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僕と大竹伸朗さんにまつわるエトセトラ

Twitterより転載

2006年の全景展の後なのかな?宇和島まで大竹伸朗さん @ohtakeshinro に会いに行くことで、自分の中の何かの本気度を確かめるという若者の活動があって、絵を持って行き見てもらう者、自転車で東京から行く者、ヒッチハイクで会いに行く者などがいた。

友人が、新宿で大竹さんと飲む機会があって、それらの者の話を大竹さんが話をしていたらしく、ヒッチハイクで会いに行った僕は、認識してもらっていたことが嬉しかった。広島での路上のニュー宇宙展の準備で、宇和島では会えなかったが、広島市現代美術館で会えた。2007年。

その会場に向かう坂で、絵を持って会いに行った若者にも会えた。この若者の話は、黒田旗幟店の黒田勉さんから聞いてて、ボストンバックを抱えて現美の坂を登る姿を見て、直感的にこの人は絵を持って東京から会いに行った若者に違いないと思い、話しかけたら、本当にそうだった。

現美の横のカフェで大竹さんに会うことが出来たので、ヒッチハイクで会いに行ったが会えなかったが、黒田勉さんにお会いして大竹さんの話を聞いたこと、勉さんにヒッチハイクボードに次の目的地の松山と書いてもらったので、これにサインしてくださいとお願いすると、背景を描いてくれた。

2007年、広島大学の大学院を中退し、化学の道から、その時は、アパレル?ファッション?に何となく転向した時だったので、大竹さんに会い、お言葉をもらうこと、お気持ちを表明してもらえた感じで、そのことは、何か若者の原動力となった。

それから12年が経ち、熊本市現代美術館でトークショーがあるので、確実に会える感じだった。その前の週に、サイゼリアで山下陽光 氏 @ccttaa ヒカサンと飯を食い、西新の路上で話してたら、大竹伸朗さんに「既にそこにあるもの」を文庫化させて下さいと直談判した話 を聞いた。

しかも、既にそこにあるもの のあとがきでヒカサンのことを大竹さんが書いていた。ヒカサンは、大竹さんに何か気持ちをぶつける若者の先輩だった。熊本現美のトークショーのあと、サインしてもらえる機会があったので、ビル景にサインしてもらいながら、

ヒッチハイクで会いに行ったことを伝えると、その話を覚えててくれた。僕は国士文通省のセットアップを身に纏い、僕の中で最も大竹伸朗っぽい #gg8803083 の錆びてボロボロになったワンボックスカーのTシャツを大竹さんに渡した。自身の道を転向した12年を何か振り返るような出来事だった。

それから、1年半が経ち、先ほど、The Fashion Post @thefashionpost の大竹さんのインタビューを見た。深夜のテンションで、大竹さんに対しての自分の思考が頭を巡った。明らかに、大竹伸朗になりたかった若者だった自分の気持ちがよみがえった。

この1年半の間に、#gg8803083 シリーズをきっかけに、現代美術の人になった。その世の中の認識に付随するように、アートプロジェクトが自分の周りで立ち上がっていて、来年には何個か始まっていると思う。

圧倒的に、大竹伸朗になりたかった若者の自分は、現代美術の人になろうという意志はなく、ただ自分的にカッコ良いことがしたかった。そういう意味で言うと、自分の周りで起きている意義深いことに感謝しながらも、僕はただカッコ良いことがしたかっただけで、それについては、まだ何も達成していない。

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