観劇レポート:FOSSE~生命を表現するということ~
前回の観劇レポート「ピピン」の続きとして。
ミュージカル「ピピン」を見に行ったことで、ボブ・フォッシーに初めて触れた二十歳の時のことを鮮明に思い出してきた。
18年前のことにはなるけれど、あの直後に9.11同時多発テロが起こったので、いろいろな意味で印象的で、よく覚えている。
言葉の壁……それでもミュージカルが見たい!
2001年の夏、大学生だった私は、英語の勉強という名目で親から出資してもらい、ニューヨークへ行った。
当時は、臆病で、初対面の人に話しかけることが物凄く苦手で、語学学校では、案の定、日本人同士でつるんでしまい、良い友人はできたけれど、英語の勉強にはあまりならなかった。それでも「せっかく来たんだから本場のミュージカルを見たい」と思って、ドキドキしながらタイムズスクエアのTKTSへ向かった。
今思うと、当時は別にミュージカルが大好きというほどではなかったので、なんでわざわざブロードウェイへ行こうと思ったのか、ちょっと不思議な気がする。たぶん、特別な意味はなく「せっかくニューヨークまで来たから」「ニューヨークと言えばブロードウェイ」くらいの軽い気持ちだった。
動機は軽い気持ちでも、言葉の壁は気が重い。
ネイティブのスピードで、様々なジョークを交えながら展開するセリフを聞き取れるとは到底思えない。
ブロードウェイのチケットは学生にとって(社会人でも?)安くないし、全く理解できないものに高いチケット代を払うのはさすがに嫌だった。
「言葉がわからなくても、内容が理解できるやつにしよう」
そう思って、友人たちにも相談に乗ってもらいながら、決めた演目が2つ。
①ダンスがメインで言葉がわからなくても楽しめるもの
⇒ FOSSE
②物語の内容を知っているので、英語がわからなくても理解できそうなもの
⇒ レ・ミゼラブル
余談だが、②のレ・ミゼラブルには、ちょっとした思い入れもあった。
1998年の長野オリンピック、フィギュアスケートのミッシェル・クワン選手(アメリカ)がエキシビションで滑った曲が「On My Own」、片思いの女の子の歌だ。
惜しくも金メダルを逃したミッシェル・クワンの情緒的なスケートと、美しく物悲しい「On My Own」の歌声がぴったりで、なんとも印象深かった。しかも、クワンが選んだのは、日本人の島田歌穂さんが歌ったバージョンのもので、開催国のオーディエンスへの配慮が感じられた。
(国際性って、外国のことを勉強するだけじゃないんだ)
彼女のスケートからは、そんなことを教わった。
自国の文化があり、相手への配慮があり、両方が表現できる、自分の好きな曲を選んだクワン。
彼女への尊敬が、今も、私の中の国際性の基盤になっている。
で、本当に言語無しで理解することにチャレンジしたのが「FOSSE」だ。
私にとって初めてのブロードウェイ劇場の体験でもある。
実は、一番驚いたのは、舞台上の出来事ではない。それは観客だった。
ブロードウェイ・ミュージカルのオーディエンス ~目の肥えた観客の素直な賞賛~
(なんて素直に感情を表現する人達なんだろう)
そう思ってびっくりした。
日本の劇場でこれまで聞いてきた拍手と全然違う。
このタイミングが拍手すべき時だから叩くとか、みんなが拍手するから叩くとか、そういうことではなく、心の中にある感嘆がそのまま拍手になってあふれ出ている。
誰かが拍手していても、自分の心があふれていなければ叩かないし、逆に誰一人拍手していなくても、自分の心に刺さっていれば誰にも憚ることなく素直に手を叩く。
そんな印象で、そのことが私にとっては物凄く大きな衝撃だった。
(自分の心の中をさらけ出すことは絶対にしてはならない)
この強迫観念は、長年、私の中の呪いだった。
日本人は多かれ少なかれ、感情を押さえるように躾けられていると思う。
私の場合、両親や学校がことさらに厳しかったわけではない。
それでもなぜか、強く強く刻み込まれるようにその呪いは効いていた。
(私の本心は絶対に人に悟られてはいけない)
そんな私が、素直に感嘆を表す人たちに囲まれて「FOSSE」を見た。
ダンスは、自分の内側にあるものを外側に現す手段だ。
それは、高校生のころ創作ダンス部でくどいほどに教わった。
そして「FOSSE」は、故人ボブ・フォッシーが創り出した振付と、フォッシーを愛して悼む人々の創造力でつくられた舞台だった。
フォッシーが自分の内側から現実界に引っ張り出してきたものを、フォッシーを愛する人たちが表現し、フォッシーを愛する人たちが観る、パワフルな共振の場。あれを二十歳で体験できたのは、私の人生において最もラッキーなことの一つだ。
フォッシースタイル ~こんなにセクシーで大丈夫?~
格好よくてセクシーで怖くて可笑しい。
フォッシーのダンスは、総じて言うとそんな感じだ。
当時の私は今よりもピュアな感性だったから、あのエロスは衝撃だった。
女性の身体のラインの美しさは、大学のフラメンコサークルでも見慣れたつもりでいたけれど、ブロードウェイのプロダンサーのフォッシースタイルにはくらくらした。
腰のライン、肩の寄せ方、ピンと立てた人差し指の艶っぽさは当然のこと。ぱっとひらいただけの、人間の手のひらに色気を感じるなんて。
(こ、こんなにエロいものが、こんなにたくさんの人たちの面前で演じられてていいのか~!?)
とびっくり仰天しながら、怖くてもつい魅せられてしまう。
男性の筋肉を美しいと思ったのは、たぶんあれが初めてだった。
フォッシースタイルの色気には、二つの方向性がある気がする。
アヤしい腰つき系と、筋肉の力強さ系。男も女も両方持ってはいるけれど、やっぱり筋肉の力強さは男性のダンスの持ち味として強く感じられる。
そして、現れ方も二通り、動きの色気とシルエットの色気。
これらがフォッシーの魔法で組み立てられると、眩暈がするほどにセクシーで格好いい。
(うう……格好いいからつい見ちゃうけど、エロさ控え目、怖さ無しくらいで、このスタイルが見られるといいんだけどなぁ……)
罰当たりだけど、そんな風にも思った。フォッシーの突き抜けたエロスの表現は、やはりどこか怖いところへ引っ張られる感じがする。
でも、当時の私にはお気の毒だけれど、たぶん切り離せないものなのだ。
エロス(生、性)とタナトス(死)はセットだから?
ちょっと違うかもしれない。
ボブ・フォッシーがそう感じたから、それがそのまま表されているだけ。
突き抜けて生きる生命の燃焼は、私が怖いと感じるものへ繋がっている。それがフォッシーの内側にあった世界で、二十年近く経った今の私も何となく同意する。
いのちは炎のようなもので、美しいと同時に恐ろしい。
恐ろしい成分を取り除いてしまうと、いのちの美しさも薄っぺらくしか表現できない。
そうなってしまったら、それはもはやフォッシーの魔法ではない。
フォッシーは、生命力を顕現する魔法使いだから。
ディープインパクトからの9.11同時多発テロ
ブロードウェイ観劇でディープインパクトを受けた私のニューヨーク旅は、ちょっとしたおまけがついてきた。
帰国後しばらくして起こった、9.11同時多発テロだ。
語学学校で知り合った日本の友人たちの中で、まだ現地にいるはずのメンバーもいたので、彼らの安否が知りたくて、ネットでいろいろな情報を探しまくった。
日本ではインターネット普及の初期くらいだろうか。大学生の多くは使っているけれど、社会人で日常的に使う人はまだ限られている頃。動画はあまりなく、文字情報が主流で、2ちゃんねるの板をあちこち見て回るのは、ガセネタと自分が必要な本当の情報を見分ける良い修行だった。
はじめは友人の安否のために情報を探していたのに、友人の安全が確認できてからも、なぜか寝る間も惜しんでずーっと何かを探していた。
玉石混交の情報を自分なりのふるいにかけてたどり着いた、私の率直な答えは、
「この舞台は脚本家の内側にあるものを観客に伝えることに成功したんだ」
ということだった。
いつ空から死が降ってくるか、わからない不安。
緻密な計画の元、たくさんの生命を費やした結果、その不安はとても多くの人に正確に伝わったように見えた。
生命というものの表現として、結果、こんな形になることもあると知った。
あの頃、とても口に出せなかった本心は、例えばこういうものだった。
その後いろいろあって、私の中の例の呪いは徐々に解けてきたように思う。少なくとも、絶対に悟られてはいけないと思いこんでいた本心を、こういう場で書くことができる程度には自由になった。
転職と旅をくり返し、いろんな事をしてきたけれど、結局逃れられないものがある。
自分の中にあるものを外側に表したいという業。
「本心をさらけ出してはいけない」という長年の強迫観念でも抑え切れなかった、私の願いだ。
あの2001年の夏、「FOSSE」は、私の人生の軌道をほんの少しずらした。
多くを感じていても何も表さない一生から、表現者という人生へ。
当時すぐに、劇的な変化があったわけではないけれど、振り返ってみれば、あのインパクトが今の私、表現する私に繋がっている。
2019.06.28
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