息子先生(向き合う編)
なんで死んだんだよ〜‼︎って、愛する人に叫んでた。
まぁ、本人だって死ぬつもりはなかっただろうけど、深〜いところでは、肉体を手放すことに同意したんだから仕方がない。
33年間も一緒にいると、体の一部になっているんだなぁと知った。
自分だと思っていたものが、愛されたいと思うがために作りあげたものだったり、自分が望んでると思ったものが、愛する人と共感したいだけだったりと、いったい素の自分というものは存在するのだろうかと思うようになった。
そのうち、今してることは本当にしたいことなのだろうかという疑念が湧いてきた。
好きなことをしている。
好きなことしかしない。
そうやって生きてきたはずなのに、私の中で生まれた小さな波が、私の中を大きく波立たせた。
「なぜ、それをしているのですか?」と。
なぜ、それをしているのか
と、
なぜ、生きているのか
は、
同義語だと思っていた。
が、
小さな疑念は、大きくなりつつある。
本当の私は、生きていると言えるのだろうか。
息子先生に質問された。
「幸せなんだけど、その幸せを感じることができない人生と苦行がひたすら続く人生と二択だとしたら、どっちを選ぶ?」
どちらも無理だ。
即答で、どちらも嫌だと答える。
少しは頭を使えと言われた。
苦行がひたすら続く人生も嫌だし、だからといって、幸せを感じないなんて、なんのために生きているのかわからない。
だとすると、人の人生とは苦行なのかもしれない。苦行の中に幸せを感じる生き物なのか。
いやいや、時代は変わりつつある。
苦行ではなく好きなことをして生きていく時代だと言っているではないか。
だとすると、
好きなこと
したいこと
の前に、本当にという言葉がつくのであろう。
結局は、向き合うことになる。
私はどうしたいのかということに。
どうありたいのか。
どう、ありたいかが、
どう、生きていくかと同義語になる。
うちの息子先生は、苦行続きの人生を選びたくないけど、選ぶということを知っているそうだ。
(今ある状態を苦行だと思っているようだ)
必ず苦行の後には、視野の広がった自分がいると言う。
「だからといって選びたくないんだよ。でも、魂は選んでいるから、結局は、そっちに向かうしかないんだ。悔しいけど、自分の魂は、視野を広げたがっている。」と言う笑。
「だから、現実は自分がつくっているし、自分を取り巻く世界は、変化するのではなく、自分の立ち位置が変化するだけなんだ。それは、時間の経過のこともいうし、視野の広がりのことをいうことも視点の位置のこともある。」
「世界は、ただ全てがあるというだけなのだ。何もかもが、すでにあるというのがこの世界なのだ。」
「世界は変わると思っている人は、世界を変えるために働きかけないといけないと思っている。外の世界を変えようと努力をする。でも、世界は全てを包括しているのだから、すでに変化したものも存在している。ただ、自分の立ち位置を見つめればいいだけだ。」
「それを苦行でやろうが、引き寄せの法則だろうが、量子波の力を借りようが、結局は、自分が何を求めているのかを知るしかないのだから、どちらのやり方でも自分と向き合うしかないのだから、同じだよ。」
要するに、彼が言いたいのは、世界は変化すると認識している人と世界はあるものと認識している人がいるということを言いたかったようだ。
バカな母は、
世の中は、季節の変化とか時代の変化があるじゃん!と違うベクトルで突っ込むのでした。
その答えは、
「それは、自分の立ち位置の変化なんだよ。だから、時間というものは、自分の立ち位置が変わることなんだよ。外の景色も全て内包されてるからね笑」
時間の流れも人それぞれだからと言って、笑えるマンガを手渡された。
そのマンガのことは、またの機会に。
マンガを解説されるという経験は、そこそこないよなぁ。
世の中は、意外と面白い。
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