所に小石があったのが悪い。」
そう豪語する子供たちばかりでした。
小石という喩えでは伝わりづらいかもしれません。
朝の天気予報で「夕方から雨が降るでしょう」と言われていたにも関わらず、傘を持たずに外に出て、案の定びしょ濡れになりながら「雨が降るのが悪い」と言っているようにしか見えませんでした。
「なぜ小石が見えなかったのか?」
「なぜ転んだままの体勢でいるのか?」
「いや、それよりもどうして自分で行く道すら自分で決められないのか?」
私にはさっぱり分かりませんでした。
その方が楽だから
なんだと、今なら少しはわかるような気がします。
そういった子供たちの中で、独り嬉々として茨の道を歩こうとする私はさぞ奇妙なものに見えたでしょう。
だから、私は「はぐれもの」になったのです。
大学に入って、幸いにも同期に恵まれて、周りの人は私と同じように嬉々として茨の道を歩んできた人達ばかりでした。
しかし、後輩たちは違いました。
私が見てきた子供たちと同じように、恐れを知らず、自分のやりたいことも分からないのに、自分の痛みにとても敏感な後輩たち。
案の定、私や私の周りの同期たちは、この後輩たちにひどく傷付けられました。
それこそ、私の一番近しい友人は、一時人が変わったように攻撃的になってしまうほどに。
自分のやりたいことすら分からない、とはどういった感情があるのでしょう。
それは果たして人間と言えるのでしょうか。…いえ、それは言い過ぎですかね。
少なくとも、恐れを知らない、ということは、とても恐ろしいことです。
正しく恐怖することを学んでこなかった人間は、とても臆病で、傲慢で、いるだけで周りを巻き込んで傷付ける災害みたいな存在に成り果てます。
これから、そんな大人が増えていくのでしょう。
もしかしたら、もうそんな大人ばかりになってしまっているのかもしれませんが。
せめて自分だけはそのような存在になりたくないと思い、ここに記しました。
では、子供たちはどうすれば良かったのでしょう。
思うに、小中高と「良い子」であった子供ほど、やりたいこともなく、傷付くことも知らない子が多いように感じます。
誰かに思い切り反抗したことはありますか?
30も40も上の「先生」が言う矛盾に楯突いたことは?
道端に咲く花の名前を、その花に集う虫の一生を、夕紅に染まる空の色を、煌々と光る電飾の仕組みを知りたいと思ったことはありますか?
思うに、単純なことなのでしょう。
考えなければ、人は人ではなくなってしまう。
子供たちは、後輩たちは、考えることを辞めてしまっただけなのです。
「大人にとって」都合の「良い子」であるために。
そのために私や私の大切な友人を傷つけた罪は重いですが、学生のうちはまだ情状酌量の余地があるでしょう。
社会に出てからは容赦しませんが。
とまあ、色々と書き散らしましたが、来年には親戚に子供が生まれるそうなので、せめて私の目が黒いうちは、その子はそんな存在にならないように気をつけるくらいしか私には出来そうにありません。
その子が「はぐれもの」にならないための助言も、出来ればしてあげられたらと思いますが…。
それでは、また。
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