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日々是レファレンス「おふゆさんの鯖」

 ある夏の暑い日の朝、朝ゴローで朝食を食べコーヒーを飲み終わってもまだだらだらしていた10時過ぎ、だしまきさんがやたら発泡スチロールの箱をたくさん持って入ってきたのでどうしたのか尋ねると冷蔵庫が壊れたのだという。とりあえず発泡スチロールの箱に避難させて持ってきたとのことで「今日にも冷蔵庫を買いに行かなきゃ」と言っている。11時に予約のお客さんがいるらしいが、それ以外はもうお休みにするという。

クマゴローカフェの朝ごはん「朝ゴロー」滋養に富んだ朝粥
だしまきさんのだし巻きサンドセット

 大変だなぁと思いながらさらにだらだらしているとクマゴローカフェの店主が「私ときどき冷蔵庫を魔窟にしちゃうんですよね」と言う。ちゃんと家でごはんをつくり、大きな冷蔵庫を所有している人なら誰でも経験のあることだと思うが、冷蔵庫の奥の方で賞味期限を大幅に過ぎた食料が、何かの折に(年末の大掃除とか)発掘されるというアレだ。「でもね、賞味期限ってあれ、メーカーが勝手に付けてるだけですもんね。自分でちゃんと確かめられないようでなければダメだと思うんですよね私」とクマゴロー店主はのたまう。たとえば、豚肉は糸を引いたら加熱しようが何しようがもうアウト、とか。あいにく豚肉を糸が引くまで放置したことがないので、へえぇそうなんだと思うしかないのだが、問題はその食料の処理の仕方だ。そのまま捨てるというのがいちばん簡単な対処法であろうが、捨てることに抵抗がある向きも当然のことながらおられよう。となると、自分の舌で、身体で、ギリギリを確かめつつ調理して食するしかあるまい。クマゴロー店主は、これくらいなら大丈夫だろうと思って料理したところ、自分は大丈夫だったが、ご主人とお子さんが「なんかお腹調子悪い…」ということが実際にあったそうな。

※念のために断っておくが、あくまでクマゴローの家庭内の話であって、クマゴローカフェの店舗ではそのようなことはない。念のため。

 これに似た話をどこかで読んだ記憶があり、なんだったかとしばし考える。たしか幸田文(幸田露伴の娘)だったか青木玉(幸田文の娘)だったかのエッセイだったような…とぼんやり考えていると、「冷蔵庫って普通に使っていたら10年くらいは保つよねぇ」などと冷蔵庫の耐用年数に話題は移っていったのでそのまま忘れてしまった。

 その後僕は折り畳み自転車に乗って足羽川、九頭竜川沿いに三国に出かけた。

抜けるような青い夏空
九頭竜川を三国へ
三国港

 ハンバーガーを食べたりひさしぶりに行くカフェでお茶したりはちみつ屋さんでソフトクリームを食べたりして、三国港駅からえちぜん鉄道に乗って三国を後にした。

お気に入りの店でハンバーガーを食べたり
(ビールを飲んだり)
ひさしぶりに行くカフェで
お茶したり
はちみつ屋さんのソフトクリーム食べたり
えちぜん鉄道三国港駅から輪行で帰る

 福井方面に戻り、いつものように福井県立美術館横の美術館喫茶室ニホへ。汗だくで暑いので桃ソルベソーダを注文し、洗面所へ入り顔を洗って一息つく。

福井県立美術館隣
美術館喫茶室ニホ
暑い日は桃ソルベソーダを
この日の走行ログ

 自転車走行のログを採ったり、インスタのストーリーズに撮った写真を上げたりひととおりスマホを触って、店に置いてある雑誌『アンドプレミアム』をなんとなく手に取る。最新号(2023年9月号、7/20発売)は「暮らしの本。」へぇ。ていねいなくらしというヤツがこの雑誌いっぱいに展開されているんですかね。などと穿った目つきでページをぱらぱらと繰る。ある頁で手が止まる。あれっ。幸田文だ。おっ。「おふゆさんの鯖」これやん!

月刊『&Premium』9月号をぱらぱらとめくり…
ハッ!幸田文だ!偶然に身体が震える

 出所は幸田文の作品を娘の青木玉が編んだ『幸田文 台所帖』(平凡社)。
「おふゆさん」は幸田家のご近所だったかなんだかの、針仕事なんかでつつましく暮らしている後家さんである。で、おふゆさんが、やもめの干物屋から買った鯖が、どうやら具合の悪いことになっているが、とりあえず食べて確かめてみて半分くらいでやめた…とそういった感じの話だ(是非実物を読んでほしい)。いろんな含意があったと思うが、腐っているからといってすぐに捨ててしまうのではなく、せっかくだから、においをかいだりちょっと味見してみるなどして境目を見極めるべきだ、などといったことであったと思う。

 で、僕がどこでこの随筆を読んだのかもついでに思い出した。大学入試だったのである。国語の入試対策としてバッキバキの論説文ばかり読んでいた僕は、いきなりの随筆に、試験中とてもとまどった記憶がある。正直最初意味がよくわからず、当時こういった文章を読むことにもあまり慣れていなかったので、必死に読み込んだ(入試なので)。本来、軽い気持ちでとは言わないまでも、楽しく読めばよいはずの文章を。そりゃ印象に残るはずである。

 過去に読んだ文章が、現在のなにかをきっかけにふと蘇ることがある。苦い記憶とともに思い出すこともあるが、大抵はピースがガチャッと嵌ったような気がして心地よい。
 読書というものは、ある本を読んで、同じ作家の別の作品を読んだり、関連する別の作家を読んでみたり、新聞や雑誌の書評欄を見て読んでみたり。世の中はいろんなレファレンスに満ちている。レファレンスは別のレファレンスと繋がっており、また別のレファレンスに…といったふうに、ほぼ無限に、網の目のように繋がっていく。知のありようをリゾームに例えたのはドゥルーズ/ガタリであったか。読書家は、レファレンスの網の目を軽やかに通り抜けてゆく知識の探求者のようだ。
 こういった、日常の中で思いがけなく拾い上げたレファレンスを、忘れないように書き留めておきたい。日々是レファレンス。

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