7年前の年末年始のこと


とにかく、あの頃わたしは1人がこわかった。
高校卒業後、わたしは憧れの大学生活を送るために上京した。
夢見る夢子だったわたしは、東京に行けば夢が叶うとおもっていた。

段ボールがまだ残る部屋で、バナナの皮をむきながら、
これを食べたら、とりあえずお風呂に入らねばとおもった。
お風呂に入って、洗濯して、明日の入学式のつどいの服装を考えて、
それから段ボールをあけ、片づけをする。
たった1人の部屋で、新しい生活がはじまった。
それは、すべてが自由で、でもどこか心細い日々のはじまりだった。

わたしは、やりたいことを我慢しなかった。
おしゃれなカフェに行って、かわいい洋服を買って、友達の家でご飯を食べて、
恋人の家に泊まって、となりの大学生と同じように講義を受けた。

1人でも外食をした。
たった1人で部屋にいると、心細くて耐えられなかったからだ。

わたしは大学生という集団の1人として、埋もれたかった。
埋もれていれば1人であることを意識しないでいられるから。

その想いは、ざわざわしながら付き合っていた彼に振られてから、さらに強くなった。
人生初めて付き合った彼だった。
クリスマス前に振られたわたしは、夢見る夢子から悲劇のヒロインになってしまった。
追い打ちをかけるように、年末年始は大学の講義もなく、帰省の予定もなく、
わたしは1人で過ごさねばならなかった。
たった一人のハッピーニューイヤー。
その時、おもった。
もう、こんなみじめな年末年始は過ごさない。

翌年の暮れ、わたしは箱根のホテルにいた。
年末年始の1週間、住み込みでバイトをすることにしたのである。
目的はひとつ、1人で過ごさないためだった。
「そんな大変なおもいをよくするねえ」
母は苦笑いだった。

怒涛の忙しさのなか、とりわけホテルの支配人の奥さんがこわかった。
決して名前で呼ばれることなく、「派遣さん」といわれ、
目の前で嫌味を言われた。
1週間は一緒に働かなければいけないのに、出足から空気が悪かった。

実際、本当に忙しくて、右も左も分からない「派遣さん」にきつくあたることで、
ストレス発散していたのだとおもう。
「わたしたちの悪口を言ってストレス発散できるなら、それでいいとおもう。実際のところ、戦力になれていないし。」
せっかくだから気持ちよく働きたかった。

同じように派遣できている仲間たちからは
「すごいプラス思考だね」と驚かれた。
毎朝5時に起き、5時45分から朝食の支度、片付け、客室清掃。
それが終わって13時過ぎに朝ごはん。
それまで休憩はない。
3時間休憩して、16時から夕食の支度、配膳、片付け。
終わるのは23時。
「派遣さん」ですらこうだから、支配人や奥さん、従業員はもっと働いていた。

折り返し地点の1月2日が一番きつかった。
14時を過ぎても客室清掃が終わらず、支配人の奥さんはいらだっていた。
流しの掃除をしたのに、水滴がおちていると、派遣仲間A子が注意された。

もともと、そのA子と奥さんは折り合いが悪かった。
A子は4人の中でも一番てきぱきと働いていたようにみえた。
でも、奥さんから水滴のことで注意をされて、なんとなくお互い気に入らなかったことが爆発し、大きな声で言い合いになった。
「もういいです。帰ります。」
A子は、荷物をまとめて去っていった……。

残された3人に緊張がはしった。
とにかく私は、どんなに辛くても、家に帰ったら1人になる方が辛かった。
それに派遣仲間と同じ部屋で寝泊まりするのも楽しかった。
20代の女子が集まれば恋話もできるし、勤務後はそのホテルの温泉に入って労働の疲れをとれるのもよかった。

お互いに「あと3日だよ」と励まし合い、ピークをのりきり、だんだん仕事にも慣れて楽しくなってきた。
奥さんも少し余裕が出てきたのか、わたしたちへの態度がやわらかくなった。
契約の1週間が終わり、帰路につこうとすると、駅まで送るよと声かけてくれ、さらにGWも働きに来てよとまで言われた。

ああ、よかった。
無事気持ちよく終われたと、本当に安心した。
箱根から小田原駅に向かうバスで、思わず派遣仲間の子と顔を見合わせ、
笑いが止まらなかった。

とにかく、おかしかった。
こわかった奥さんも、朝から晩まで働きっぱなしだったことも、勤務後の温泉も。
気持ちよくて、おなかを抱えて笑っていたとき、あれとおもった。

何か見覚えのあるものが……。
わたしたちが泊っていたホテルの一室の鍵だった。
最後、奥さんが駅まで送ってくれることに舞い上がり、鍵を返すのを忘れていたのだ。

しまったとおもった。
もうGWは勘弁だなとおもって、住み込みバイトの大変さが身に染みていた。
できれば二度とかかわりたくなかった。

仕方ないなとおもい、支配人に電話をかけ、小田原駅についたら郵便局でおくるよう伝えた。
でもふとおもった。
帰りに車で駅まで送ってくれる時、明後日は家族でディズニーランドに行くこと、でも毎日忙しくて服をずっと買っておらず、着ていく服がないことを支配人が話していたことを思い出した。

余計なお世話だとおもったけれど、せっかくだからとおもって、
小田原駅近くで、私の好きなブランドのショップがあるか探した。

小田原駅から少しバスでいったところにあるショッピングモールに、そのブランドの店舗が入っていた。
迷う暇なくバスに乗って、そのショップに向かった。
たしか1万2000円くらいだったとおもう。
ブランドなのでもともと高く、セールになっていてその値段だった。

なぜ、住み込みバイトの支配人に1万2000円のブランドもののセーターを買うのか、常識では考えられないとおもう。
でも、買いたかった。
やりすぎだとはわかっていたし、ただの自己満足だとおもう。
そのセーターを買うときに、メッセージカードをつけてもらうようお願いした。
すると、「セール品だから申し訳ございませんがおつけできません」と、すらりとしていて化粧ばっちりのお姉さんが言った。

そうか、だめなのかとおもってあきらめかけたら、そのお姉さんがわたしに目配せして、
そっとメッセージカードを入れてくれた。
ただただ、感動した。
1万2000円で買ったものは、そのお姉さんの優しさだった。
あわてて支配人には、部屋の鍵とそのセーターとメッセージカードを送って、
それ以降連絡もないし、もう会うこともないだろうけれど、19歳のわたしは満足だった。

1週間の住み込みではたらくのは、母が言っていたように大変で、体はボロボロだった。
でも、一日の疲れを温泉で癒すことができて最高だった。
頑張った分だけご褒美があった。
それは温泉であり、こわかった奥さんの変化であり、ショップのお姉さんの優しさであった。

住み込みバイトはその翌年は、ほかの旅館でした。
その旅館は働きやすかったけれど、朝風呂には入ることが出来なかった。
箱根のホテルは5時に起きて朝、温泉に入って、少しでも元気に1日働けるように盛り上げていた。
温泉に入り放題だったし、肌の調子がよくなって、思ってみればいろいろ良いことがあった。
蕎麦屋の面接でも、住み込みバイトの経験を自信もって話すことができた。
1週間限定で、「猫の手も借りたい」忙しさで、怒られながら働いた経験だけど、逃げずに最後までやり遂げたこと、お客さんに料理を出すのが楽しかった記憶が次につながった。


最初の動機は不純だった。
「1人で過ごしたくないから住み込みで年末年始はたらく」
でも、想像以上に得るものが大きくて、予想外の出来事が起きるのが人生の醍醐味だとおもった。

わたしはこの住み込みバイトの経験からこう思っている。
なにか行動するとき、動機はシンプルでいい。でも嘘をつかず、自分に正直でいること。
やり始めたら、できるだけやりきること。
そして自分が限界だなとおもっても、そこで力をふりしぼって、人のために行動すること。

わたしは、もう1人でいるのがこわくない。
でも、友達や仲間がいると乗り切れることが多いとこの旅館で気づいた。
だから、1人が嫌だからではなく、仲間といると頑張れるから一緒にいる。

「類は友を呼ぶ」ということわざのように、自分と同じ価値観や考え方の人が近くによってくるとおもう。仲の良い夫婦はだんだん似てくるように、一緒に過ごす時間が多いと似た考え方や行動をとることもある。
いま、となりにいる人を大切にしよう。

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