雑記20221130

7月から一切撮影の仕事をしてないのでそろそろちゃんと将来どうしていくかを考えなきゃなとなってるけど、考えれば考えるほど「詰んでるな~」以外の言葉が出てこない。参った。
一人っ子で優しい親を持つ僕には最悪引きこもりという最終手段があるが、毎日家にいても退屈なのでそれは避けたく何かしら稼ぐ手段が欲しい。
ということで真面目に考えてみたのだが、やはりパソコンが扱えないというのはかなり厳しいらしい。人間関係上手くいかなかったり仕事についていけないような、いわゆる会社勤めができない人間はフリーランスや在宅での仕事をすすめられるわけだが結局パソコンをいじれることが前提だ。プログラマーとか動画編集とか。頭がちょっと変わってる人間の一番の特徴は多分人と足並み揃えて何かしらやるのが苦手ということに尽きると思うが、そういう人でもなぜかパソコン使えるのが当たり前らしい。自分ができないからみんなそうだと思い込んでいたが、僕の周りの社会で苦労しそうな人たちもよくよく考えたらわりとみんなパソコンが得意だ。普通に使っている。
僕にしてみればあんなややこい機械を当たり前に使いこなすというのはオリンピック選手並みにすごいことなのだが、どうやら全然そんなことはないらしい。車の運転みたいなものだろうか。
賛否あるだろうが、金の無い人生はつまらないと僕は思う。ある程度の幸せは金で買うことができるのだ。だから金は大事だ。金を稼ぐ能力こそが最も尊く、金にならない技術や特技には何の価値も無いとまで思うようになった。多分あながち間違いではないだろう。少なくとも今の世の中はそういうもののはずだ。超短期間とはいえ僕はこれでも一度就職しているので他の同業者と比べると多少世の中を知ってる方だと思うが、それで何を得たかと問われれば「自分が生きていける世界は極端に狭いということを知った」としか答えられない。可能性の無さを知ることができた。そのわりにいくつもバイトを始めては辞め、を繰り返しているのであまり学べていないようなものなのだが。
意外に思われるかもしれないが、僕が人生で後悔していることはほとんど無い。ボクシングを中途半端に辞めてしまったことくらい。学生と名の付く身分の時期にはずっと遊んでいたが、「こうなるならもっと勉強しておけばよかった」などとは一切思わない。仕事が壊滅的にできない以上どんな大学を出てどんな会社に入っても結果は同じだっただろう。だから遊びまくって正解だった。というか中1の数学で躓くレベルなのでそもそも一流大になど入れるはずも無く考えなくてよいことではある。ここまでの人生、特に間違いは無かったと自信を持って言える。
が、自分の性質にはもっと早く気付いておきたかった。先ほど書いた通りパソコンさえ使えれば金はなんとか稼げるようなので、早いうちから自分を知っていればそこの訓練に時間を割くことはできた。今からでもできるじゃないかと思うだろうが、仕事に使えるパソコンを買う金も無ければ今は既に一度躓いてしまった体だ。もう積極的に動くことは難しい。特に生活がよくなることもなかったのでもう薬は飲んでいないが精神的にもずっと調子が悪い。社会に出てから社会に向いてないことを知る、というのはなかなか厳しいものがある。大学時代のTSUTAYAのバイトでもパソコン作業は人に任せていたしレジやディスク戻しがメイン業務となるので「俺は機械音痴なんだな」程度にしか思っておらずまあ他にも仕事なんていくらでもあるしなと思っていたら、学生気分抜きの職場になるとあそこまで上手く立ち回れないとは。みんな、僕が思うよりずっとちゃんと社会人をやれることに心底驚いた。なぜ給料が出ない時間に出社して掃除なんてできるのか、なぜ終わり無き数十年の退屈を前に平然としていられるのか分からなかった。だが社会人をやるに一番必要な能力はそれなのだろう、疑問を持たず受け入れるだとか忠誠心を持つとかそういうもの。あとは退屈に麻痺できる力。僕に一番足りないものだ。穏やかな日々は好きだが、退屈な日々には耐えられない。毎日毎日同じ場所に行って同じようなことをする以上の苦痛となると刑務所に閉じ込められるとか監禁されるとかくらいしか思いつかない。代わり映えのしない日々が怖いのだ。僕は閉所恐怖症なのだが、1日8、9、10時間会社にいなければいけないというのはほぼ閉じ込められているようなものなのだろう、ストレスというより最早恐怖に近い感情がある。自分の意思で好きなときに外に出れるならまだ違うだろうが、そうもいかないわけで。ワケ分からん頻度でトイレに行ったりして気を紛らわしていたりはしたがそれを続けるとトイレまでが閉所の範囲に入ってしまい意味が無くなってしまうのだ。そりゃ出ようと思えばいつでも外には出れるが、出てはならないという規則の壁が実質会社を閉所たらしめる。実際のところ閉所恐怖症だからそうなるというわけではないだろうが、おそらく自由を奪われること全般が苦手なのだろうか。限界が来る前に辞めたが、もし壊れるまで働いていたら夕方あたりに突然十三あたりまで走り出していただろう。
こんなことを書くくらいには会社勤めがトラウマなので、もう一度挑戦しようとは一切思わない。それくらいなら首吊った方がマシである。なので選択肢としては在宅フリーランスの職になるが、パソコンが扱えなければ話にならない。これで「詰んでるな~」だ。俳優で稼げれば手っ取り早かったのだが現状それは不可能だと思って行動しなければならない。今年国岡以外で役付きの映画の仕事は1つだけ、これはもう収入源となる期待をしない方がいいだろう。色んな所で言っていることだが僕はいつか生活費を稼げる日が来るかもと期待して俳優を目指したので、無理だと思えば当然他のことを考えるつもりだったのだがいざ考え出すとその「他のこと」というのが全く見つからない。現状では引きこもり生活に精神を擦り合わせて大人しく暮らすのがベストかつ最も現実的なのだが、刺激の無い日々にどう耐えるのかという課題が残る。ただ、生きていくのには金がかかるという前提が無くなるのは革命的ではある。数年ずっと悩み続けていたことから解放されるのかと思うととても魅力的だ。何も知らず生まれてきてこんなに苦しまなければならんのかと思っていたが、そのストレスが無くなるなら例え日々の刺激を捨ててもお釣りが来るのでは無いか。引きこもりと言えどいつでも散歩には行けるので閉所を恐れる必要も無い。まさか人生のバイブルが「NEETING LIFE」になる日が来るかもしれないとは思わなかったが、偶然にも僕の趣味は映画に漫画にゲームと家で楽しめるものばかりだ。漫画はアプリで読める分だけに絞って映画のサブスクは家族アカウントなら電気代のみで済む。驚いたことに、現代は十分遊びながら引きこもれる。電子機器が発展してくれていてよかった。液晶画面に疲れたらエアガンを無心で分解組立し続けるとかそういう無為な時間を過ごしてもよい、寿命まで無限の時間があるわけだし。そもそも人生などトータルすると辛いことの方が多い仕様なのだから、それらと距離を置きじんわりとした娯楽を摂取し続ける方が心に優しい生き方なのかもしれない。そういえば喧嘩商売の反町は親の団地に引きこもって延々スクワットをしてたな。
暗い文章かと思われるかもしれないが年間自殺者平均二万人のこの国で、生きようとしているだけまだ前向きなつもりだ。個人的にはその二万人に自分が入りさえしなければ僕にしては立派な方だと思っている。

俺はサバイバルソルジャーだ
生き残れ


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