後南朝と赤松家
YouTubeで、歴史学者、呉座勇一氏が、嘉吉の乱について、教えてくれたので、岩井三四二の歴史小説「悪党の戦旗」を読んでみた。
守護大名赤松家が、将軍足利義教を暗殺した事件、嘉吉の乱(1441)はかろうじて知っていたのだが、その後のことは全く知らなかった。
嘉吉の乱は、将軍義教が暗殺されておしまいではなくて、足利幕府による赤松家討伐、後南朝による神璽強奪、赤松残党によるその奪還という、足掛け18年にわたる長い後日談があったのだ。
嘉吉の乱と後南朝とは、赤松家でつながっている。
赤松家による神璽奪還のあとは、後南朝は本当に歴史の闇に消えてしまった感じがしていたが、終戦の年には、こういう珍事があった。
熊沢天皇事件(1945) 熊沢寛道 - Wikipedia
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