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インスタ道に垣間見る、日本のしたたかな強さ

私は、どちらかというと流行に疎い。
大学の頃に携帯電話を持ったのは友だちの中で1番遅かったし、Instagramもアカウントは持っているけれど、あまり使いこなせてはいない。
撮影テクやいろんなアプリを駆使してインスタ映え写真をアップするような素敵女子たちとは、一生わかりあえないんじゃないかなと思っていた。

そんな私でも、妹からこんな話を聞いた時には驚愕した。
「インスタ女子たちのポイントは、写真と数十文字の言葉で、いかにさりげなく季節感を入れるかだってさ」
「なぬっ、季節感!?」
「そうそう」
「文字数を削ってさりげない季節感……って俳句かよ!」
「なんかもう華道とか茶道と同じ、『インスタ道』だよね」
「やばい。流行りものと思って馬鹿にしてたけど、なんか完全に敗北感…」
「いや、そこまで思わなくても(笑)」
しかし、姉は本当に申し訳ない気持ちになったのです……。

結局、ただの承認欲求じゃないか、見苦しい。
インスタ女子というと、そのくらいに思っていた。
私自身、Facebookでいいね数をつい気にしちゃうような自分が嫌いだからだろう。
でも、動機がどこにあっても関係ない。
インスタ女子は、まごうこと無き日本文化の継承者だ。
その1点があるだけで十分。
彼女(男性もか?)たちに対する私の侮蔑感はあっという間に薄まって、リスペクトみたいなものに変わっていた。
この『インスタ道』という見方は、私にとって、ちょっと天地がひっくり返ったみたいな衝撃だった。

無意識の中で継承されていくもの

日本人ほど無意識の中にたくさんの古代からの智慧・文化を継承している民族はいないんじゃないだろうか?
これは、私がここ数年持っている仮説だ。
無意識に、というのが大切なポイント。
無意識だから、数千年あるいは数万年、滅びることなく継承されたんじゃないかと思っている。

意識的に継承される文化や信仰は、侵略者に滅ぼされやすい。
世界各地の先住民的な文化は、最近でこそ価値が認められてきているけれど、ちょっと前まではよく弾圧され、撲滅される方向だった。
ネイティブアメリカンも、ハワイも、南米も。
侵略者がやってきては、先住民の文化や生活を破壊し塗り替える歴史はどこも同じだ。
私の個人的な歴史観だけれど、たぶん、2~3千年前の日本も同じだった。
大陸だか半島からの大量移住者が政権を取り、それまであった多様な生活スタイルや信仰は弾圧され、忘れられ、「日本人はひとつの民族」という幻想に染まっていった。
その時代ごとに権力者たちは、仏教や神道や儒教など、支配に便利な宗教を輸入し開発し着替えていく。
だから、1万年前にこの島国に住んでいた人たちがどんな考え方をしていたかなんて、知る術は無いのだ。
土器や石器、集落遺跡以外に、1万年以上前から継承されているものは無いように見える。

しかし、見えないものの中に受け継がれているものがある。
緻密で繊細で、その気になって探求するとものすごく濃密な知識になり得るものが。

食べる前の言葉がなぜ「いただきます」なのか?

わかりやすい手がかりは「いただきます」だろう。
食事の前に言う言葉がなぜ「いただきます」なのか、たぶん多くの日本人が知っている。
育った家庭環境によって、教わったことはそれぞれ違うのかもしれない。
作った人に感謝するとか、食べ物そのものに感謝するとか、食べ物を与えてくれた神さまだか仏さまに感謝するとか、いろんなバリエーションがあるだろう。
多くの人が、普段、深くは考えずにこの言葉を使う。
それでも、例えば外国人から尋ねられたら、ある程度、似た答えが出て来るんじゃないだろうか。
つまり、この「いただきます」というたった6文字の言葉だけで、私たちは命を食べて生きることを教わり続けている。
そんな当たり前のこと、と思うかもしれないけれど、真摯に向き合えば、これほど深い精神文化も無いだろう。
例えばこういう些細で当たり前で誰も気にしないようなところに、この島国の古代からの智慧が隠れている。

たぶん、インスタ女子たちは、別に中学で古典文学が好きだった人たちばかりじゃない。(中には一部、そういう人もいるかもしれないけど)
親御さんや学校から「季節感とはこういうものです」と教わったから、インスタにそれを取り込んだわけじゃないだろう。
それでも、彼女たちの表現手段や、そのセンスの良し悪しを評価する人たちの感覚の中に、季節を表すことを尊ぶ何かが顕れ出てくる。
俳句どころか、少なくとも万葉の昔から、この島に住む人たちと同じ何か。
なんと根深くしたたかに強い潮流なんだろう。

この根深く強く、おそらく何万年も続いてきた流れを想うと、私は
(なんだかんだ言って、この島の人間たちは別に大丈夫なんだよなぁ)
と思って笑ってしまう。
表層では、様々な文化や支配体制や無数の問題が浮いては消える。
でも、根底には、しなやかに形を変えながらも大切な部分は変わらずに残る、そういうしたたかさがずっと流れている。

私はこの国の人間のそういうところが本当に好きで、誇らしく、心強い。
そういうものを見つけたり触れたりするのが好きだから、私は旅を続けているのかもしれない。

2020年2月28日

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