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VANITAS @福岡市立博物館 レポ


VANITAS @福岡市立美術館 観てきました。
「はかなさ」という概念に対して日本と西欧の考え方の違いをテーマにしたイベントで、難解だったものの、得るものも多かったです。
最初はゼミソン先生による音楽演劇「ヴァニタス・シリーズ Vol.2:フォーリングス」チェロ・ヴィオラ・笙 竽 による音楽+映像の作品 でした。弦楽のノイジーなグリッサンドや笙・竽のタンニングなど、面白い音の響きがたくさん聴けました。今回の趣旨とは若干ズレますが、序破急のリズム感は意識しているように感じられました。
ゼミソン先生には日々、ご指導ご鞭撻を賜っているところですが、プログラムノートを見るまで上手く作品を消化出来なかったので、自分もまだまだだなと思うなどしました。
あと、これは先生が散々言われたであろうことなので自分が言及するのもどうかと思うのですが、 “文化の盗用”が少なからず言及されている場でカナダ人作曲家の先生が日本の価値観を代表するような形で作品発表の場を設けられるのはどうなのかな と思いました。

後半はドイツ・ブラウンシュヴァイク美術大学のヴィクトリア・フォン・フレミング氏による講演、弊学(九州大、芸術工)の結城円先生の司会のもと、進んでいきました。日本が「儚い」という概念にある種のポジティブさを見出している反面で、西欧の儚さ(ヴァニタス)にはそういった側面はなく、ただネガティヴな概念として捉えられている という説明は興味深かった反面、純日本人の自分にとっては理解はすれど共感できない話でもありました。昨今の人新世に言及しながら “ヴァニタス”のおこりについて説明されていましたが、それらの芸術作品がどこに向かおうとしているのか、については詳しい言及を(あえてかもしれませんが)避けており、 ”ヴァニタス“という概念をどう捉えればいいのか、疑問が残る形で終わりました。
質疑応答の際に同じく弊学、古賀先生(だったはず)がおっしゃっていたように、西洋にもニーチェのニヒリズムのような観念があったわけだし、(とはいえ質問に至るまでの前置きが長すぎたのはいただけませんが) 例えば古代インドの宗教観でいうところの輪廻からの解脱のような、虚無な生と死を自覚した上で我々がどう生きるべきか をヴァニタス・モチーフ というような作品群が提示し切れていないのが、モヤっているところかもしれません。
その上で、自分の解釈を述べるのなら、結局、悲観主義や冷笑主義と結びつけるしかないのかな、と思います。人類は発展の代償に自己生存の基盤すら破壊している という昨今の人新世の思考に対して、「いまさら取り繕おうとしたところで見苦しい/むしろ破滅を加速させるだけだ」「人間の本質は欲望の追求による破壊にあり、どうにかできるものではない」といった見解を示しているように感じられました。言い換えれば産業革命(あるいは資本主義成立)以後の侵略的発展の肯定とも捉えられかねないとも思います。
上手く解釈できない とはいったものの、講演内で紹介された作品たちは興味深いものばかりで、得られた知見は非常に多かったように思います。尤も、それらの作品にも、人間の愚かさの表象としてウィットに富んでいる という面白さを見出しているので、結局、2時間で行き着いた先はシニシズムだったのかもしれません。

あとは、前述したように、西欧の「はかなさ(=ヴァニタス)」は悲観的で、自分の目には現代の若者が抱える希死念慮や反出生的な概念とも重なって見えたので、未来を憂える若者ほど、これを聴いて思うことはいろいろあるんじゃないか とも思ったりしました。

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