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【イノシチとイモガラ珍百景】 #07 のど自慢の井戸/夜更けの訪ね人

のど自慢の井戸

それは、昔ながらの木製のつるべ井戸であった。井戸としては割と大きめで、覗き込んだら僕の身体が軽く入り込んでしまいそうだ。
「イノ、この辺にはやけに小銭が落ちてるな」
シシゾーが地面のあちこちを見回して言った。なるほど確かに、井戸の周りのあちこちに小銭が散乱している。
「あっ、勝手に取ったりするなよ、シシゾー」
「しないって、イノ! 大丈夫だって」
まったく、シシゾーは道に落ちているキノコなどを平気で拾ったりするから油断がならない。とは言うものの、その習慣(?)のおかげで新種のキノコが発見されたこともあるから賛否両論といったところかな。
「へえ、これが、“のど自慢の井戸”かぁ。この井戸、もう全然水は出ないのかな?」
「そうらしいよ。見たところ、中はだいぶ深そうだけど」
今回僕とシシゾーが訪れたのは、通称“のど自慢の井戸”と呼ばれている場所。カゲヤマさんの著書によれば、大昔は豊富な水量で近隣のイノシシたちの暮らしを潤していたという。しかし、ある時代の開拓によって地下水脈が途絶えてしまったために、やがてこの井戸は役目を終え枯れ井戸となった、ということらしい。
「それが今ではなぜか、この枯れ井戸に向かって歌を歌うと中から鐘の音がして歌を評価されるんだって! 本当かなあ」
「ブッ、何だよそれ! アッハハハ!」
いつものように何の予備知識もないままついてきたシシゾーは、さもおかしそうに笑った後、急にブフーと鼻息を荒くして、
「よし! じゃあ早速、本当かどうか試してみようぜ。オレからでいい?」
え、それって僕も歌うって前提なの?と僕がうろたえる間もなく、シシゾーはアー、アーと軽く発声練習をしてから、体操選手の演技の時みたいにバッと手を挙げて叫んだ。
「一番、シシゾー!『恋のイダテンダッシュ』いっきまーす!」
デデデデ、ジャッジャーン、とご丁寧に前奏まで口ずさみ、シシゾーは超ノリノリで今人気急上昇中のイダテンアイドル“マッツー”のデビュー曲を歌い始めた。
「…シュッシューっと駆け抜ける~、音速よりも速く~君のハートを撃ち抜くぜ~ぇ〜オーイェーフッフーンフフーンホホーン」
あれ、途中までは良かったのに、シシゾーったら歌詞を忘れてしまったらしく、いつの間にか適当な鼻歌になっている。それでも一応最後のサビの繰り返しまで歌い終えて、どうだ、と言わんばかりにシシゾーが胸を張ったその時、

カーン!

と、一発だけ高らかに鐘の音が鳴り響いた。
その音があまりにもあっけらかんと清々し過ぎたせいか、最初ポカンとしていたシシゾーも僕も、思わず顔を見合わせて大笑いしてしまった。
「え、これって不合格!?マジでー! わはは」
「きっとちゃんと歌詞を覚えてなかったからだよシシゾー、アハハ」
ひとしきり笑い転げた後、シシゾーがニヤニヤしながら僕を見つめてこう言った。
「よっしゃ、じゃあ次、お前の番な」
「えっ! 僕、歌うなんてまだ言ってないじゃん」
「言ってないなら、これから言えばいいんだよ、イノ! さあ、ぜひともお前の美声を聴かせてくれよ」
「いやいや、無理、無理だってば」
めちゃくちゃな無茶振りをされて僕が大いに焦りまくっていると――
いつの間にか、井戸のそばに全身をマントで覆った謎めいた男性が立っていた。フードを目深にかぶっていて、顔がよくわからない。
「あれ? もしかしてあなたも、この井戸でのど自慢をしに?」
遠慮のないシシゾーが男性に尋ねると、彼はこっくりとうなずき、姿勢を正してすぅ……と大きく深呼吸すると、たちまちものすごい声量で歌い始めた。
それは、僕らの世代はおそらく聴いたことがないであろう、どことなく古めかしい節回しの曲に思えた。郷愁を誘うような短調の旋律は、辺り一帯の風をも唸らせるような説得力と表現力があった。たちまちにして僕らは、彼の見事な歌に引き込まれて時の経つのも忘れてしまっていた。
ようやく男性が歌い終えた時、僕もシシゾーも、そして周りの空気さえも、しばらくの間しんと静まり返って、言うべき言葉さえ浮かんでこなかった。その沈黙を不意に破ったのは……

キンコンカンコンキンコンカンコンカーン!カーン!カーン!カララーン!

まさに、おびただしいほどの鐘の音の連打であった!
「すげえ!ブラボー!ブラボー!!」
「素晴らしいです!!」
シシゾーも僕も手が痛くなるくらい大きな拍手を彼に送った。
マントの彼は胸に手を当てて深々とおじぎをした後、懐から何やら小袋を取り出し、それをそっと井戸の中に投げ入れると、何も言わずにその場を去っていった。
「……あー、なんかすごかったな。何も言えねー」
シシゾーが、まだ感動冷めやらぬといった感じでちょっと遠くを見つめていた。
「すごかったね、今の人の歌。プロなのかな?」
「かもな。リハーサル代わりとか?」
しばらくの間、僕らはそこに座り込んで呆然とした後、ようやく重い腰を上げ、この日はもう帰ることにしたのだった。
両極端な鐘のパターンをいっぺんに聴けて、ちょっとラッキーだったな。

【のど自慢の井戸】 レア度:エリンギ級

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夜更けの訪ね人

これは、イノシチたちが“のど自慢の井戸”を訪れた日の、もうすっかり夜も更けた頃のことです。
枯れ井戸の中から鉤縄が投げ上げられ、その鋭い先端の鉤が井戸の端をガッチリと捕らえたところで、縄を伝って何者かがスルスルと井戸の外に出てきました。真っ黒いサングラスをかけた、身軽そうな男です。
月明かりに照らされた地面の感触を確かめるように、男は少しばかり井戸の周辺をうろうろと歩き回りました。それから彼はいつもの習慣で、ほんの一、二分の距離にある一軒の家を訪ねました。
ゴン、ゴン、と鈍い音が木の扉に響くと、その家の主には彼が来たということがすぐにわかりました。ちなみに主の名は、キジオといいます。
「おう、来たか。いいから上がんなよ、せんべいでも食ってけ」
ギイィと扉のきしむ音がして、サングラスの男がゆっくりと家に入ってきました。男は何も言わず、キジオにぺこりと頭を下げました。
「ほら、今日もお礼の手紙が届いたよ。何せうちは、あの井戸から一番近いからな。見な、この名前、こないだテレビの歌合戦で優勝した姉ちゃんだよ」
キジオは我が事のように、嬉しそうに話しました。サングラスの男はそれを黙って聞きながら、胸の前で合掌のポーズをして感謝の意を表しました。
「あんたは耳がいいし、絶対音感もあるからな。だけど、それが災いして任務に失敗して、クビにはなるし、その上しゃべることもできなくなっちまったんだからなぁ、まったくよ」
男は相変わらず黙りこくって、うつむいていました。どうやら過去のことは、あまり思い出したくないようです。男の額や頬には、いくつかの古傷が今でも残っていますから。
やがて男は、テーブルの上にあった黒豆入りのおせんべいを一枚取り、むしゃむしゃと頬張ってかすかに微笑みました。このおせんべいは彼の大好物だとキジオは知っていたので、彼が来る晩にはいつもさりげなく用意して待っているのです。
結局、男は用意されていたおせんべいを一枚しか残しませんでした。そして、持っていた革袋から硬貨を何枚か取り出して、キジオに差し出しました。
「おいおい、お礼なんていいって。いつも言ってるだろ」
キジオはあわてて遠慮しました。その時ふと、男の手にした革袋が、この前持っていたものとは違うことに気がつきました。この前見た革袋よりも、もう少し白っぽかったのです。
「あれ、もしかして、またあの男が来たのか?」
男は静かにうなずき、そばにあったメモ用紙にさらさらと何かを書き綴りました。よく見るとそれは、何かの歌詞のようでした。誰よりも耳が良い彼には、一度聴いた歌ならば即座に覚えることができるという特技があります。“あの男”が訪れた日にはいつも、こうやって男が歌った曲の歌詞を書き残してくれるのでした。

『おいだしたるは かつてのとも
かつてのかぞく かつてのどうし
それはやむなき せんたくし
ごせんぞさまの ごえいだん
つきあかりのした おもいだす

とりくみあって なげとばし
どひょうにのこりし いちぞくの
みらいはやがて すこしずつ
かたちをかえて あらわれた
つきあかりのした かみしめる

あらなみのむこう ひにくにも
いまものこりし あのなごり
かつてのえいよ まもりしは
かつていがみし そのあいて
うらんでいるか わがともよ』


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