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虚像と虚言

ダイエットとは|まきこねこ #note https://note.com/innocence15/n/nb8fe404048fd

先日、ダイエットについて思うことを記事にしました。


その中で、書いていくにつれ気づいたことや感じたことがたくさんありました。



なので、ダイエットから掘り下げていって見えてきた真の部分


そこをクローズアップして、また書きながら発見なんだと思うのですが(汗)


書き進めていきたいと思います。



宜しくお願いいたします。



私は30年近く、今ここで初めて言葉に出しましたが30年もの間、見た目について実は実は悩んできました。


・何で自分はこんななんだろう
・何で皆あんなに…



それがベースとなって

足が太いこと
目が一重なこと

を代表に後はあげたらキリがないので割愛させていただくことにします。。
(なんだか滅入ってくるのでやめます。笑)


要は


私なんて


が、ベースにあるんですよね。


心のどこかでいつも、当たり前に
自分と誰かを比べて見ていたんです。



なにゆえ、ダイエットのその記事にて
心が不健康だったことに気づきましたので…


言えます。



やぁ~~~、不健康っ!!見事に心、病んでた!!!


(私、病んでたんだ…と気づき感じることで、不思議なことにホッとする自分がいてどんどん自覚したくなる感じです)


改めて今、こうして振り返ってみると

なんというか、本当に…いや



見事に、思いと現実が不一致


そんなことばかりでした。


その、代表格がダイエットに悩む私


いつも、痩せたい細くなりたいと現状にため息つく日々。


いわゆる、満たされない…満たされていない状態。


そして常に(無自覚&無意識に)私って、どう!?

って意見を求めている状態。


自己無価値感であるのに、自分の価値を感じる術を外側に求めている。

誰かに認めてもらえたら自信が持てるのに
誰かがまるごと私を愛してくれたら自信が持てるのに

心の本音はこの気持ちだったんだと思います。


そうしたら、私、こんなに苦しまなくて済むのに…


ねぇ、私、変じゃないよね?
ねぇ、私、おかしくないよね?


もちろん、まさかそんな風に思ってるなんて夢にも思いません。


そんな心根で、生きていたんですね。

だから、どこへいっても誰といても何をしていても


楽しめなかった。

そして外側に求めている自分には価値があると思えることが起きないか、ずっと心の底で期待して待っているのです。


例えば、すごくドラマティックな恋愛の展開や、
モテモテ~な私!だったり。


心の奥の本当の本当の私はそんなこと一切望んでいないのですが、

心のよくわからない苦しみから解放されたくて
望んでしまう自分はいました。



ほんと、不健康過ぎて引きますね。。笑

笑えないか…。ごめんなさい。



そして何より肝心の事実、身に起こっていることは

自己無価値感を最体験することばかり、実際に起きている。


のです。



だから日ごと、自己無価値感が増すのです。



ここで、何故タイトルに虚像と虚言という言葉を持ってきたのか…


今のところ、『…???』


何で?と、結びつきにくい…もしくは
全く結びつかないと、思います。



私も書いていて、実はたどり着くどころかどんどん逸れていってないか、ヒヤヒヤしていました。


でも!ここで結びつくと、思います!!



私は、いわばありのままの私を受け入れられずに生きていました。


(そもそも、そうだと自分自身が気づいていない)


そのため、ありのままの姿を受け入れられるはずがありません。


常に誰かと比べて見ているのが私の真の姿でした。



時代も、まさに写真の時代でしたから
加工など今の時代と違い、発想も技術も今のようなものはなく

字のごとく、真を写すと書いた写真。



本当に辛かったのです。
現像した写真を見るたびに、自分を知る。

そのため写真を撮るときに

笑えない・身構える・意識してしまう

嫌だって気持ちが、後ろ向きな気持ちが真っ先にやって来てしまう。


そしてさらに、自然体で写る人たちがうらやましくなって。


ジャッジする心だけが育っていく。。



どんどん、現実から目を逸らしていく。。


いつしか、これはまだセーフ…これは、やだやだっ…と、無かったことにする。


一喜一憂


私の人生…もとい、これまでの人生

この言葉に尽きるんじゃないかな、と感じます。




・・・えっ、疲れる。。。



そう思いませんか?

思いますよね、、思いますもん。


いや、思ってた。



・・・・・・・。



ありのままの自分を受け入れられず生きる日々というのは、




地獄…かもしれません。笑


いや、地獄でしたね。
アリ地獄みたい。。


でも、
そんな簡単なことじゃないっっ!(涙)


変われるなら変わりたいよ!そのためにあらゆること頑張ってきたし試してきたし、前向きに努力したし、ダメなところは反省もしたし、自分なりに一生懸命変わろう、変えようってしてきたんだもん!!!!!




でも、現実は

心が苦しい…疲れている。
尚且つ、より心は複雑になってこんがらがっていく。


そして、憔悴していくんですね。


問題はなにも解決していないし、より迷宮入り。

自信を持ちたくて頑張っても、自信につながるどころか…より臆病になる。


何も変わらないことがさらなる辛さを招いて、耐えきれなくなって



ありのままの私を見ないように、脳内が心が


辛い私を守るように


虚像を脳と心は見ていたんじゃないかと思うのです。



見ているものは、いつも何かのフィルターを通していて、人も物も見えるもの全て、自分の都合がいいように見ている。


いわゆる、思い込みでしょうか。



昔、小学生の頃ですが
嘘つきのクラスメイトがいたんですね。

私は、人間不信になりましたし、疑うことの罪悪感に苛まれたりしました。

その子のおかげで、自分を良く言い私を悪く言うことをされ、人から誤解されるばかりで苦悩しました。


その子と出会い、10年近く経った頃
何度と縁を切ろうと試みましたが出来ず


ある時、家の普段目の届かない場所に置かれていた

『家庭の医学』という本を見つけ

どんな思いであったかは忘れましたが、あるページに辿り着きました。


そして、そのページの中に


これだ!!と、思えるものがあったのです。

読み進めていくと、納得することばかりでした。


それは精神疾患である


『虚言癖』


虚言癖について書かれているその文は
さほど長くなく、だけど、これまでわからなかったモヤモヤした心が、命を吹き返したようにキラキラと、そして瞬く間にモヤモヤは解消されていったのです。


記憶にあるのは


『主に幼少期、特に兄弟及び姉妹間で親に優劣を比較されコンプレックスを抱いたことにより起きる』

ということ。


彼女には優秀なお姉さんがいました。
自慢のお姉さんではあったのですが、幼い頃に
姉妹で比べられてしまったのでしょう。


劣等感のかたまりから、優越感を得るために
ありもしないことを本当のことのように言葉にし、また、本人は嘘をついている自覚がない。


要は、幼い頃に傷ついたままの心を
すごいね!って言われることによって満たされる。


そのために、そうなったらいいだろうな!ということや、幸せな自分を表現する。


本当か嘘かじゃない、自分の心が満たされることだけ…


ある程度の特徴を記してみましたが


実は先月、思いもよらぬところで
虚言癖の疑いのある人物が発覚したのです。


まさか、まさか…


あれだけ私は学びに変えたはず…なのに
どうして、また何故、虚言癖の人が現れたのか。

私は何も学べていなかったのか…と


そのことにとにかく衝撃を受けて


今となれば、真実に気づくためのタイミングだったのだと理解出来ていますが


とにかく、虚言癖と耳にして



何も変わっていなかった自分の世界


を目の当たりにした衝撃に…

しばらく呆然と立ちすくむ状態でした。



それが後に、自分自身と向き合うきっかけにもなりました。


ダイエットを決意して、数日後
思いもよらぬ展開に、さらなる自己内観と共に


何故、ここにきて私の人生にまた虚言癖の人物が現れたことに



今、私は



虚言癖ならぬ、虚像という形で
同じだったのではないかと、気づきを得ることが出来ました。



自分がそうだから、言葉にしてじゃないにしろ
現れただけのこと。


ああ、、同じだったんだ。

全て、私のことじゃないかって。


本当に、人は自分自身の鏡であることを痛感しました。



ありのままを、ありのままの自分を受け入れられず
自己無価値感から生じる苦しみ。


私は直視出来ないゆえの虚像を

その方達は価値を感じたくて戯言を


根本は


自分は何の価値もない、自分はダメなやつ
自分なんて…


の、思いがあること。


そんな自分から逃れるために
方法は違えど、元々が同じである。


だから、引き寄せあった…のですよね。



またしても、そのことについて新たに別の記事として書き綴ることが出来そうな気がします。笑


衝撃ってそもそもそんなになるまでの
その、虚言癖…誰なのよ。。。って


なんて、気になりませんよね。笑


ここまで読んでくださり本当に
ありがとうございます!
ありがとうございました!



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