ゲンロンカフェ『被災地の記憶/アートと歴史』イベントメモ

2019年1月23日(水)19時、ゲンロンカフェで開催されたイベント『被災地の記憶/アートと歴史』に参加した。徳一の話など一部は以前聞いた覚えがあったが、芸術祭の今までの取り組みや登壇者の活動について詳しく聞けて感銘を受けた。そのときのメモ。

冒頭、小松理虔さんから会津若松の地酒紹介など。末廣、しぼりたて、雪がすみ、国権。その後、江尻浩二郎さんの自己紹介。小名浜出身、いわきの歴史に詳しく、キルギスで遊牧民生活。

芸術祭の3年間にわたる取り組みについて。
芸術祭が始まる前年の2014年にお堂でトークイベント。
二十三夜尊堂。講の復活。芸術祭にかかわるきっかけ。
袋中(たいちゅう)上人のエピソード。中国行きの挫折。
琉球滞在の副産物。念仏仏教が沖縄に根付いた。那覇といわきそれぞれの袋中寺住職同士の交流。徳一は最澄と論争したエピソードあり。人は悟れるかについて。磐梯山の開山。東北仏教。
エイサーとジャンガラ。菩提袋中寺の下村さん。エイサーを奉納。
かつてあったものを現代美術として呼び出して出会う。
寺山修司のストリートシアター。街頭劇。一番面白い劇は歴史。
満たされない霊を呼び出す。今井新のイスラム国漫画。

■2015年「怒りの日」
現実への違和感。可能世界を描く。
東北仏教の拠点としてのいわき。
体験の設計、怒り、失望、悲しみの痕跡をたどる。
中央の論壇を離れて現場で苦しんでいる人を救う。布教。
柳本悠花さんズリ山(炭鉱の捨石)をフェルトで作る。
徳一まつり。前夜祭に三笠山。企画者が左遷。再び忘れられる。

■2016年「地獄の門、小名浜竜宮」
龍燈杉。龍神を祀る文化(津波、漁師)
岡倉天心寄贈の龍神石碑。茨城。八大龍王巡り。
いわき伝説ノート。かべや。狐火。新島襄。
四倉町大森の死人田。
①過去との対話、津波、エネルギー、炭鉱
②現代美術のプラットフォーム
③神話の収集、現代的書き換え
何もない場所と思ってたがむしろ飽和。
地元の名士から迎えられる。宿舎、社員寮、ご飯は屋敷。
家老のふるまい、たしなみ。もてなす側の内的な必然性、つながり。

21時すぎから後半スタート。
いわきの地図が配布される。情報密度が高い。
キルギスでは日本人は座っているとばれない。
ノマド特集、シルクロードの最果て。
イオンが復興の希望になっているもやもや感。
旧泉藩の江尻家。本家に1回だけ訪問。
伊豆旅行。「人間は社会的動物」から議論が始まり東浩紀の独壇場。
水沢松次「消えた寺院考察」は重要な一冊。
復興に失敗した町。廃仏毀釈後たった2つの寺しか復興していない。
神式の葬式、戒名がないので本名が記されている。
死者と生者をつなぐものが適当になっている。現代的な問題が残存。
墓石が寄せ集めで積まれ、死んだ墓石が街中に突如現れる。
神様を仮設に住まわせてまで行う薄磯地区の復興計画とは。
無秩序で希薄になっていく関係性を安定化させるものとして体系化されてきた仏教。

■2017年「150年の孤独」
泉駅ちかくの大橋さん。泉城跡。水沢松次さんのお墓がある。
町おこしプロジェクトの域を超えている。150年をまたいだ復興。
高野山で修行中だった。密厳堂を建立(泉で3番目の寺)。
死者を応援する世界観。
仏教がなくなることは地獄がなくなるということ。
死者の行き先がなくなる。
師茂樹(もろしげき)さんの指摘、興福寺には壁がない。密厳堂にはある。
立ち上げのときから美術家と宗教者がビジョンを共有する。
①近代化、廃仏毀釈の問題、アイデンティティクライシス
②2度目の復興の失敗を考える(1回目は廃仏毀釈)死者の忘却
③現代の寺院を作る、美術館としての寺院

書簡演劇(寺山修司)
無くしたものについて考える時間をどうやって作るか。
何を無くしたのかを自覚する。
旧家臣は蔵をもっているという事実。
地元の住人の中に、そらで経を読める人たち。
打ちこわしに参加した人の懺悔が子供に残っている。
23時すぎ。ちいさな飲み屋。
23時半ごろ質疑応答に入る直前くらいで退席。

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