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イチジョウと男おいどんの共通点

賭博黙示録カイジのスピンオフ作品に、「イチジョウ」というのがある。

東京都‥‥板橋区大山‥‥!帝愛裏カジノ店長にして、悪魔的パチンコ台「沼」を作った麒麟児・一条聖也。後に、宿敵・伊藤カイジと死闘を繰り広げることになる一条にも、未だ燻り何者にもなれぬ青年時代があった‥‥!若者の夢‥希望‥絶望‥その全てを呑み込んできた“沼”‥‥「東京」を舞台にした、フリーター・一条と後輩・村上による1K6畳住まい、野望と困窮の上京物語‥‥!

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六畳一間の安下宿に住んでる

しかし、私はこの作品を読んで、松本零士の青春マンガ「男おいどん」を思い出した。

こちらは四畳半一間

イチジョウは2020年代、男おいどんは1970年代で、50年くらい違うんだが、やっていることは大差ない。

イチジョウは岡山から東京に出てきて、同年齢の相棒と六畳一間をシェアしながら、ファミレス店員とか焼き立てパン屋とか、ようするにフリーターをやっている。

「大学に入れ…じゃなくて入らずに、先に社会に出て、大学に行ったやつらを出し抜くんだ」
という野望を語っているが、現実は、時給1050円のフリーターをやってるだけである。そこから這い上がるルートはどこにもない。

おいどんこと大山昇太(おおやまのぼった)は、九州鹿児島から上京して、文京区本郷に下宿を借りて、働きながら定時制高校に通っている。生活困窮のために、定時制高校には通わなくなった。

こちらも、「いつか大物になってやる」といった、あてのない上昇願望を持っているが、具体的にどうしようというプランがあるわけではない。バイトで日銭を稼いで、好物のラーメンライスを食べて、家主の婆さんに家賃を払って、サルマタにくるまって眠るだけだ。

「上京したら何かあるはずだ」という考えで、あてもなく上京して「苦学」する青年は、明治大正期には多く見られたらしい。1900-1920年代は、戦前の高度成長期であり、「東京へ行けば何かある」と考えてもおかしくない。その頃ですら、苦学生を食い物にする貧困ビジネスがあったと、天野郁夫は著書に書いていた。
学歴の社会史

これだけ情報が行き渡っている2020年代の日本で、こんなに安直な上京フリーターがいるわけないだろう。

「イチジョウ」も「男おいどん」も、野望と現実との乖離がギャグなんだから、これでいいのかもしれない。
「男おいどん」のラストは、行き先も告げずに、おいどんが四畳半から失踪しておしまいである。著者もうまい決着のつけ方がわからなかったのだろう。
「イチジョウ」はどうなったんだろう。多分、有耶無耶のまま数年後というラストになっているに違いない。

なお、「イチジョウ」も「男おいどん」も、「めぞん一刻」「ラブひな」と同様の下宿モノに分類される。
青年は青春期を下宿で過ごして、いつかオトナになるのだ。
立身出世志向の「イチジョウ」「男おいどん」と、恋愛志向の「めぞん一刻」「ラブひな」とでは、ずいぶんと夢が違うのだが。

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