元々ツイッターのフォロワーが2万人いる人が適当に書いた小説が、カクヨムコンテストを受賞した当時、私は怒りに震えていました。
──『お金のある人は家に閉じこもっていても何の苦しみもない』──
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2023年9月7日(木)。16時36分。夏休み二日目。
こんにちは。井上和音です。
『世界はそれでも終わらない』「第5話 またまた新キャラ登場! 「色はお前たちが決めていいぜ」って決め台詞を喋る猫なんだけど!? 今度は怪しくないんだよね!?」
を更新しましたね。とうおこを書き始めて、多分、2時間くらい経ってからやっと1PV付いた感じですね。
まあ、平日ですし。あんまり期待していません。ところで誰も気が付いていないかと思われますが、副題が付きましたね。えらく長い副題。5話分あるのですが、全部副題を付けました。
「第1話 例えば異世界に配信者が居たとしてそれがメリットになることはまず無いのですよ。」
「第2話 初めてのギルドへの勧誘はどったんばったん大騒ぎ! 『モノトーン』いきなりの大ピンチ!」
「第3話 ゆとりゆとり言ってるけど私たちはゆとり世代じゃありませんから! それより大人の会話って一体どういうことよ!」
「第4話 神を殺せる少女との邂逅」
「第5話 またまた新キャラ登場! 「色はお前たちが決めていいぜ」って決め台詞を喋る猫なんだけど!? 今度は怪しくないんだよね!?」
はい。
主人公の年齢を適当に10歳にしたところ、副題をつける際にも私の脳みそまでもが10歳くらいの脳みそになったらしく、このような副題になっています。何これ。プリキュアですかと問いたくなりますが、多分、プリキュアのようなタイトルを付けたかったのでしょう。プリキュアはスマイルプリキュアを少し観ていたくらいにしか分かりません。小説を無理やりにでも書いていたら主人公に脳みそをハッキングされたようで間違いがないようです。
別に異世界転生小説の宣伝をしたいわけではありません。ただ、驚いたことに、「五連休で暇だけどどこまでいけるだろうか」と計画性も何もなしに始めた異世界転生小説でも、やればやれたということです。この五連休での目標の10,000字も突破しましたね。別におめでとうということもないかと思います。何も得ていませんから。
遥か昔に、最初のカクヨムコンテスト。カクヨムコンテストに参加した時の思い出として、小説を100,000字を目指して書いていると、だいたいが70,000字くらい。そこからがきつくなってきた思い出があります。思い出というかおぼろげな記憶ですかね。70,000字くらいから自分でも面白くもなんともない、ただの文字のかさましとしか思えない文章体になっていったのを思い出します。小説を100,000字くらいぺらりと書ける人は凄い人ですよ。売れていようが出版すらされていなかろうが人気がなかろうが、100,000字を超えて完結まで持っていける人は凄いと思います。労力が半端じゃないと思います。
なんとなくですけれども、暇になっているのでオススメに出てくる小説を片っ端から読んでいるわけですが、私と同じくらいの、5話くらいしか書いていなくて、文字数も10,000字程度なのですけれども、既に☆の数が80近い作品とかありますね。私と何が違うのだろうと思うと同時に、文字数が多くても☆が1つの作品とかもあります。これに関しても「私と何が違うのだろう」と思ってしまいます。例えば、その☆を貰っている人が生粋のクリエイターの方で趣味程度に書いていて、クリエイター仲間に「ちょろっとスクロールして☆を三つ押しといて」とかLINEのチャットグループとかで頼んだらすぐに☆とか付きそうですね。他に理由としてはその人が創る作品だったらとにかく何でもいいから☆の評価を付ける人が居たりして。つまりは作品では無くて、その人物へのファン活動──最近は推し活とか言うのか──で小説の評価が決まっていたりしていそうです。昔の、大学生時代の特に何も継続とかしていなかった頃の自分はそういうのが大嫌いでした。元々ツイッターのフォロワーが多い人が、作品の中身が何であれ評価される、そんな仕組みはおかしいのではないのかと思っていました。第一回カクヨムコンテストで受賞された作品とか。名前は言いませんね。
ただ、そうやって継続してきた人が、フォロワーとかも多く持っている人が、本気とかは出さなくても。苦労とか特にすることもなく、勝利に結びついていくのは、そういう社会構造になっているから仕方がないのかなとか今の自分なら思います。
戦ったり問題視したりせずに、諦めるとかいう精神。他人は変えられないしどうでもいいよねという精神。だから一発逆転とか狙わずに、ただ微妙に伸びたり縮んだりするPVに一喜一憂する毎日。自分が活動したところでお金にはならないと覚悟したうえで、ただキーボードを打ち込んでいる日々。東京に出たことがないので、勝手に東京に憧れていますし、東京に出れば自然と人脈とかも熊本とは比にならないくらい増えていくものだと偏屈な見方をしていますが、なんか、東京に出れば成功しそうな気がします。これは病気により一生実家から離れられないだろうと、ほぼ100%確信しているからこういう悔しがりの断言が出来るのですが。
何が言いたいのでしょうか。推し活という言葉を特にNHKではよく聞くようになりましたが、推し活はしたことがありませんね。そんなお金は一体どこにあるのでしょうか。商品を選んで買うだけで精いっぱいです。実は日本は裕福な国になっているのにもかかわらず、障害者で田舎暮らしパートタイマー労働者の私が、今の裕福な日本を知らないだけなのかもしれません。
家に閉じこもっていても、良いスマートフォンと、良いパソコンと、何かしらを書く執筆環境があれば自分は充分に快適に過ごせることが分かってしまいました。就労移行支援事業所に行き始めた頃は「ようやく社会と接点が持てるかもしれない」と少しだけ希望を持っていましたが、一ヶ月くらいで、「なんで電車の運賃とか払ってまで集団で間違い探しとかしなければいけないのだろうか。就職させる気とか無いのが見え見えじゃないのか」とか思い始めました。結局のところ、2020年度の障害者国家公務員一括採用試験で面接試験で全滅したことによって、勉強の場所として利用していた就労移行支援事業所とはおさらばしてただのパートタイマーになりました。
こうやって家に閉じこもっていて快適に暮らせているのも障害者雇用のパートタイマーになったからかもしれません。お金がある程度あれば大抵のことには寛容になれるし、家に閉じこもっていても特に苦しいとも思いません。やっぱり障害年金が1年6ヶ月後にならないと貰えない制度が苦しいのでしょうかね。そんな簡単にお金が貰える制度自体が裏ワザのような制度であって、そう簡単に認めるわけにはいかないのも現状として分かってはいますが。
障害者になってしまった最初の頃は本当に苦しいですよ。その苦しさの補填として障害年金があるのかなとか思います。
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