綺麗にする必要なんてない

ラーメンを食べるのに小皿を使うのは不細工だと思うか? もう顔は忘れてしまったけど彼女は美しかった。 “綺麗“とは傷や汚れがないモノだと、それが常識だと洗脳されていた。そんな鎖に縛られた僕を断ち切ってくれたのは彼女だった。 名前も顔も声も思い出も知らない彼女はただ美しかった。 
強さを身につけなければ死んでしまうと教えられた。形ないモノの定義を身につけられた。
“教育“が残してくれた僕には興味がなかった。

彼女は弱さを身につけていた。それも作られた弱さじゃなかった。 笑顔は素晴らしいものではなく、食事は道具を使う必要もなく、足は揃える必要もないのだ。

むせながら小皿を使いお子様ラーメンを食べ、素手でポテトと貪りゆっくりと噛み、トレーの上に落ちた食べかすを素手で口に運ぶ彼女は足を組んでいた。

心臓が高鳴る。本当に美しかった。
スープを飲み干してお腹を撫でる姿も、帰り際に手には紙パックの林檎ジュースを持っている姿も美しかった。 可愛いや綺麗などではなく、“彼女“だった。

遊園地に消えていった彼女を追いかけたが見つからなかった。

だから書いた。