私は心の底から腐った。
2022年8月12日(金)。夏休み3日目。なんも書かないほうが良いような気がするが、書いておくことに意味があるのかもしれない。
2日間、そこそこの楽しさだった。3日目。忙しくなりそうだった。こんな文章を書く時間が隙間にはあるだけまだマシなのかもしれないのだが。
家族が忙しい。
そんな中、私は何をすればいいのかよく分からない。
「主体性を持って関わってくれ」と言われたが、何かを頼もうとする仕草はほとんどない。私が「ああした方がいいんじゃないの」と言っても、行動する判断は変わることは無い。
ということで、私はなるべく関わらず当人たちの計画通りに事が運ぶことを望み、自分は当人たちの迷惑にならないように、一人こっそりと生きているようなものなのだが。自分の主張がないというのは良くないことなのだろうか。
結局、働くのが苦手ということに集約されると思ってしまうが、人に迷惑をかけるよりかは断然マシのような気がする。
当人たちが失敗したら「お前のせいだ。お前が関わろうとしないからだ。もっと細かい点に気付いてくれよ」と言われたが、ここでもし、私が本当に関わり、そこで、当人たちのミスですら私のせいにされるのだから、私自身の行動によりミスが起きてしまったら、恐らく怒るどころでは済まないだろうし、これから先「お前のせいで大失敗に終わったんだ」と言われ続けられなければいけないのは目に見えている。
自分のミスすら《《お前が関わっていないから大失敗が起きたのだ、》》と私のせいになるような環境なのだから、これで積極的に関わろうとする気持ちが起きないのは、精神障害とか関係なく、そういう気持ちになるだろう。
因果関係とかどうでもよく、責任転嫁という言葉よりももっと強い言葉があるのかもしれない。「お前が関わっていないからミスが起きた」。では関わっていたら、なんと言われるのだろうか。因果関係の発端に位置するところで行動していたら、私はどうなっていたのだろうか。サンドバッグにでもなるしかないのか。
職場でもそうだが、私の役目はサンドバッグなのだと思う。
仕事している人の、ストレスのはけ口として私がいる。
こういう態度だから、正社員に登録されることもなくパートタイマーを3年以上続けているのかもしれないが。
諦めの態度。
わがままを諦める態度。
正しいと思われることでも断られたらそのまま受け流す態度。
パートタイマーを3年続けて心の底からそうなった。
はるか昔、中学教師に言われた言葉を思い出す。「お前は心の底から腐っとんね」
教師よ。その言葉は当時の私ではなく、十年後の私に当てはまります。心が腐っている態度というのは、恐らく今の私の態度がまさしく当てはまります。
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