【イノシチとイモガラ珍百景】 #01 プロローグ
「えーそれでは、リニューアルオープンを祝って、かんぱーい!」
グラスが互いにカチャリと打ち合う音と、皆の歓声とが店中に響きわたりました。
ここは、イノシシたちが愉快に暮らすイモガラ島。
北部に位置するキノコ町は、この島で一番の都会です。その町の片隅に、居酒屋「ひとやすみ」があります。故あって長らく休業していましたが、今日は久しぶりにお客さんでいっぱいです。
この店は以前、突然店舗が崩壊して営業どころではなくなってしまいました。中にいた店長は幸い無事で、全身ほこりまみれになりながらも無事を伝えた様子が、テレビニュースで生中継されました。その後腕のいい大工さんたちを呼び寄せ、何か月もかかりましたが、このたびようやく営業再開に至ったのです。
「良かったねえ店長、ようやくこれで元通りだね」
店の長年の常連客が、ご機嫌そうに言いました。早くもほんのり頬が赤らんでいます。
「いやあホントに、皆さんありがとうございます。まあ、完全に元通りになるには今しばらくかかりそうですがね、それでもホッとしてますよ、ええ」
店長が嬉しそうに、お客さんのテーブルを一つ一つ回って丁寧に頭を下げました。
「お店を建て直してる間にも、結構色々あったよね。おたくのイノシチ君が、また偉業を成し遂げたりとか」
「そうだよイノシチ君! イモガラ島グルメツアーの本、面白かったなあ。ね、もっと他の話も聞かせてよ」
「えっ、僕は別にそんな大したことしてませ……」
「またまたぁケンソンしちゃって、さあさあ今日はお祝いなんだから、君も一緒に飲もうよ」
お客さんたちの無茶ぶりに困りながら愛想笑いする、イノシチと呼ばれた従業員の青年。色白の肌に、頭からイノシシの皮を身に着け、顔には牙を付けています。イノシシたちの中でも、どこか異彩を放つ存在の彼は、路上で似顔絵描きをしながら生活のためにアルバイトも続けていました。その店がここ、「ひとやすみ」というわけです。
お店の事故当時イノシチは、これから出勤しようとしていたまさにその頃合いに、テレビのニュース速報でそれを知りました。が、偶然家に来ていた親友の黒毛イノシシ・シシゾーの誘いで、なぜかイモガラ島グルメツアーに出ることになったのでした。店長が、従業員たちにテレビを通じて「しばらくの間休み」と告げたからです。
グルメツアーは、予想外の展開や新事実を多数もたらし、イノシチとシシゾーの絆もさらに深まりました。道中、イノシチがつけていた日記をもとにして、知り合いのライター・シシヤマテルオが出版した本がたちまちベストセラーになりました。その少し前から、イノシチが伝説のキノコを発見して“賢者”と呼ばれるようになった実録本が今も売れ続けており、その原作に着想を得た演劇まで上演され、これまた大ヒット。シシヤマは、今や押しも押されもせぬ超売れっ子作家となったのです。主にイノシチのおかげで。
幸か不幸か、シシヤマは多忙でこの日は来られませんでした。けれども彼の代わりにといっては何ですが、また違った面白いお客さんが来店していたのです。
「イモガラ島グルメツアー、ですか。その話、小生も興味がありますな」
お猪口片手にそう言ったのは、いかにも生真面目そうなスーツ姿の男性でした。
「やや!? あなたはもしや、あの“イモガラ珍百景調査員”のカゲヤマさんではありませんか!」
別の客が、目ざとくスーツ姿の男性に声をかけました。
「おや、小生をご存じで。いかにも、イモガラ珍百景の調査に人生を捧げた男、カゲヤマであります」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべて、カゲヤマと呼ばれた男が答えました。
「イモガラ珍百景」とは、カゲヤマによって命名された、イモガラ島各地のさまざまな言い伝えや伝説に由来した史跡の総称です。珍百景に該当するものとしては、たとえば、イノシチたちも訪れた「万年雪の谷」や、途中通り過ぎた、一年中豊かな花の咲き乱れる庭園などがそれにあたります(なぜ“珍”百景なのかというと、“名”百景ばかりとは限らないし、そのほうがより多くの名所を含められるから、だそうです)。
ただ、実際に百あるかどうかは、まだ未確定。カゲヤマいわく、「色々と調べていればそのうち百くらいにはなる」ということで、便宜上そのように命名されたのでした。
それはまさに知る人ぞ知るマニアックなもので、イモガラ島某所で毎年開催されている「手作り本即売会」でのみ、彼の調査をまとめた本が入手できます。この本を目当てに訪れるイノシシも少なからずおり、彼を慕うフォロワーたちの間で、まだ見ぬ珍百景探しに躍起になっている者もいるとか。もっとも、それらの大半は既にカゲヤマによって発見済みのものばかりですが。
カゲヤマは、熱燗を一口味わうと、忙しそうに動き回るイノシチに目を留めました。
「ほう、彼が噂に聞きしイノシチ君ですか。確かに見栄えのする格好をしていますな」
「でしょ? オレも親友として鼻が高いッすよ」
横から割り込んできたのは、イノシチの親友のシシゾーです。やや内気なイノシチとは違い、明るく元気で誰にでも人見知りしないこの男は、とあるスポーツジムで働いています。シシゾーも考案に一役買った“イモ掘り体操”が、子どもからお年寄りまで大人気で、シシゾーの担当するエクササイズ教室はいつも満員御礼です。
「最初、オレがジムをクビになったから、暇になったんでイノシチをグルメ旅に誘ったんすよ。それがまさか、あんな大冒険になるなんてね! その後なぜか、職場復帰できたんすよ!」
「ほう、なかなかユニークないきさつですな。実は小生も、あの本を読みましてね。ところどころに、イモガラ珍百景のことが記されていて、そこをもっと掘り下げてくれたらいいのに、と何度思ったことか」
「へえ、そうなんすね! おーいイノ、このひともお前の本、読んでくれたってよ!」
いかにも適当なあいづちを打って、元気よくイノシチを呼ぶシシゾーの姿にカゲヤマは笑って言いました。
「いやはや、小生はてっきり、君のほうがイノシチ君だとばかり思いこんでいましたよ。イノシチ君は、ああ見えて意外とおとなしい子なんですな」
「そッすねえ、ちっちゃい字を書くし、すぐ緊張するし、あと高いところ苦手だし」
「ハッハッハ、そうですかそうですか」
シシゾーとカゲヤマが盛り上がっているのをチラ見しながら、イノシチはちょっと複雑な心境でした。
「ちょ、シシゾー、何も今それをバラさなくっても」
「えーいいじゃん、それがお前のチャームポイントだろ!」
答えるよりも先にパッとイノシチは真っ赤になりました。こういうことを恥ずかしげもなく言えるのがシシゾーなのです。常連客達も、うんうん、いつも通り、と言いたげにニヤニヤして見守っています。
「そうそう、イノシチ君はそれでいいんだよ、賢者だからね」
「や、店長やめてくださいよ! 僕は賢者じゃないですってば」
店長がイノシチをからかうと、早くもあちこちから賢者! 賢者! とかけ声が上がりました。
「そういえば、事後報告で申し訳ないのですが」と、カゲヤマが切り出しました。
「イノシチ君が発見した“伝説のキノコ”、あれも立派なイモガラ珍百景ですので小生のリストに追加させていただきましたが、問題ないでしょうか?」
「ええと、僕は別に問題ないです、ハイ」
そもそも自分はそんな偉そうな立場じゃないし、と思いながらもイノシチは同意しました。
「それともう一つ。実は小生、ちょっと勇気を出してお願いしたいことが……イノシチ君、小生の調査した珍百景が実在することを、君に証明してほしいんです」
カゲヤマは、イノシチとシシゾーの顔を見比べながら言いました。イノシチも給仕の手を止め、カゲヤマの声にじっと耳を傾けました。
「“イモガラ珍百景”をめぐり、賛同してくれるフォロワーさんたちが少しずつ増えているのはまことに恐悦至極ですが、ここ最近逆に……何といいますか、お前のやっていることはてんで時間の無駄だ、イノシシならばもっと猪突猛進に突っ走れ、とか、どうせ適当なインチキをでっち上げているだけだろう、などと難くせをつける者が現れ始めましてね」
「ああ、いわゆる誹謗中傷、ってヤツでしょ? そんなの、無視しときゃいいじゃないですか」
店長が、やれやれといったジェスチャーをしながら言いました。
「確かに。小生も、極力気にかけぬようにはしておるのですがね」
とカゲヤマはため息をつきました。
「ですが、さすがの小生も、時々不安になってしまうのですよ。小生が道楽で今まで続けてきたことは、はたして本当に時間の無駄であったのだろうか? とね」
そんなことないよ、別にいいじゃないか、とあちこちで声が上がり、イノシチとシシゾーもそうですよ、全然アリッすよ、と同調しました。
「カゲヤマさんは、ずっとおひとりでイモガラ島のあちこちを調査してこられたんですよね。それって立派じゃないですか! 僕はそういう生き方、憧れます」
「なんと! 君ほどの有名人からそのような言葉をもらえるとは」
感極まったカゲヤマ、突然立ち上がってイノシチに熱烈な握手を求めました。
「イノシチ君、ここで会えたのもきっと何かの縁です! もしよかったら、君の時間のあるときでいいので、イモガラ珍百景のどこでもいい、その目で、その足で確かめ感じたことをレポートしてほしいのです」
「えっ、僕がですか?」
いきなりこれは責任重大な、どうしよう、とイノシチ、おそるおそるシシゾーや店長に助けを求めるように視線を送ったものの、
「イノ、またあちこち旅行できるな! オレも一緒に連れてってくれよ」
シシゾーは期待たっぷりの眼差しを向けてくるし、
「イノシチ君、店のシフトだったら全然心配しなくていいからさ、いつでも出かけておいでよ。なんたって君は、イモガラ島親善大使でもあるんだからさ」
店長もやけにニコニコして、快く受け入れてくれそうな感じです。
「えぇ……でも僕、バイトしないと生活が苦しいので」
「大丈夫です。小生も普段は会社勤めなので、どうにかなります」
いやそういうことじゃなくて、とイノシチがツッコむより早く、すっかりヒートアップしたカゲヤマ、今度は店中のお客さんをぐるりと見回しながらこう宣言したのでした。
「皆さん! 今ここにお集まりの皆さんこそが、この歴史的瞬間の偉大なる証人となるのです。このイノシチ君が味方についてくれたら、小生はもう怖いものなしです。さあイノシチ君、共にイモガラ珍百景の発展に向けて尽力していこうではありませんか!」
それでこそ賢者! と大きな拍手が沸き起こりました。皆の熱気と勢いとに押され、とうとうイノシチもわかりました、とうなずきました。
こうしてイノシチは、半ば巻き込まれるようにして再び動き出すことになったのです。イノシチの“イモガラ珍百景”を巡る旅が、これから始まります!
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