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死についての捉え方

今日は桶屋さんと仕事でお話しする機会があって、面白いなーと思ったことについてもうすでにうろ覚えですが書いていこうかと。

桶の作り方をベースに色々な機能や形を変えることによって新しいものに挑戦している桶屋さんです。(普通の桶も良い!というか普通がちゃんと作れるから良い。画像はみかんが入っているが、桶のお弁当箱)

今日、話している中で「死ぬことは怖いし、死にたくない。やりたい事がいっぱいありすぎて今死ぬとしたら絶対後悔する。」という事でした。(正確な表現ではなくざっくり要約です)

また、その時に一緒にいた方は「今死ぬとしたら、まー仕方ないかなとおもっているけれど、現実逃避しているのかもしれない。死は隣り合わせにあるけれど、そうは言ってもなんだかんだあると思っていない。」と話されていて、捉え方や感じ方が違うことに面白さを感じてました。

僕の中では死は常に近くにいるもので、自分の意思とは関係なくやってくるものだと思ってます。やりたい事や守るものがいっぱいありけれど、それが訪れた時はそうゆうもんだと思ってる。(決して死にたいわけではないので、不意に背中を叩かれたときには必死に死にたくないと叫ぶだろう。)

今、死についての身近に感じている人も少なくないだろう。捉え方み眺める方向でこんなにも違うのだなと発見し、面白いなと思っている。(面白い=興味深いとしての使い方)

よくよく思い返してみると最初の死との出会いは小学生の時だった。曾祖母が亡くなった時、その頃はまだ家で葬式をしていた。
布団から棺に移す時に「お前も手伝え」と言われて曾祖母に触れた。

今でも鮮明に覚えている。
人はこんなにも冷たくなるものなのだと。

恐怖とか嫌悪、拒絶などは全くなかった。
実感は全然無かったが、その時確実に感じた死という日常。

僕の中では常に隣の日常だ。一歩外を出れば目の前に現れるかもしれないし、1時間後には大切な人の前に現れるかもしれない。でもそれは日常で、かと言って受け入れているわけでもない。争う為に毎日を過ごしているし、逆に生きているのだから出来るだけ楽しむことにしている。

だからこそ今この時を自分で選んで生きていたいと思っているし、後悔しない選択をし続けたい。

結果、たくさん色々な事があるけれど楽しいに越したことはない。

今からYouTubeや大好きなゲームをして、アニメを観て、大切な人と楽しいことを共有していくのだ。

やっぱり纏りがつかない。どうすれば纏りのある文章が書けるのだろう。謎。

敬具









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