見出し画像

NEW JAPAN PHOTO "THE FINAL EXHIBITION"

タイトルにある展示についての詳細です。
それに合わせて、写真と自分についての記述も。

2010年に、若手写真家を発掘・育成を目的に設立したEINSTEIN STUDIOは、本年を持って活動を終了いたします。THE FINAL EXHIBITIONでは、これまでに #EinsteinStudio が紹介してきた才能ある写真家達から、選りすぐりの36名の作品をMIDORI.soにて展示いたします。

@einstein_studio , which was established in 2010 with the objective of discovering and developing young photographers, will shut down its activities as of this year. THE FINAL EXHIBITION at @midoris0 will feature a curated selection of the work of 36 artists from among the many talented photographers introduced to the world by EINSTEIN. Furthermore, in conjunction with this exhibition, the many books published by EINSTEIN STUDIO will be distributed for free at the venue.

​協力: みどり荘
NEW JAPAN PHOTO "THE FINAL EXHIBITION"

​会期:2020年7月11日~8月9日
会場:みどり荘
〒153-0042 東京都目黒区青葉台3丁目3-11-3F
時間:12:00 – 20:00
休廊日:なし

下記から会場に行かずとも、今回の展示の作品と作家のプロフィールも見れます。

https://www.einstein-studio.com/the-final-exhibition

国士文通省 / Kokushi Buntsuu Show は
今回の展示に際しての作家のプロフィール&コンセプトに対して、

プロフィール&コンセプトは、国士文通省でググったり、instagramのタグから見て感じてください。

と記載した。
そんな素っ気ない言葉とは裏腹に、今回の記述は
かなり長い。

●EINSTEIN STUDIO さんとの関係について
EINSTEINさんがやっている #JAPANPHOTOAWARD#gg8803083 シリーズで apply したところ NEW JAPAN PHOTO という企画が始まるということで お誘いが来て ISSUE.1から参加し始めた。

#gg8803083 という上海に住んでいる時に感じた
違和感や街のムードを、主に上海に住んでいる人々のポートレート、ほぼストリートでの盗撮を元に、観察、検証し、アパレルが生業なので、それをブランド化した。このシリーズに関しては、自分が世代的に日本で経験出来なかったノスタルジックな昭和の部分と経済成長のバブル期が同時期に味わえた上海のその時の今、2012-2016年の人々の生活を、外国人、日本人の目から見たものを残しておきたいという気持ちと、ただ単に面白がって共有したいというSNS的精神から生まれた遊びだったように思う。

2016年から日本に帰国し、福岡に住むようになった。#gg8803083 というのは、街の観察、主に人だったが、日本、福岡に帰って来てからは、#gg8803083 のような世界観はなく、作品という矜恃を持ってしても、盗撮のモラルが上回るため、街で人を撮ることは少なくなった。そこから、今までの街を観察する行為自体に意味を求めて、国士文通省というコンセプト、たった1人の団体を発足した。

思えば、国士文通省的観察は10代後半からの旅の記録と関係がある。2003年からの旅の記録。これに関しては後述する。

国士文通省というコンセプトの中から生まれた一つの手法が、Probagand Hero 、主に政治ポスターの前で顔ハメをして、政治家のメッセージを借用するという、アイロニックなパフォーマンスと、前々から気になっていたSNSにおけるSELFYを掛け合わせた形になった。自分を撮る行為についても、#gg8803083で他者を盗撮していたのが、日本では何か盗撮する気になれなかったから、自分を撮り始めたからだ。
加えて、自分のポートレートの面白さに気づいたのは、studio voiceで、8Pのモデルをしたことも起因しているかもしれない。経験や思考の中から、選択的に作品化されていった。

そのように何か自分の行為を作品化していく習慣を得たのも、EINSTEIN STUDIOさんの NEW JAPAN PHOTO のブックの刊行や展示に参加するというきっかけからだと思う。
写真家やアーティストになろうという考えはなかったが、表現を先に作品として担保してもらうことにより、作品を作り続け、その実績から、アーティストとしての下駄を履かせてもらえた気がした。
そして、#国士文通省 としての観察を写真の表現として、SNSでの発信しながら、観察から得た知見でブランド化していった。
最終的には、生業であるアパレル、ファッションとして落とし込んでいく流れも、写真を作品として担保してもらえてるから出来ることかもしれない。

日本人の若手写真家を世界に発信するという NEW JAPAN PHOTO のコンセプトの結果として、海外での展示や写真の販売実績を得て、今年に入っては、phmuseum からの初の刊行本 Familiar Stranger にも掲載され、自分の写真表現が世界的に広がっていっている現状を、また利用して、次の作品を作っている状況が今。

今となっては、写真を撮ることが日常の当たり前になっているが、2003年、19歳の頃。
高校3年生の時、センター試験で、大滑りして、
広島大学の工学部化学学科に入ったが、
センター試験の失敗の直後から、社会や周りは
何か自分に対して、最もらしい正解を提示してくるが、失敗しても誰も助けてくれないという至極当然だが、若さゆえの逆恨みにより、前みたいに人の言うことを鵜呑みにすることなく、自分で考えて自分で決めるというスタンスにいたった。

そう思っている時に、メンズノンノのモノクロページの特集で、植村直己さんの記事を見て、大学に入ったら、自転車で日本縦断したいと現実逃避的旅行を、2003年8月盆明けから約45日ほどかけて、太平洋側を通って、北海道札幌から鹿児島中央公園に着き、桜島を回ってゴールとした。その時の動機は、受験の失敗から、自分で考えて、自分で決めるために、多くのことを知りたいというのと、大都市のそれぞれの地方の古着屋に行きたいというくらいだった。

この旅では、写ルンですを持って回ったが、その時の自分の主義が、何故か記録を残すことを忌み嫌っていたので、写真を撮る回数は少なかった。その時は、カメラで記録を残すことが、生きることへの冒涜みたいな極端な考え方でいた。目で見て、感じることが1番で、写真に残った過去は偽物みたいな?
その頃から、その時の気持ちとは裏腹に、将来は写真をいっぱい撮るだろうな?という感覚にいたのも覚えている。
この時から続けている観察は、今の国士文通省的である。

写真と自分に関する記述が長くなってきたので、日を改める。

《2020年7月11日》

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?