えっ?絶対になくならない?「リスク認知に関するバイアス」(安全管理)

こんばんは。小川晴彦です。社会基盤系エンジニアをしたり、技術者倫理のWGで予防倫理や志向倫理を考究しています。

今日は、リスク認知に関するバイアスについて解説します。

リスク認知に関するバイアスとは、リスク情報を得る際に個人が認知するまでに生じる一定の歪みを言います。
情報が光とするならば、バイアスはプリズムのようなもので、屈折率が高ければ認知に届かず「無視」され、光(情報)が届いたとしてもフィルタリングを通過したものであるため、すべての光は届きません。

このバイアスをなくすことは、困難ですので、リスクコミュニケーションにおいては、バイアスを許容した上で、リスク情報を提示していく必要があります。自らが情報提供者の場合は、短期的に認知・理解してもらえることは稀なため、継続的に粘り強く説明をしていくことになります。

以下に、リスク認知に関するバイアスを分類を示します。

①正常性バイアス
個人レベルでの異常性がある範囲内であれば、一般的に普通と考えられる見方をしてしまう傾向をいいます。リスク情報の異常性を減じて日常性のなかに埋め込もうとする認知の歪みです。ゆでガエルに例えられるように、小さいエラーの積み重ねを毎日見ているうちにそれが日常となり、いつしか大事故を誘発する要因にもなり得るものです。

②楽観主義的バイアス
破壊に至るような見方よりも日常からの軽い逸脱の一つとして楽観的に解釈しようとする傾向をいいます。心理的ストレスを軽減しようとする働きとなる認知の歪みです。「気のせいだろう?」「測定誤差かな?」等、変化を安易に誤認してしまうことにより、大事故となる兆候に気がつくのが遅れる要因にもなり得るものです。

③カタストロフィー・バイアス
極めて稀にしか起きない被害規模の巨大なリスク(小惑星の地球衝突等)に対してリスクの過大視が起こる傾向のことをいいます。ただし、東日本大震災以降、それまでは想定していなかった大津波が発生したことを考えるとカタストロフィー・バイアスかどうかの判断は非常に難しく思います。たとえば、想定する地震以上の震度の地震が訪れても、構造物の崩壊を避けるための設計をする危機耐性という考え方は、個人的に同意します。制約条件を勘案しながら、想定外のリスクをも許容することが、人命に直接関わりのある社会資本整備等では求められていると考えます。

④ベテラン・バイアス
過去のリスク対処により得られたリスク耐性(災害下位文化)が災いし、新たなリスクに対する判断を誤らせる傾向をいいます。賢人は歴史から学び、凡人は経験から学ぶという言葉のとおり、自分のわずかな経験により判断してしまう認知の歪みです。歳を重ねるほどに強くなる傾向にあります。

⑤バージン・バイアス
経験したことのないリスクに対して、リスクを過大に、もしくは過小に評価し、正確なリスク認知を得られない傾向をいいます。

いま、まさに私たちは、生きてきたなかで経験し得なかった脅威のなかにあります。

そのなかで、私たちは、様々な情報を自分自身のバイアスのフィルタリングを通過させ、取り入れ認知しています。

特に専門外である情報は、何が正しく、何が間違いで、何が過大で、何が過小か、わかりません。

さまざまな取り組みには、正の効用もあれば、負の効用もあり、二律背反な相反する問題を多く抱えています。

蟹穴主義という言葉があり、自分のテリトリー以外のことは、やらないという考え方です。自分の影響範囲以上のことを考えてもしようがないので、しっかりと自分の範囲に軸足を置いて行動しようということと理解しています。

私には、世界を変えることも他人を変えることもできません。

しかし、自分の考えと行動を変えることはできます。

自分なりの考え方を持ち、自分にできる行動を行うため、これからも勉強していこうと、考えています。

(文責 小川晴彦)

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