2022→2023

お久しぶりです。でーたかです。
あまりにnoteを書くのが久しぶりすぎて、noteのロゴが変わっていることに驚きました。
きっともう毎日チェックしてくれていた友人も、適度にチェックしてくれていた友人も見なくなってしまったであろう年の瀬に、一年の振り返りをしていこうと思います。

長い一年、今年の漢字

年を重ねれば重ねるほど、時間の流れを早く感じてどんどん一年が早く終わってしまったように感じてきた20年だったけど、今年はとても長く感じる一年でした。幼少期の時は様々な刺激が新鮮なため、新たに記憶される情報が多いが、大人になるにつれてそれらが減っていくため時間が早く感じると聞いたことがあります。
今年を長く感じた分だけ多くのことを学んだんだと思います。

サウナの中でK君に聞かれた今年の漢字、自分は「紀」と答えました。
「紀」とは地質時代の分類法の一つでジュラ紀やペルム紀など、一つの時代を表すのに用います。そこでぼくはこの一年で自分の中に多くの価値観や生き方が生まれては更新をしていったのを、僕の人生の中でも大きな転換点になったという意味を込めて「紀」としました。

では、今年をはじめの方から振り返っていきます。
自分はちょうど一年前、正月の帰省で両親に休学について話をしました。
振り返れば、多少無理のある説得だったようにも思いますが自分から自分の進路に関して両親に主張しそれを認めてもらったのは自分の中では一つの重要なイベントだったと思います。
1月は文科省のアントレ講座がとても刺激的でわくわくしながら受けつつ、現在も取り組んでいるみんなのチャレンジ基地ICLaの基礎が固まり内覧をするなかでUTーBASEの静大版を作ろうと構想をするもうまくいかないなど、内側から湧き出る無知で純粋なエネルギーの使い方を探している時期でもあったと思います。
2月ごろは1月の延長でエネルギーの使い方のわからぬまま苦しい中で少しづつ内省の行い方を身に着けていった時期だったと思います。
物事や過去の出来事、自分の考え方や価値観をとらえなおしそれを次につなげるようにあみなおす。こういうことの基礎を育てた時期でした。
そして3月は既存のコミュニティからの脱却と新しいアクションの月でした。寮を抜け一人暮らしを始め、1年ほどしたバイトもやめ、新たな仲間とSWに参加し挫折を味わいました。この時は自分の力を最大限生かすための、自分と向き合う力と言語化する力が足りませんでした。
4月は失敗に対し、自分の好きなことからの事興しならば折れることはないと思いSWに参加しました。これは多少は有効で、それなりの言語化とモチベーションを持つことはできましたがSWが終わってからは続きませんでした。これは一つ、”好き”の解像度の低さがあったと思います。それのどこが、何が得られるから、どんな時かなどの解像度が低く、その”好き”の上の積みあがったいろいろな行動が浅いモノになってしまったと思います。またこの時は、熱狂的に好きだと思えることがないことについて、自分には原体験がないからだと思ってしまいました。今では、自分の過去の出来事は捉え方次第でいくらでも紡ぎなおすことができると思っていますが、それに気づくことができていませんでした。そのため4月を境に自分が物事を興すということを控えるようになりました。
そして5、6月はある種の引きこもり期間となります。
自分の周りの世界をとらえなおし、どう生きたいのかを考えるよい時期だったともいえるかもしれませんが、そんな風に社会に対して何もアクションを起こしていない自分を肯定できずにいた苦しい時期でもありました。
この時は、生き方に王道があると思っていました。
誰もが納得するようなきれいなストーリーと、すがすがしいほどの一貫性を持つべきだという固定観念にとらわれていました。
また何かのアクションする機会があっても自分で自分の行動を制限してしまう性格も悪さをしたと思います。常にいろいろな視点からの意見が自分の中にあり、それらから自分は一つを選ぶことができず、また何かしらの社会実装を行う前に、自分の頭の中で完結・反論してしまうというものです。
この状況を脱却するために、このころから感性を磨き始めました。感性によって選択するにかかるコストを下げようと考えました。
しかし、社会実装をする前に諦めてしまう癖には有効な手段を考えることができませんでした。
7月に入ると、K君の行うあむラボが本格的に始動し自分もチームに入りました。簡単に言えば自分で事興しができないから人の事興しに乗っかったということです。そして新しい人との出会いもありました。
その人には自分が今まで知らなかった多くの豊かさを教えてもらっています。
またこの頃になると、少しづつ物事の本質をみる力が養われてきた感覚がありました。何かしらの物事について考えるときの思考するときに頭がクリアに捉えることができていました。そして周りの人にもその違いを指摘されるようになりました。
8月には、失敗もありました。ここでは、自分の発言の重さが大きくなっていること、相手との認識をしっかりとすり合わせていくことの大切さ、自分にも1社会人としての意志の強さを持つ必要性を感じました。
またこの月は自分が思っていた生き方の王道に小さな疑いがおきた月でもありました。それはSW名古屋で知り合った経営者の方で、その方は指針を示し続ける経営者を諦め、その指示の下でオペレーションをおこなう役割についたら、それが自分に合っていたとおっしゃっていました。そこで自分の思う王道の生き方に関して捉えなおすことが始まりました。
そして9月に入ると、みんなのチャレンジ基地ICLaが本格的に始動します。この時、学生チームリーダーという役職をもらいICLaの中で動いていくことになるのですがこの役割を引き受けるというのも自分には大きな決断でした。社会に対して何かアクションを行った経験があまりに少なかった自分には、ICLaというとても整備された安全な環境でさえ、一定の責任を背負い自ら物事を動かしていくことに関して恐れをもってました。(今思えば、ICLaの運営責任をもつNPO法人ESUNEについてよく知らずほとんど関わりがないなかで、自分が本気で生業にしていきたいと思えていないことに関して多くのエネルギーを割くことと責任を負うことの恐れだったようにも思えます。)
10月~12月はICLaとあむラボの運営に生活の7割を割いていました。
これらの生活の中で、自分は多くの失敗をし、試行をし、いろいろなことを学びました。そんな環境を作ってくれた周りの人たちには心の底から感謝をしています。
しかしまだ自分には、自分のアイデンティティになるほどの物事をしていないという感覚があります。どこか人の思いや物事、居場所を間借りしているような感覚です。どこか空虚で自分のストーリーになっていないような感覚。
これを克服するにはきっと、今行ってきたことの語りなおしも必要ですが、自分で決めた責任を自分で背負うというアクションが必要になると感じています。2023年は、自分のアイデンティティにとって大きな要因となれるような年にしたいです。

2022年に得た大きな気づきと変化した価値観

・○○×自分
多くの物事は何かと何かの掛け合わせで行われてきている。そんな中、自分という存在を何かしらの形で社会に実装していくとき、自分と掛け合わせることによって、実装を図っていく。
・モザイク性
アイデンティティにおけるわかりやすくてきれいなものは錯覚に近い。人は時、場所、相手などによってさまざまなものに変化するもので、単純にも思える要素が複雑に入り混じっている。わかりやすくきれいに見えるアイデンティティはほんの一部を切り取ってものである。
・断続性
物事をやめる、ということ。適度に手放し、再構築していく。手放し、新しいことを始めるたびに物事をとらえなおし、あみなおす。

2023年の抱負

・アイデンティティになる内発的アクションをとる
・コスパ思考からの脱却
・豊かさの甘受


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