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「凡凡」1.接見禁止

 要するに私は私を過信して遊んでしまった。年末に神奈川に遊びに行き、ほとんど寝ないで翌日仕事納め、納めた足で毎年恒例の下北沢の徹夜を費やす忘年会。行きの電車で寝て行けば平気という正体不明の過信、二日で睡眠は電車移動の約二時間、しかも私は電車で眠れない。遊ぶのだから寝ないでも平気という謎の過信、付随して実際楽しいもんだから興奮していて眠くなんてならなかった。おそらくこれが私の体力を奪い、国民的な休日に劣悪の状況をもたらすことになる。
 大晦日、部屋に引き籠って深夜1時を待っていた、TBS、JUNK「伊集院光の深夜の馬鹿力」の開始まで軽くお酒を呑みながら「笑ってはいけない」を牧歌的に眺める。兆候は「笑ってはいけない」の前半から現れ始めた、お酒がまずい、お酒が呑めない、座っていられない、しかたなくソファに横になってTVの画面を眺める、時折記憶がなくなる、眠っているわけではない、しゃきっとしよーじゃないかとお風呂に入るのだけど通常設定の42℃が冷たく感じ45℃のお湯をお風呂に貯めた、私はその熱湯風呂をまったく熱いと思わなかった、お風呂からあがると異様に喉が渇く、乾くもんだから冷蔵庫の冷えたルイボスティを煽る、今度は震えが止まらない、手が新喜劇さながらに、ふざけてんじゃないかってくらい震え出す、更に吐き気、そこからはずっと吐き気、乾く飲む吐く乾く飲む吐く、渇きはいっこうに満たされることなく、鏡に映った私の顔は「レオン」のゲイリー・オールドマンの形相、更に震えているもんだから狂気感も尋常でない、飲んでも吐いてしまうので脱水状態なのか息切れで肩が大袈裟に上下に揺れていた、横になりたいのだけど吐き気が止まらず、洗面台の下にうずくまってただ次の吐き気にそなえる大晦日。このあたりから中島みゆきの「世情」が薄くフェードインしてくる。
 ガックガクに震え肩を上下させ、ひたすら口と鼻からルイボスティをゲーゲー吐く、ルイボスティは私の腑にいっこうに落ちることなく手前で必ずリバースしてしまう、テメーで淹れたルイボスティをいったん口にいれて胃に落ちる前に吐いてしまう、なんかこうもなると排水溝に直接ピッチャーのルイボスティを捨ててやろうかという願望すら沸く、時折ブラックアウトしている、ヤベえな死ぬかもと少し思った。~シュプレヒコールの波、通り過ぎていく。変わらない夢を、流れに求めて。時の流れを止めて、変わらない夢を見たがる者たちと、戦うため~「世情」は勝手にサビを迎えており、私はスローモションで洗面台に立ち上がっては吐き、そのまま床にうずくまりブラックアウト、最中聞こえてくる「松本アウトー」「方正、田中、遠藤アウトー」「浜田、松本アウトー」、お風呂場の脱衣所にある洗面台からリビングに頭だけ出して現実を確認したい、タイキックを見たいと切望するのだけど、吐き気はまたすぐに来て洗面台を抱える、吐きながら「笑ってはいけない」の続きが勝手に頭の中で再生される、時間の感覚が失われ、現実と虚構の境界が曖昧になる。~シュプレヒコールの波、通り過ぎていく。変わらない夢を、流れに求めて…その間も、中島みゆきは「世情」を唄い続ける。
 後に発覚するんだけれど、私はそんな状況にいながらも二人の友達にメールを送っていた、最早無意識で。それは今こんな状況だから辛いとか、この状況どうしたらよろしくて?なんていう現状報告の内容でも救いメールでもなく、私は一人の友人にはひたすら君のことがうらやましい!!といった内容のメールを送り、もう一人の友人には今私は○○がしたい!!といった内容だった。それは吐き気と発熱で「世情」を漂わせたゲリー・オールドマンの化身になった人物が送ったメールとはまるで思えないような内容であり、それが狂気の沙汰を感じさせるダイイングメッセージのようだった。更に「深夜の馬鹿力」にもメールを送ろうとしていたらしく、スマホの画面にラジコのアプリとメールフォームが立ち上がっていた、メールの書き出しには「マジ卍」とありその後、私はこと切れたと予想される。
 翌朝は晴天だった、私はきちんとベッドにいて、開けっ放しのカーテンから青い空が見えた、枕周辺にバスタオルが三枚散らばっていて顔のまわりが気持ち悪かった。起き上がる気力は皆無で、仰向けになったまま空を眺めた。私のアパートの隣には小さな川が流れているんだけれどその日は、すぐその先に海があるような気がして、海が近いってこれが醍醐味よねーとわけのわからないことを平然に思った。更に空を眺め続けると、チュリチュリチュリチュリ音がしはじめて小さくて黒い鳥が空に集まってきた、あっという間に鳥は増殖して空一面が蠢く黒い鳥でいっぱいになった、チュリチュリも大音量と化し、黒い鳥の隙間からわずかに見える青い空が眩しく、その青はシールを全部剥がしてしまった後のシールの枠みたいだなと思った。こんなに沢山の鳥、これは非常事態なんだろうなと薄ぼんやり思うのだけれど、どこか他人事で、ただひたすら鳥うるせーなと思う。
 次に目を覚ました時にやっとベッドから立ち上がってみた。今がいつだかわからない、とりあえずなんとなく世話になったことを記憶している洗面台に足が向く、着ていたバスローブが丸くなってスマホと一緒になって床に転がっていて、やはり私は近い過去に洗面台と関わったことを確信する。しばらくぼんやりして、自分ではこの状況がどうにもならないことが少しずつわかってくる、もう吐き気はしなかったが熱を測ると42℃あった。ひさしぶりに発した私の音声は「オッケーグーグル近くのタクシー」であり、近所の病院へタクシーで向かう、インフルエンザの陰性陽性がわかるまで病室に閉じ込められ点滴を受ける、ぶら下がった点滴に「接見禁止」の札がかけられていた、その札を眺めていたら私は何某の犯罪者かテロリストのような気がしてきたが、脱水症状が緩和されて気持ちよくなってひたすら眠った。数時間後、やって来た医師に不特定多数の人がいる場所に行かないようにと、なるべく人と接しないようにと念を押された、テロリストの元旦。
 幸先の熱い新年を、うずくまったり唸ったり這いつくばって迎えたわけなんだけれども、熱も下がり食欲も出てルイボスティも吐かずに飲めるようになったらなったで、私はあの高熱の非日常感が嫌いじゃない、マトモな大人が思うことではないというのは充分承知だが、舌の根も乾かぬうちに、また熱出したいなとすら思う。自分が自分でなくなって、時間の感覚が失われて、今がいつかもわからなくて、普段できることが全然できなくなって、全部どーでもよくて、フラフラしてフワフワして、寒くて熱くて。偉そうに「高熱が見せる幻覚は、恋のようね」なんつって。
 遠くで薄っすら聞こえるよ「イニキ、アウトー」。これは、ただ風邪ひいたっつーだけのお話。

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