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【イノシチとイモガラ珍百景】 #10 イモガラ湖に眠りしもの

「君、十分に注意した方がいいですよ。何者かが、君のことをつけているようだ」

花々庭園で、カゲヤマさんに耳打ちされた言葉が頭から離れない。
一体それは誰なのか? 僕をつけ狙っている悪い奴なのか? でも、僕自身はちっとも身に覚えなどない。ていうか、そもそも僕がイモガラ島で有名人になったのだって、別に意図してなったわけではないし。……いやむしろ、だからこそそれを快く思わないひとだって少なからずいるだろう。たとえば、こんな内気で引っ込み思案のイノシシなんか、てんで猪突猛進じゃないだろ、というような具合にだ。
いずれにせよ、僕はそれ以来ちょっと外出するのが怖くなり、ここ最近では路上で絵を描くのもバイトに出るのも休みがちになってしまっていた。危ない橋は渡らないに限るのだ。

けれども、この事態に真っ向から異を唱える者は確実に存在した。そう、シシゾーである。
いつも僕と一緒につるんで、あちこちのイモガラ珍百景を訪れてきた彼は、僕が引きこもり始めたと知るや早速僕の家を訪ねてきた。電話するよりも早く。
「おい、イノ!」シシゾーは明らかに不満そうな顔で言った。
「お前この頃、すっかり出かけなくなっちまったな。どうしたんだよ」
「どうした、って言われても」僕はちょっと口ごもった。実はまだシシゾーには、カゲヤマさんに言われたことを話していなかったのだ。
「だってお前、明らかにおかしいぜ。こないだ庭園から帰ってきてからさ」
「うん」
「うん、って何だよ。元気ないな! さつまいもチップスでも食えよ」
そう言ってシシゾーは、テーブルの上にあったさつまいもチップスの小袋を勝手に開けて一枚むしゃりとかじった。いや、それ僕んちのだけど。
「うん、うまいうまい。ってほら、こういう時にこそうなずくべきなんだよ。わかるかイノ」
よくわからないまま、僕はうなずいた。シシゾーは大してそれに構うことなく続けた。
「まあいいや! とりあえずさ、どっか行こうぜイノ。オレ、すっかり退屈してるんだ」
「結局それか。それって、お前が暇を持て余してるだけじゃん」
「いや、まあ確かにそうなんだけどさ。オレ、思ったんだよね。この頃オレたちって、“イモガラ珍百景”に縛られ過ぎてたんじゃないかな、って。だからさ、たまにはそういうの忘れて、単純にどっか遊びに行かないか?」
シシゾーの言葉に僕はハッとした。たまにはいいことを言う男だな。
「うーん……どうしようかな」
それでもなお、僕の頭の中には、見知らぬ尾行人に対する恐怖が拭いきれずにいたのだけど、
「イノ、悩んでばっかじゃどこへも行けないぞ! 久々にイモガラ湖でも見に行って、今流行りのグラスボートに乗ろうぜ」
「グラスボート? 何それ、気になるかも」
さすがの僕も好奇心には抗えず、まあシシゾーが一緒なら……と思い、次の休日にイモガラ湖へ行く約束をしたのだった。

「……えーと、シシゾーさん?」
約束の日、イモガラ湖に着いた僕たちは、湖のほとりにある看板の前で目が点になった。
「どうやら、ここも“イモガラ珍百景”に含まれてるみたいですけど?」
「うわやっべ、マジかぁ、アハハ」
ペロッと舌を出してシシゾーが笑った。僕もつられて笑うしかなかった。
結局のところ僕たちは、当分の間“イモガラ珍百景”から逃れることはできないのだろうか。いやでも、ここはもともと島でも有数の観光地、きっと普通にレジャーを楽しめるはず。そう思って僕はどうにか気を取り直すことができた。
不意に、またあのカゲヤマさんの言葉を思い出して、つい僕は辺りをキョロキョロ必要以上に見回してしまった。周りは皆、思い思いに楽しんでいて、僕の方を見ているひとなどほとんどいない。しまった、これでは僕の方が不審者みたいだ。今日は極力平常心で行こう、平常心だ。
幸いにもこの日の天気は抜けるような青空、時折吹く風も心地良く、まさに行楽日和といってよかった。僕の心に渦巻いていた、ここ最近の暗く重苦しい気持ちが、少しずつ晴れてゆくような気がした。
「イノ、それよりグラスボート乗ってみようぜ!」
シシゾーに手を引っ張られて、湖岸にあるグラスボート乗り場らしき場所へ連れていかれた。数歩近づいただけで、僕らは確信した。長蛇の列。大人気だ。
「すげー混んでるな! どれくらい待つのかな、あんまり待つようだったら、オレあっちで泳いでくるわ」
「え、待ってよシシゾー、せっかく来たんだからもうちょっと並ぼうよ」
自分から言い出したくせに、もう別のことに興味が移り始めたシシゾーをどうにか引き留めつつ、僕はボートの行列をそれとなく観察し始めた。やはり、友達連れ、恋人同士、家族連れ、おひとりさま……など、さまざまな観光客が今か今かとボートに乗るのを楽しみにしている。……ん? あれはどこかで会ったことがあるような……
「シシゾー、あの大柄なひと、見たことあるよね」
「え、どれ?……あ! あれだよイノ、キノコのハリボテのひと!」
「ホントだ! ハリボテ持ってたひとだ!」
最後尾に並んでいたのはまぎれもなく、以前僕らが“伝説のキノコ”の発見場所を訪れた時に偶然出会った、熱烈な賢者ファン(というか僕のファン?)の男性だったのだ! あんまり僕らが興奮して騒いだものだから、彼もまた僕らに気づいて、にこやかにおじぎをしてくれた。
「これはこれはイノシチさん! 奇遇ですねえ!」
「こんにちは。えっと、前にキノコのハリボテをお持ちだった……」
「ああ、すみません。そういえば、自己紹介がまだでしたね。私、名をミチナガと申します」
これはこれは、ようやく初めてお名前を聞くことができた。危うく “ハリボテのひと”で定着してしまうところだった。
ミチナガさんは、以前僕と思われるキャラクターが主役の演劇を全公演見に行くほどの“賢者”ファンなのだそうだが、それ以外のことは今のところよくわかっていない。僕から言えるのは、きっとこのひとはお金に不自由していなさそうだ、ということ。この日も、見るからに仕立ての良いジャケットを着こなし、胸元にはちょっと特徴のある形の金のブローチを付けていた。
「ミチナガさんも、グラスボートに乗りにここへ?」
「ええ、もちろんです」
ミチナガさんは、微笑みを絶やすことなく言った。
「何人かずつでまとまって乗るので、このままいけばご一緒できそうですね。賢者ファンの私としましては、これほど名誉なことはありませんな」
「いえいえ、僕はそんな」
「今日こうしてお会いできたことは、後々の世までぜひ語り継いでいくとしましょう」
「いいッすね! その時にはぜひ、オレも一緒にいたって付け加えといてくださいね」
シシゾーの軽口に皆で笑い合っていると、いつの間にかグラスボートの順番がやってきていた。
エリンギの断面みたいな船が湖岸に戻ってきた。一足先に湖の眺めを堪能した観光客たちが、ほくほくした表情で続々と降りてきた。
「お待たせしましたー! 皆様、足元にお気をつけてお乗りくださいませ」
係員に案内されて船内に乗り込むと、中は二列に向かい合って座れるようになっていて、その真ん中には大きな一枚ガラスがはめ込まれている。ここから湖の中を覗き込めるようになっているのだ。
僕は遠慮して端っこの方に座ろうかな、と思っていたのに、一緒に乗ることになったお客さんたちが皆僕の顔を見てひそひそ騒ぎ出し、イノシチさんだ、イノシチさんよね、じゃあせっかくだから、と結局真ん中に陣取ることになってしまった。いいのかな、こんな特等席で。シシゾーは僕の隣に座り、お前のおかげでいい席になったな、と無邪気にはしゃいでいる。そんな僕らの様子を、ちょうど向かい合って座ることになったミチナガさんが目を細めて見つめている。どうにも視線を感じて恥ずかしい。……えっ、もしかしてこの前僕らの跡をつけていたのって……? いや、でもこんな大柄なひとだったらすぐにバレそうだし、そもそも今日は僕らよりも先に来ていたしなあ。
とりあえず、今は細かいことなど考えるのはよそう。せっかくレジャーを楽しみに来たのだから。
やがて出発の準備が整い、ポッポー、とどこか可愛らしい汽笛が鳴って、ゆっくりとグラスボートは進み始めた。湖の上をさわやかな風が吹き抜け、ボートを軽やかに追い越していった。
「皆様、本日はイモガラ湖グラスボートにご乗船いただき、まことにありがとうございます」
と、観光ガイドさんの挨拶が始まった。ガイドさんは、ちょうど今乗っている船を逆さまにして小さく縮めたような帽子をかぶっている。
「既に皆様、ほとりにございます案内の看板をお読みいただいた方もいらっしゃることと思いますが、本日のようにお天気の良い日ですと、運が良ければ水底に何かが時折光っているのがご覧いただけます」
ここで乗客たちはにわかにざわめき始めた。意外と看板を読んでいないひとの方が多いのではないだろうか。とはいえ、僕やシシゾーも同じように色めき立ち、皆と同じように興奮が高まってくるのを感じていた。
「イノ、見られるといいな、光るもの」
「そうだね、僕も見てみたいな」
それをさりげなく聴いていたミチナガさん、何を思ったか一同にこう呼びかけた。
「皆さん、せっかくイノシチさんがお望みですから、ここはぜひとも我々も祈りを捧げて光るものをこの目で確かめましょう」
「おお、それはいいですね」
「私たちも協力します!」
なんと他の乗客たちも賛成し、一斉に天を仰いで祈りを捧げ始めたではないか! えっちょっと待って何これ。
「アハハ、オレも一緒にやーろうっと」
シシゾーも面白がって、ナムナム~ナムナム~などと言いながら両手をすり合わせて真似をし始めた。もはや何のためにボートに乗っているのかよくわからない状況じゃないか、これ。
「あ、あの~……せっかくきれいな眺めですし、皆さんもっと周りの景色を楽しみましょうよ」
僕はひとりオタオタしながら、波立つ水面がピチャピチャ音を奏でているのや、波の合間に小魚が跳ねるのを眺めて心を和ませることにした。そうだよ、僕は平穏を求めてこの場所に来たはずなのだから。
……と、その時。
「ん?」
たまたま下を向いた時、ガラスの床の向こうに何かがきらめいたような気がした。
「どうした、イノ?」
「シシゾー、あそこ……何か光った」
「えっ! 何ですと!」
シシゾーよりも周りの皆の方がいち早く反応し、あわててグラスボートが進路を変更した。そっちか、いやこっちだ、などといった声に翻弄されながら、ようやく僕が見つけたポイント付近に辿り着いた。
そこには、まるで水面に映った月のようなものが、揺らめきながら光を放っていたのだ! おおっ、と大歓声が響き渡り、自然と手拍子に加えて「賢者」コールまで湧き起こった。皆我も我もと頭を押し付け合い、ガラスの床を覗くのに必死だ。
「ああ、まさか本当に見られるとは思わなかった!」
「まさに賢者様に感謝、ね」
「ありがたや、ありがたや」
皆それぞれに喜びの声を上げ、しまいには僕に向かって手を合わせながらおじぎするひとまで現れる始末。いや、僕は賢者なんかじゃないですってば!
「あれ!」
不意にシシゾーが叫び声を上げた。
「あの光、なんつーか……流れてる?」
「えっ、そんなまさか」
興奮冷めやらぬ乗客たちがゴツゴツ頭をぶつけ合い、グラスボートがギシギシ揺れた。
「皆さん、どうか落ち着いてください! ちょっと今、すくい上げられるか試します」
ガイドさんがそばにあったボタンを押すと、船底から何か網のようなものがウィーンと出てきて、流れゆく丸い光を捕えようと動き始めた。あちこちから頑張れ、頑張れ、のコールが湧き起こった。こんなに騒がしい遊覧船は初めてだ!
数分間の奮闘の甲斐あって、やがてザバアッ、と網がその丸い光を捕えた。皆大喜びで拍手喝采、そのまま網をぶら下げたまま少々周遊を続けた後、グラスボートが湖畔に戻ってきた。
僕たちは、たった今捕らえたばかりのお宝を囲んで、皆目を輝かせた。
かなりボロボロに朽ち果てた丸い形状の道具。真ん中の部分だけが、やけに煌めきを放っていた。
「これは……鏡だ!」
「なんだか、元はずいぶん高級品のように見えるわね」
「まさか、大昔の王家の宝物だったりして?」
僕はそっと鏡の中を覗き込んだ。いつもの僕の顔が鏡に映し出されたけれど、意外と楽しそうに見えた。
「すげえなイノ、また一つ伝説作っちゃったじゃんか!」
「いやいや、別にそんな」
シシゾーに肘でこづかれながら僕もまんざらでもなく、久しぶりに大勢の皆さんと楽しく盛り上がることができたのだった。
そんな僕らの様子を見つめていたミチナガさんだけが、微笑みつつもどこか真剣な眼差しをしているように思えたのは……ひょっとして僕の気のせいだったのだろうか?

【イモガラ湖】 レア度:エリンギ級(※イモガラ湖のみに限る。発見された鏡についてはこの限りでない)


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