見出し画像

【歌評】三原色 / YOASOBI / 2021年 / 作詞:Ayase

  ──『どこかで途切れた物語 僕らもう一度その先へ
   話したいこと 伝えたいことって
   ページを埋めてゆくように
   ほら描き足そうよ、何度でも
』──

☆☆☆
 歌詞の引用部分は『』になっています。著作権違反とならないように慎重に書いていきます。
☆☆☆

☆☆☆
 明日、2022年6月1日(水)。実は休みなのです。
 何か書かなきゃ時間がもったいないのと、noteに投稿している記事のスピードに追い付かれてしまう、という焦りもあって、何かを書こうとしています。

 幻聴で、ピノキオピー作「神っぽいな」の中の歌詞『もういいぜ もういいぜ もういいぜ』がお風呂場で延々と聞こえてきました。こういうとき統合失調症って便利ですね。「もう書かなくていいぜ」みたいなのを脳みそさんが言ってくれているみたいです。

 書けるなら【歌評】が書きたい。なんで昔(数ヶ月前)は書けたのだろうと不思議に思います。書くならYOASOBI「三原色」を書きたいなと思っています。統合失調症的要素も踏まえて、書きたいなと思います。

 今から書くか。上に歌詞を書きます。
☆☆☆

 ここから先が【歌評】です。引用に気を付けながら自由に書いていこうと思います。
 
 もう、冒頭に書いたあの歌詞ですね。あの歌詞が、私に途中で終わってしまっている「Last man on the Earth.」(https://kakuyomu.jp/works/16816452221466841294/episodes/16816927861326220345)の続きを書いてほしい、と言われているように聞こえてしまうのですね。

 『どこかで途切れた物語 僕らもう一度その先へ
  話したいこと 伝えたいことって
  ページを埋めてゆくように
  ほら描き足そうよ、何度でも』

 「三原色」を初めて聞いたのは私も含め大半の人がdocomoの当時、初めての格安新プランahamoのCMだったかと思います。そのときのサビは、

 『ここでもう一度出会えたんだよ
  僕ら繋がっていたんだずっと
  話したいこと 伝えたいことって
  溢れて止まらないから
  ほらほどけていやしないよ、きっと』
 
 だけで、冒頭の本サビ(2回繰り返されるので本サビだと思っています)は放送されていませんでした。しかし、ahamoのCMを見ただけで「あ、この曲買おう」と思いました。なんというか、リズム等が完璧な曲のように感じました。

 この曲は小出しにしながら少しずつ全体像が出てくるという不思議な曲の発表の仕方でした。それで、最終版の、全体像が出てきたときに本サビを知ることになります。

 『どこかで途切れた物語 僕らもう一度その先へ
  話したいこと 伝えたいことって
  ページを埋めてゆくように
  ほら描き足そうよ、何度でも』

《《私にとって、》》ですが、『どこかで途切れた物語』というのは先ほどにも申し上げた通り「Last man on the Earth.」しか思い浮かびませんでした。大学時代に、この物語を完成させ、賞に応募して作家生活をスタートさせるぞ! とWordを使って本気で書いていた12.6万字でした。しかし、コンサータと出会うことで「一般の会社員になりながら細々と書いていこうかな」と自分の進路を方向転換しようとしたところ、就職活動中に統合失調症になりました。

 統合失調症患者によくある傾向が「統合失調症になった理由を探す」というのがあります。そこで

 『どこかで途切れた物語 僕らもう一度その先へ(…)
  ほら描き足そうよ、何度でも』

 と聴いて、「どんなに時間がかかってもいいから、自分の夢に正直にいなさい。いつか、その傑作を完成させて世の中の度肝を抜きなさい。それくらいあなたは書く努力、読む努力をしてきました。大学での専攻もそのためだったでしょう」と言われているような気がしたのです。

 結局、書くか書かないか、やるかやらないかは自分次第で、今のところ「続きは書かない」という選択をしているのですが、「いつの日か、続きを書いてほしい『ほら描き足そうよ、何度でも』」と応援されているような気分になります。

 小説のほうは、結局少しずつ勉強を始められる状態になってきています。完全に自由とは言いませんが、結局、自分は「文字を打つことが好き」ということは変わっていないように感じています。

 「三原色」という素晴らしい楽曲に出会えたこと、「三原色」という素晴らしい楽曲を創り出して頂いたYOASOBIには感謝したいと思います。

よろしければサポートをお願いします。