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人はお金を自由に使えるようになったら寂しさを感じなくなるのかもしれない

 『導かれるままドア叩いた
  揺るがないで 私の意志
  まだ消えたくない
』(足りない / DUSTCELL / 作詞:Ema-Misumi / 2022年)

☆☆☆

 2022年10月16日(日)。10時11分。

 枕詞に歌詞を書いたので、「おっ? 久々の歌評か?」と思われた方もいるのか、いないのか……。歌評ではありません。ただこの歌と歌詞が好きなのでただ載っけただけです。

 『導かれるままドア叩いた
  揺るがないで 私の意志
  まだ消えたくない

 この歌詞にあるのは、学部は哲学科に行き、文字を読むこと書くことしか学ばなかった私が統合失調症に陥りました。文字を書くことだけを学び、一生治らないという病気にかかり、発信していこうと決めた人生が『導かれるままドア叩いた』という歌詞と重なって感じるからです。

 そして『揺るがないで 私の意志 まだ消えたくない』という歌詞からは、「私の意志よ揺らがないで、頑張ってブログを続けて、私の存在意義はまだ消えたくない」という応援歌のように聞こえてくるのです。

 歌評のようになってしまいましたが、枕詞にどこかからの引用を載せるというのは、今の感情にピンときた文章を載せて、少しでも自分のブログを華やかにしようとする私の魂胆もあります。

 朝だからテンションがあまり高くない。普段はこんな感じです。お風呂に入って、夜にリスペリドンの効果が切れ始めた頃には、テンションが上がって普通では思いつかないような文章を綴ることができますが、私の普通はこんなもんです。あまり面白くもなんともない人間です。

 しかし、現実世界を生きる上では、面白くもなんともない人間のほうが生きやすいような気もします。職場で無言で過ごすとか、車の運転とか、テンションが高いとろくでもないことに繋がってしまう可能性のほうが高くなると思っています。

 ところで、朝から何で書き始めたかというと、昨日の夜にブログを何も書くことができなかったので、昨日、2022年10月15日(土)の振り返りでも今のうちにしておこうかなと思った次第です。

 やっと本題。

 昨日、2022年10月15日(土)は、午前中に耳鼻科に行きましたが待ち人数が30人を超えていたために断念して帰ってきて、500記事突破記念のランキング記事を二つ創って、Amazonでミステリーボックスを予約購入したりしました。

 午後からはコミュニティデイヒトモシに参加し、公園内をぐるぐるとポケモン探しに頑張りました。

 そして夜。ブログが書けなかった最大の要因ですが旧友と電話をしていました。9時から二時間程度。色々喋りましたが、以前にも増して優しい友人に感動しました。それと同時に、私とは違う世界にいるのだなとも痛感しました。高校時代を思い出し、「ああ、こんな感じの高校生活だったな」とも思い出しました。

 何かが足りない──そんな感じの高校生活でした。

 刺激が足りなかったのかもしれません。順調にいかなかった高校生活だったのかもしれません。何も喋らない高校生活だったのかもしれません。発達障害で突拍子もないことを思い付くけれど、誰にも話せなかった高校時代。誰かに話しても、面白さが伝わらなかった高校時代。何が面白いのか分からないのにみんなが笑っていて、孤立感を深めた高校時代。そんなものを思い出しました。

 『孤独は森あるのではなく、街のなかの人と人との間にある』という人生論ノートの言葉を思い出しましたが、全くその通りの人生だったのかなと思いました。

 ツイッターを見てみましょうか。

 「もしかして私はお金があったら寂しさを感じなくなってしまうのか」

 このつぶやきが全てです。電話をして気が付いたのは、お金があって自分勝手に生きることが出来ていたら、実は私の、主語を大きくすると人間の寂しさは減っていくのかな、と常識的に考えたら最低な感情だけが残ってしまいました。

 私が私らしくいられる居場所というのは、結局孤独の中にしかないのかもしれない。そんな風に思った2022年10月15日(土)の夜更けの感情でした。

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