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へすへす。

自分の人生を振り返るのって面白いかもな。
なんて、山手線沿いで放屁テロを企むイカした兄貴の文章にまんまと触発されてしまった。


これから私はこれまでの人生を語る。
けれど正直、誰にでも晒していいような内容では無いと思っている。
聞いた人がもれなくへすへすしちゃうから。

最っっ高にへすへすしたい気分の方はどうぞ覗いていってください。
今回は幼少期の家庭環境に焦点を当てて語ります。

それではれっつらご٩( 'ω' )و




私は、東京郊外の片田舎で生まれ育った。
8歳のときに両親が離婚して、そこからは母が女手一つで私を育てた。

離婚する直前のことを思い返すと、ドラマや漫画で見るような現実離れした思い出ばかりが浮かんでくる。

仕事に行かず、家で昼から缶ビールをかっくらう父。
その空き缶をテレビの裏に隠し、それを見つけた母が父を怒鳴りつける光景。

近所のコンビニまで酒とタバコのおつかいを頼まれて、レジで店員に「お母さんかお父さんは?」と心配された記憶(当時は未成年でも買える時代だった)。

母の自転車の後ろに乗りながらボロアパートの3階にある自宅の玄関に視線をやると、借金取りの黒くて大きな影が立っていて慌てて遠回りした記憶。


自分の家庭が普通では無いことには結構早い段階で気付いていた。
8歳だった頃の私は劣等感を知っていた。
クラスには馴染めず、友達らしい友達は当時居なかった。


離婚したての頃、授業参観や学童保育のお迎えなどで同級生の父親の姿がやけに目に入った。
どのお父さん方も自分の父とは比べ物にならないくらいしっかりとした面持ちで、眩しかった。

周りに母子家庭は本当に私しかいなくて、元々友達もいない私はその寂しさを誰とも共有出来なかった。

どうして普通のお父さんじゃないのだろう。
どうして両親揃った家庭じゃないのだろう。

どうすることも出来ない悔しさにも似た衝動が、決まって夜になると襲ってきて、暴れだしたいのをグッと堪えて枕を涙で濡らしていた。


後になって母から聞いた話だが、私が物心つく前から父親の素行は最悪だったらしい。
借金・浮気は当たり前だったので、職場で金銭関係や不倫などのトラブルを起こしてはクビになった。

父が大きな問題を起こす度に引越しをした。
それは何故か2年周期くらいでやってきて、私が3歳、5歳、7歳、9歳のときに。
私は10月生まれなのだが、引越しは毎回決まって9月末頃だった。
2年に1回、誕生日をダンボールに囲まれながら迎えた。
もちろん誕生日プレゼントなど強請れるわけもなかった。


そんな幼少期。
貧しい中でも女手一つでここまで育ててくれた母。
某あの人みたいに父の日に母へプレゼントを贈るくらい感謝している。


…なんてこともなく。
どちらかというと私は、母の方を強く恨んでいるかもしれない。


幼少期だけでだいぶ長くなってしまったので、今回はこの辺で。


次回『母、毒親と化す』
デュエルスタンバイ!!



……どう?へすへす出来た?☺️

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