エアリアルの操作

エアリアルの操作がいわゆる二人羽織のようなものではないか、とはかねてより言われてきた
ここではそれがもう少し具体的に「操縦」と「レーダー・火器管制」に分かれた「戦闘機の複座式」なのではないか、という話

複座式は旧式

F4ファントム

往年の漫画ファンだと「ファントム無頼」好きな方もおられるかと
などと言って自分で読んだことはなく、解説動画などで漏れ聞く程度の薄い知識しかないけど、漫画が描かれた時点でこの複座式の戦闘機は旧式扱いだったと聞く

コンピュータの発達により、自動化され負担が軽減し、今では複座式の戦闘機もあまりなくなったとか

これをアドステラ世界、水星の魔女の世界に当てはめるとどうなるのか
AIが発達し、人間の恐ろしくファジーな命令ですら理解できるほどになった世界だから、当然同じようにコンピュータに任せることで火器管制やレーダーと操縦を分ける複座式にする意味は無くなっている

ではなぜその旧式な「複座式」のシステムをエアリアルが採用していると思うのか?

ガンダムのメリット・デメリット

ガンダムという機体のメリットは「より直感的に扱える」点
「より」というのは、普通のモビルスーツにもパーメットリンクが搭載され、2本のレバーとペダル操縦であの複雑な動きを実現できているのは、パーメットの「共有」性質を使っているから、らしい

ガンダムではそれを発展させ、より直感的に扱えるようになった。これはガンダムの前段階の技術「ガンド医療」の段階で、装着者の意図を読み取り物理的な操作なしで動かす、という点をモビルスーツの操作に応用したものだと思われる(が、こちらもとりたてて説明がない)

ガンダムにすることでそこをより発展させ、失った体の代わりどころか存在しない器官「ガンビットの操作」にまで応用したのがガンダムであり、他のモビルスーツとは一線を画す機能の一つだった

ところが、これにはデメリットも存在した

存在しないはずの器官を動かすためには「パーメットスコア」というものを上げなければならず、これには反動が伴った
「データストーム」と呼ばれるその反動は、原因も理由も対処法も全く不明だった。データストーム=情報嵐と呼ばれるくらいなので、複雑化し存在しない器官からの情報のフィードバックで人体が混乱をきたすのでは、と言われているが真相は定かではない

複座化するメリット

そこで、時代を逆行して操作を分担することで、ガンダム特有のデータストーム問題の軽減を図っているのではないか?と考えた
操作が複雑で情報が増える、それによってデータストームが深刻化するなら減らせばよい、という実に単純な発想だ

以前より「呪いの肩代わり」という、データストームによる身体へのダメージ「呪い」を、エアリアルAIかその中の人が引き受けている、という考えがあった、これは自分も初期にはそう考えていた

だが、何でその存在が呪いだけ肩代わりするのか?直接操作するのがその存在の方で、スレッタはその存在に命令するだけだから?
何故そんな生贄を?その割にはプロスペラが生贄の方のエアリアルに肩入れし、生贄を犠牲にしてまで守るスレッタに関心がないのは何故?

そう考えても、呪いというデメリットだけ押しつけて動かすその方式より、作業分担でデメリットの回避、ないし軽減をする複座式の方が現実的だろうと思った、相手に意思があるなら尚更

複座式発想の粗

一見画期的な感じもするが発想自体が古く、恐らく既にどこかで提唱された理論と思う
また、結局ビットの操作の複雑さ、そこから得た複数の情報の管制など、ビットを操作する方の負担がはるかに大きく、スコア6ではエアリアルの挙動も向上したことから、単純に操作が分かれてもいない様子がある

これで呪いをクリアするなら複座以上の多人数、或いは呪い自体はやはりあって、前述のようにスレッタ以外の誰かがそれを被っているか

少なくともスレッタはエアリアルの操縦でデータストームのあざが一切浮かんでいない。9話のスコア6でパーメットスコア2、プロローグのナディム機や12話のソフィ・ノレア機のような、より直感的に操れることによる機体のレスポンスの速さ、それによる挙動の向上と思われる恩恵を受けているのにも関わらず

複座式でダメージを分ける、という発想なら、あのスレッタに何の反動の様子もないのはおかしい

結局のところ「黙って呪いだけ受ける」という発想よりはまし、というだけで、マイナーチェンジというか、小手先だけ変えた発想に過ぎない
根本的に呪いを克服した、と考えるには、そもそもその「呪い」の正体が、データストームがなぜ起きて、どんな影響で、本当にその呪いで人は死ぬのか?あまりにも明らかになっていないので考えようがない

そもそもロボット作品でも戦隊もののロボでも、複数パイロットがいる場合結局作業分担が一切示されたことはないので、それらの作品からこうじゃないか、ああじゃないか、と考える参考にはならなかったりと、複座の説得力はよく考えるとそれほど高くもないのだった

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