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【イノシチとイモガラ珍百景】 #12 外伝・末裔たちのラプソディ(2)

満員のホールの中に、大きな歓声と高らかな拍手が響き渡りました。たった今、ステージに立つ歌手が圧巻の歌声を響かせ、アンコールの最後の一曲、『追い出したるは~かつて離島へと友を追いやりし者の唄~』を歌い終えたところです。
その歌手は聴衆に向かって深々とおじぎをし、両手を広げて感謝の意を表しました。惜しみない拍手を送る観客たちの中には、イノシチファンの大柄な男・ミチナガと、高級な服を身に着けた女性・コマチの姿もありました。そしてステージ上で拍手喝采を一身に浴びて感慨深そうにしている男こそが、気取らないファッションと言動でおなじみのナリヒラだったのです。
「いやはや、悔しいけれども彼の歌にはいつも魅了されてしまうね」
拍手する手を止めぬまま、ミチナガが言いました。
「普段があんなだから誤解されがちだけど、さすがやる時はやるわね」
コマチもまた、同じようにステージを見つめたままで言いました。彼女の言うことはもっともで、ナリヒラは何かにつけて軽い、というかチャラいところがあり、仕事が終わるとすぐにキノコ町のメインストリートに繰り出し、旧知の仲であるシシヤマや彼の親友のタバタ、ポッキーらと楽しく飲み歩くのが日常だったからです。
「せっかくシシヤマ君と知り合いなんだから、コネでイノシチさんのサイン色紙でももらってくれたらいいんですがね」
「何よそれ、だったら自分でお願いしたらいいのに」
豪快そうな見た目の割には意外とシャイなミチナガの性格を、コマチはちゃんと把握していました。
「そういうわけにはいきませんよ。だって君、まさに目の前で華々しく上がる花火はこの目に焼き付けるのだけで精一杯じゃありませんか。ちょっと双眼鏡で眺めたり、写真に収めようとするともうその時には消えてしまっている。我々は今、この瞬間を全力で味わうべきなんです」
まあそれもそうだけど、とうなずきながらもちょっとだけ違うかな、とコマチは内心で思いました。
「ところでミチナガ、そのイノシチさんだけれど、この前あなたも一緒だった時イモガラ湖で見つかった例の鏡の記事、新聞に載ってたわよ。見た?」
「ええ、見ましたとも」
「あら、それにしてはあまり嬉しくなさそうね」
「そりゃそうですよ」とミチナガは、急に苦虫をかみつぶしたような表情になって言いました。
「正直言ってあれは、せっかくの貴重なひとときに水を差されたようなものです。過去の遺産が見つかったのはまことに大発見ですが、よりによってイノシチさんとご一緒している時とはね」
つい先日のこと、ミチナガは最近人気のグラスボートに乗りにイモガラ湖へ出かけました。その折、イノシチとシシゾーもやってきて、彼らは同じボートに乗り合わせることになったのですが、偶然にもその時湖の底から古の時代の鏡が発見されました。この発見がなんと、それまでの歴史を覆すほどの大事件になるかもしれないと、イモガラ島中で話題になっているのです。
というのも、この鏡はその特徴などから、王室がイモガラ島を統治していた時代のものではないかと推定されたからです。
イモガラ島の北西部には、王室支配の名残をとどめる遺跡が多数集中しています。逆に言うと、その地方から発見されることがほとんどで、島の中腹部のイモガラ湖周辺から発見されたことはそれまでなかったのです。
「いいですかコマチ君、これは実に大変なことですよ」
ミチナガは声を強めて言いました。コマチも神妙に、彼の言葉に耳を傾けました。
「イモガラ湖周辺で今後も同様の発掘が相次ぐようであれば、あの地方でも王室文化が発展していたということになる。そうなれば、王室時代の都がはたしてどこにあったか、という議論にますます火が付くでしょう」
「そうね」
「となれば、ですよ! キノコ町西部の文化遺跡の歴史的価値にも変化が生じるかもしれない。具体的には、重要度ランクの変動もあり得る、ということだ」
「ゴクリ……それは、確かに大問題だわね。国からの補助金が引き下げられるかもしれないわ」
ミチナガとコマチは、顔を見合わせて同時にうなずきました。ふたりとも、昔の文化財を管理・運営する仕事に携わっている以上、これは避けては通れない問題だったのです。
彼らがこのような話をしている間にも、周りの観客たちはぞろぞろと会場を後にしてゆき、いつの間にか客席には彼らしか残っていませんでした。これは大変、と彼らはあわてて席を立ちました。
「こういう時、彼の気楽な立場が心底羨ましくなるよ」
並んで歩きながら、ミチナガはため息をつきました。
「まあ、それこそがナリヒラのナリヒラたるゆえんだから」
コマチが、知ってるわよというように苦笑いしました。
「ね、帰る前に、ナリヒラの楽屋へ寄っていきましょうよ」

「お、来てくれてたんだ。サンキュな」
ナリヒラの楽屋を訪れると、先ほどまでスーツをビシッと着込んで歌っていた彼は、すっかりTシャツにジャージ姿でくつろいでいました。彼の周りは、ファンや関係者から送られた花束で埋め尽くされていました。
「コマチ、好きな花あったらどれでも持ってっていいぜ。さすがに全部は持ち帰れねえからさ」
じゃあ早速、とコマチはいそいそと欲しい花を選び始めました。実はこれこそ、彼女がナリヒラの公演後の楽屋を訪ねる一番の目的でもありました。
「あ、でもそれだけは置いといてくれ。大事なひとからだから」
ナリヒラにそう言われて、あわてて伸ばしかけていた手をコマチが引っ込めたのは、ナリヒラファンの間でも特に有名な、自称一番のパトロンなる女性からの真っ赤なバラの花束でした。
「あら、失礼。あんまり立派だったからつい」
「まあ、二、三本だったら全然いいけど」
とナリヒラは、トゲに注意しながら慎重に三本ほど、形の良いものを選んでコマチに差し出しました。こういうさりげない優しさも、ナリヒラの隠れた魅力の一つです。
「こういう商売はね、やっぱり実力で恩返しするしかないからな。ようやっと、久々にコンサートができてホッとしてるよ、俺は」
「本当にそうよね。ありがたいことよね」
「ナリヒラ、素晴らしいコンサートだったよ。君の美声は健在だね、さすが先祖代々歌手の家系なだけある」
「俺は吟遊詩人の方が性に合ってるんだけどね」と言いながらも、ナリヒラはまんざらでもない様子でした。
「ところでミチナガ、イノシッちゃんに尾行を勘づかれたって聞いたけど」
「何だその失礼な呼び方は、賢者様と呼びなさいよ。告げ口されたんですよ、例のあの男に」
「ああ、やっぱそうだったの。その賢者くんがさ、怖がって町のおまわりさんにも相談したらしいじゃんか」
「そうなのですよ。私としたことが、まったくうかつでした」
シュンとうなだれながら、ミチナガは言いました。
「幸い、それ以降は怪しまれることもなく、どうにか収まったのでホッとしていますよ」
「でも、そんなこと言ってこれからも見張りは続けさせるんだろ?」
ナリヒラの遠慮のない指摘に、ミチナガはビクッと肩を震わせました。
「そ、それはほら、やはり彼の身の安全のためにも」
「あれあれ? ミチナガ様ともあろうものが、なんか私利私欲入っちゃってる?」
親友のツッコミにミチナガがタジタジになっているところへ、コマチがさりげなく話の輪に入ってきました。
「それにしても、あの偵察のプロ“花吹雪”の気配に気づくなんて、さすがにやるわねあの男」
「いやはや、あの男の素性からしてもやむを得ないことではありますがね」
とミチナガが、ようやく落ち着きを取り戻して言いました。
「まったく……どこまでも厄介な男ですね」
だよな、と相づちを打ったナリヒラが、さりげなく楽屋のテレビのスイッチを入れて夜のニュース番組を見始めました。
「おいおい君、テレビなんか帰ってからでもいいでしょう」
「どうせ帰ったら疲れて寝るだけなんだよ、だから今のうちに見とくの」
床にだらしなく寝っ転がりながら、ナリヒラはニヤリと笑いました。さっきまでのステージ上での威厳ある姿とはまるで大違いです。これにはミチナガとコマチもつられて笑ってしまいました。
テレビのニュース番組では、今日あった主な出来事が箇条書きになって画面に表示されていました。いくつかのニュースが読み上げられた後、アナウンサーの声が急に弾んだ楽し気な感じに変わったのを、三人は聞き逃しませんでした。
『あっ、ここで速報が入ってきました。先日、大好評のうちに終演を迎えた賢者イノシチさんをモデルにした演劇ですが、このたび大好評につき、アンコール公演が決定したとのことです』
「な、な、なんですとーーー!!!」
ミチナガ、ナリヒラ、コマチはいっせいに驚きの声を上げました。ミチナガに至ってはあまりの興奮で鼻息が荒くなり過ぎ、ちゃぶ台の上のティッシュペーパーを箱ごと吹き飛ばしてしまいました!
「こ、こうしちゃいられん、私は大大大至急帰らなければ! チケット、チケット」
ミチナガはあわてふためきながら楽屋を飛び出してゆき、コマチも急いでそれを追いかけました。
「ごめんなさいナリヒラ、また今度ゆっくり話しましょう!」
突風のように去って行った彼らの後ろ姿を見送ってから、ナリヒラはひとり愉快そうに笑いました。
「いやあ、あれこそ猪突猛進の典型だよな」


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