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息子先生(伝える編)

久しぶりの息子先生の講義(宇宙ビールを飲みながら)

最近、息子先生に見放されつつある。
同じことを何度も説明させられていることに疲れているようだ。 

彼が一生懸命説明するのは、同じ屋根の下にいる人が残念な人では、困るからなのだそうだ。
分かり合えない人とは、話ができない=暮らせないというのが彼のスタイルなのだ。

でも、それも自分の押し付けだったと悟ったらしく、私は野放しにされて相手にしてもらえなくなったのだ。

同じ屋根の下にいるなら、食事は一緒にという私のスタイルをかろうじて付き合うのだが、会話がないのは、たとえ食事が一緒でも苦痛だ。

ということで、平謝りしました。
長い長い親子喧嘩は、こうやって幕を閉じたのでした。

そして、久しぶりに食卓での講義。

常々伝え方についてのご指導が入るのだが、感情は置いておいて、伝えなければいけないことをきちんと伝わるように伝える。

耳だこですが、できていない。

「相手が理解していなければ、伝えたことにはならないから、問題は起き続けるよ。」

「伝わったなら、相手がそれをどうするかは、相手の問題だけど、伝わらずにお互いが感情のぶつけ合いをしていたら、何も変わらないし、分かり合えないよ。」

伝えるって難しいと思うようになった。

いつも飲み込んでいたものを言えたからって喜んでる場合ではない。

伝わっているかが重要なのだ。

伝わっていなければ、それは、相手にぶつけただけだと息子先生は言う。

人は一人ひとり違うから、たいがい思い込みで生きている。

確認してみて、な〜んだということが多いこと。

その反面、説明してもわかってもらえないことも多々ある。

面倒くさいから、逃げる、または、相手の欲求を飲み込む。

そんなことしてるから大変になると息子先生からご指摘を受ける。

「シンプルに生きれば、余分なエネルギーを使わなくて済むから、そのエネルギーを有効に使おうよ。」って言われるけど、感情が先に立つからエネルギー燃やしまくって生きてるなぁ。

考えなくていいことで悩んでエネルギー使って

気を使わなくていいところでエネルギー使って

自分がしなくてもいいことでエネルギー使って

家の中で探し物する時間とエネルギーは、家の中がシンプルなら必要ないのだ。

いつも家の中でどれだけ探し物をしていることやら。(老化のためと言い訳してる)

探し物をしている回数と時間を息子先生に計算されて、この時間無駄だよねって、突きつけられても探し物に時間を費やしているおバカなのだ。

話が逸れてるけど、ちゃんと伝えようっていう息子先生の話は、伝えるだけではなくて、伝わる努力をしようよという話になる。

『伝える』ではなく『伝わる努力』をしようと言う話だった。

それぞれ個性豊かな人たちだと、自分の信念を曲げないから、なかなか伝わらないのだと言ってみた。

私は、伝わるまでのエネルギー量を想像すると諦めるか飲み込むかという結論を出してしまう。

それがいけないと息子先生は言う。

それを繰り返すことの方が、使うエネルギーは、はるかに多いと言う。確かにそうではあるが、時をかえ、人をかえてチャレンジする方を選んでいる。

全ては、自分への向き合い方なのだ。

伝わる努力を続けている息子先生に見放されないように自分の視点を変えていく作業を何年もしている。

彼もまた、なかなか成長しない生徒を前に、時には切れつつ、親子であるというだけで母である私を見放しきれないのだ。

縁というものは不思議なものだ。

三人の息子がいても、同じ屋根の下に暮らしているのは彼なのだ。

今回ご縁の話しから、息子先生の講義が始まったのだが、相手の視野が狭い場合は、こちらの立場に立てないから自分の正義を振りかざしてくる。

だからこそ、きちんと伝えないと、いつまでもわかってもらえず、問題が起き続ける。

伝わる努力と伝える努力

似ているようで大きく違う。

伝わる努力は、相手の視野の広さや立場に立った上で、自分の気持ちを話すことで、感情的に訴えることではないと言う。

伝える努力は、相手のことよりも自分の気持ちをわかってもらいたくて話すことになるから感情的になりやすいし、相手の視野が狭いとわかってもらえないし、相手の視野が広ければ、わかってもらえるという相手次第になっていく。

伝わる努力をして、伝わったなら、相手がそれを受け入れるかは別の問題なのだから、相手がNOと言ってもさほど問題はない。違いがわかるので、次からは、問題が起きなくなる。繰り返さなくなるのだ。

それを、どうせわかってもらえないとか、思い込みで勝手に決めつけて押し黙る。

そんなことを繰り返したくないから、息子先生は、私に講義する。

若い頃は、抗議だった彼も、大人になって講義にかわった(笑)

伝わるように伝えるのは、難しい。

相手が正義を振りかざしてきた時ほど、その圧で言いたいことも言えなくなってしまう。

うまく言葉が選べない。

間違うとキレられるからだ。

そういう人ほど、人の話しに耳をかさないから、私と貴方は違うからと言って縁を切られてしまう。

それでも伝わる努力をすべきなのかと息子先生に聞いてみた。

笑いながら、まずは、自分を観ることだと言う。

自分が相手に何を伝えたいのかを見つけないといけない。それは、感情ではない。

悲しかったとか痛かったとかを伝えたところで、本当の意図は、わかってもらえない。共感や同情は得られるかもしれないけど、本当に欲しいものではないはずだ。(感覚が違えば、共感も同情も得られない)

悲しかったとか痛かったとかの奥にある自分が大切にしているものを見つけないといけない。

でなければ、伝えたいことが伝わらない。

今回も私は、また、伝えられなかった。
伝わる努力をする前に自分が何を大切にしてるのかを見つけられなかったからだ。

どっちでもいいことだから別にいいのだけど…。その…のモヤッとする気持ちの正体がわからなかったから、相手に何も言えなかった。

そのモヤッとする…を息子先生と話すことで見つけた。

息子先生に、「まだまだだね」って言われた。

些細なことほど、流しがちだ。

流すから、そのことで紐付けされた昔のことが表面化するのだとも思った。

これも、あれも根っこは同じで、解決しずに飲み込んだものは、自分のうちに深く眠っている。

そして、吐き出す機会を待っている。

相手に伝えなくても、私が私のことをわかってあげるだけで、些細なことなら消えていく。

大切なことなら、相手に伝わるように努力して伝える。

そんなシンプルなことを

子供の頃はしていたのに

物分かりのいい大人になろうとして

飲み込んで

膨らんで

そして限界がきて

爆発する笑

気が付かないふりをして

見ないようにして

問題をすり替えて

言い訳をして

これでは、世の中が複雑になるばかりだ笑

息子先生よ。諦めずに見放さずにいてくれてありがとう。

今日も、また、息子先生の小言が始まる。

彼の話は長い。(生田斗真のドラマ 俺の話は長いを見てみて欲しい)

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