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【定義集】定義:終わらせなければ意味はない

──『人生がゲームだったとしたら、間違い探しと宝探しとどっちだと思う?』──
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 2024年3月1日(金)。21時22分。

 もう三月じゃないか。二月が終わった。

 こんにちは。井上和音です。

 政治とか興味があまりないので政治倫理審査会とかのニュースを見ても一切何も分かりません。自民党の幹部の方が「還付」と言っていたのだけど、法律上の手続きを持った金額の返金を「還付」と言うのであって、実際に書類送検されているあたり、政治資金収支報告書に収支を書いていない金額のことを「還付」と言うのはおかしいのではと思ったりしました。

 誰が悪いとか何が悪いとか。何も分かりません。

 「こんにちは。井上和音さん。ぜろについて語りましょう」

 ところで貴方は誰でしょうか。名前も付けていない。

 「名前は追々。零ですよ零。井上さんは今日は零に成れましたか」

 今日は朝から寝坊した。起きたら9時前だった。普通の会社なら終わりだが、そこはパートタイマー。朝食抜きなら普通に電車に間に合った。

 朝食もファミマでおにぎりを買って行ったし。何も問題はなかった。

 しかしながら、寝坊した朝というのは気持ちが悪い。心臓がバクバクしながら、ふらふらとしながら、リビングにあるソファに背を投げ掛ける。

 人生ってきついなあ、と。

 これで職場に行けたら、もう充分零じゃないのかなあ、と。

 零の自覚を書いた数時間後の自分はそんなことを思っていた。

 「人生には自由に生きる為に時間とお金ともう一つ大事なものがあります。それは一体何か私も分かりませんね」

 色々なことが、結局は時間の短縮だったり、お金の節約だったり、お金の手に入れることの出来る情報だったり。最終的にはお金と時間が人生の究極形で大事だと分かってくる。仕事だって、時間を与えてお金を貰うようなものだ。

 自分の場合は。甘っちょろい人生なのは自覚している。ノルマも特に無いし。自民党の政治資金パーティーでもあるまいし。

 「井上さんに危惧しているのは、どうも人生の進み方が遅くなっているという点です。人生をゲームだとして、何パーセントくらいクリアしていますか。大学時代はグラビティデイズとか一週間あればクリアしていたし、フリーダムウォーズも一週間くらいでクリアしていました。それがもう。今では積みゲー積読本ばかりです。進み方も遅いです。いつまで葬送のフリーレンを読んでいるのですか。まだ6巻くらいまでしか読んでいないじゃないですか。こんなに遅くインストールする人間に育てた覚えはありません。そんな人間だったら統合失調症にしていません。零の可能性を与えるような優しい人生にするつもりはありませんでしたよ。

 ダーリン・イン・ザ・フランキス。パリピ孔明。ちゃんとアニメも見てください。地獄楽なんて一冊も読んでいない。ああTOEICもある。英熟語Superにおいて『make believe』で『振りをする』という意味だと知れたのは大きかったですね。キクジュク英熟語Superもさっさと終わらせてください。

 大学時代に井上さんが見つけた定義。

 定義:終わらせなければ意味はない

 それを思い出して。終わらせなければ何も語ることは出来ないのですよ」

 実際の今の仕事では、一生終わらない仕事とか振られるので、『定義:終わらせなければ意味はない』が本当に正しいのかどうかが暗雲を立ち込めている。第二回障害者国家公務員面接試験では「何事も終わらせなければ意味はないを信条にして生きています」と面と向かって言ったけれど、どの機関を受けても不合格だったし。

 終わらせなければ意味はない。これって本当の定義なのでしょうか。

 とうおこだって一生終わらない感じだし。Seasonごとに一応は勝手に終わる設定になっているけれども。

 タイトルをここで書いた。

 「明日から休みだし、明後日の朝には1万円分の切手が届きます。うきうきわくわくな週末ですが、せっかくならば零に近付くような週末にしてください。

 零になるのは簡単なのです。

 例えば、ひらがなをマスターするとします。50音と小さいひらがなですか。濁点と、何て言うのでしょうねあれ。まる。それをマスターすれば、零(ひらがな)の完成です。要は零って『終わらせたことへの証』みたいなものなのですよ。

 簡単に零になる方法は、知っている世界を狭めればそれで終わりです。

 この世に日本語しかないと思っている人は、外国語を学ぶという新たなる完全性を知らぬまま、日本語さえ知っていればそれで零(日本語)になるでしょう。更に言えば、その人の日本語という領域の範囲すらも、甘くすれば零に成り得ます。ひらがなしか知らない人でも、その人がひらがなしか存在を知らなければ、それで零(日本語)になるのです。

 零に成るのって簡単でしょう? 

 だけど井上さんの場合は、良い教育を受け過ぎた。

 枝葉を広げ過ぎた。

 知らないことが大量にあると知ってしまった。

 終わらせなければ意味はないということを知ってしまった。

 終わらせて、履修を済まして初めて世界を語ることが出来るのだと知ってしまった。

 零の拡張。どこまでを零とするかも分かっていない。ひらがなを零とするには平安時代にどの漢字からひらがなが出来たのか。その歴史があることを知ってしまった。

 あらゆる物事には歴史があるので、その歴史を知ることも零の一部になってしまった。

 ただ、まあ。履修が終わったら一応は『零に成りました』と言ってもいいんじゃないのでしょうか。ところで、アウトプットが苦手な井上さんは資格に挑戦しても中々取れませんが。簿記3級の零はまだ取れていませんね。資格を習得して初めて『終わった』と言うことが出来ますからね。簿記を勉強しても終わったことにはならないのですよ。

 中国語もですよ。HSK3級合格出来るように頑張ってくださいな」

 話は変わるが、昼にガザ地区の市民への無差別攻撃の映像がNHKのニュースで流れた。イスラエルの空挺からレーダーで写る、走り回る人間は色も無いのでプランクトンのように見えた。

 人間はその程度でしかないのかと恐ろしくなった。攻撃する側も、レーダーにうごめくプランクトンに適当に的を定めてボタンを押すだけなのだろうと思われる。

 戦場では人間が人間に見えないようにする工夫がいくつもされているのかなと思った。あのレーダーに映るのは、人間には見えなかった。

 戦争の恐ろしさを一つだけ知った。

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