〜HIPHOPとショウビジネス〜 ラブライブ!スーパースター!! #10 「チェケラッ!!」感想
はじめに
こんばんは。
お久しぶりの感想回です。
久々に「これだよな」って言う回が来たもので。
9話までは正直流しで見てる部分があって、登場キャラクターの人物像をさらっと紹介する...みたいな感じが強めだなあ(本当はそんなことないんだけどね、要するに刺さらなかった)とか思ってました。
しかし、10話になっていきなり「向こうから距離詰められて胸ぐら掴まれた」みたいな感覚になったんですね。
それはなんでか?って言うと2つあって、まず第一に「HIPHOP」がメインの回だと感じたからです。
2つ目が、「平安名すみれ」というキャラクターが抱え込んでいた苦しみや周りとの関係性に共感したりしたからです。
なので、今回はこの2つを軸に考えていきたいと思います。
よろしくお願いします!
反骨精神とHIPHOP
今回ラブライブ!のために行った地区予選には、珍しく「ラップ」という課題が指定されました。
個人的にまずこれが「おっ!」ってなって。
最近の音楽的な流行りに「ラップ」があるっていうのはなんとなく感じていて、多分それに乗っかったのかな?とも思うんですけど、まあそれはどうでもよく。
僕は以前からラップに興味があって、まあちょこちょこ聴いてはいたので「ついにラブライブにもラップの波がきたな!」って思ったんです。
なので、ラップの話を少しさせてください。
……
「ラップ」ってHIPHOPというジャンル?とイコールだなってところから始めたいんですけど、単刀直入に言うとHIPHOPって「反骨精神」の文化だと僕は思っているんですね。
ここは人によって解釈が分かれる部分なので、「いやちげえよ」って方はすみません。
HIPHOPの世界ではラップバトルっていう戦いがあって、基本的に2人でdisりあって勝敗を決める〜みたいな感じのものなんですけど、そこで述べられるのって大体「お前舐めんじゃねえよ、こっちは真剣にてっぺん取るためにやってんだよ」的な反骨精神のぶつかり合いみたいなところがあるんですね。
......
で、今回のすみれの話って正にそれじゃん?みたいな。
すみれは昔から芸能界というショウビジネスの世界に身を置いていて、「自分が絶対真ん中に立つ」っていう気持ちが最初の頃はあったと思います。
でも、与えられた立場は常に「脇役」だった。
自分の意志と相反するかのような人生を歩んできたからこそ、センターを願った過去に縛られながらも、いざそれを目の前にすると「本当に自分がセンターでもいいのだろうか?」という矛盾した感情に苛まれてしまうんだよね...
この部分はまた後で少し話します。
……
話を本筋に戻して、今回「ラップ」という課題が設定されていたので、5人の中で誰が1番センスがあるのか?という流れに当然なって。
他のメンバーはそういう点だと随分劣ってて、逆にすみれは韻をしっかり踏めてるのでセンスあるよねって話になり、すみれにラップが任されたんですね。
で、「じゃあ誰がセンターやる?」って話になった時に「すみれしかいないよね」ってことになった。
なぜかというと、単純に「ラップ担当」という立ち位置が特殊なので目立つから、というのももちろんあったと思うんですけど、
今回の課題のところだし、一番目立つところで歌ってもらった方がいいと思って。
プラス「すみれが1番スクールアイドルに必要な素質を持ち、さらに真剣に向き合っている」という結論に達したからですよね。
......
全員何かしらの得意分野があってそれを活かせるんだけれども、すみれは良くも悪くも「なんでもできちゃう」というか。
だからこそ、「欠点がない=特徴がない」ってことになって、主役にはなれないね...ってことになっちゃったんじゃないかと。
これが例えばスポーツの世界なら、「なんでもできちゃう=選手として超一流」ってことで頂点に登ることは難しくないと思うんですけど、ショウビジネスの世界だと、それって意外と欠点になり得るのかもしれないですね。
例えばパフォーマーとして必要な要素が5つくらいあったとして、全部100点中80点であるよりも、1つだけ120点があった方が魅力があるんだと思うんですよ。
ショウマンとしてのスキルがそれなりに備わってるのも確かに大切ですが、それよりも突出した魅力を信じて「この子を全力で応援したい」というファンがいてこそのショウビジネスではないだろうかと。
リアルのアイドルや声優もそうだと思いますが。
そういう意味だと、どこか「他人にはない特徴」がないといけなくて、他人が出来ることを80点くらいで何でも出来ても、ショウマンとしてのプラスにはならないよねって話じゃないかと思うんです。
その特徴が今回なら「ラップ」で、初めから"それなりにでさえ"出来る人ってなかなかいない。
ラップには自分が発信したい情熱とスキルとセンスが必要だと思ってるんですけど、例えば情熱とスキルがあってもセンスがなかったらラップを強みにするのは難しいと思います。
すみれは、その全てを兼ね備えうる存在だったということじゃないでしょうか。
......
自分がかつて経験してきた挫折であったり、そこで生まれた自分の複雑な感情、そして何より「ショウビジネス」への情熱はステージの上では攻撃力になる。
その攻撃力を使うための道具が「ラップ」だったんじゃないか…
ということです。
先ほども「反骨精神」という話をしましたが、それを1番持っているのは間違いなくすみれではないでしょうか。
何でも出来るスキルはあっても、すみれ自身が歩んできた苦い歴史は他の誰もが歩める道ではなく、それがあったからこそ「舐めんじゃねえぞ、誰にも負けねえぞ」という反骨精神に繋がる。
それを大舞台で「ラップ」という形で輝かせられるのは、センスと情熱とスキルを"兼ね備えうる"すみれしかいない。
だからこそ、「今回のセンターに1番ふさわしいのはすみれである」という結論は当然と言えば当然だし、すみれこそLiella!イチのヒップホッパーだと言っても過言ではないと思います。
センターという立場
ここまで「HIPHOPとすみれの関係性」みたいなことを述べてきましたが、ここからは更に10話のストーリーを中心に見て、「すみれが置かれた立場」について考えていこうと思います。
......
練習の時にすみれがめちゃくちゃ戸惑ってるシーンがありましたよね。
私がセンターでいいったらいいの!?
これに対して可可が
やはり替えた方がいいのではないデスカ?
と返事。
めちゃくちゃ感情死んでるし。
ここが最初に個人的に気になってしまって、やっぱり「可可vsすみれ」みたいな構図になってしまってますよね?」
9話までてっきりプロレスみたいな関係かと思ってたんですが(違うと思う)、本当に価値観というかスクールアイドル観みたいなのが致命的にズレてたんだなと。
まず、可可的には「センターを張る人間は堂々としていなければならない」みたいなスクールアイドル観があって、それとすみれの「本当に自分でいいのか?」みたいな弱気は相容れなかったんですね。
なんですみれがそういう感覚になってしまったかと言えば、「ずーっと主役を望んでいながらも脇役」になってしまう過去を引きずっていて、おそらくですが脇役でいる自分が当たり前みたいになってしまってたんでしょう。
しかし、『「ショーウビジネス」の世界で生きてきた』という歪んだプライドだけは一丁前に持っていて、だからこそ「所詮はスクールアイドル」だと考えてしまうようになったし、それは可可にとって「スクールアイドルを甘く見ている」と受け取られてしまった。
……
本当に可可がすみれに求めていたのは「スクールアイドルをバカにしないでほしい」というのもそうですが、「自分が主役に立つことを躊躇わないでほしい、そして何より成長してほしい」ということの方が割合として大きかったんじゃないかと思います。
この人は今までも真ん中に立つことができずにここまで来たのです。
それはやはり向いてないというか...
その一方で可可自身も「ちょっとズレてるな」と思う節があって、「真ん中に立つことができない=センターに向いてない」ってことですけど、それはそれで何か違う気がするんですね。
先程すみれについて「何でもできてしまう=特徴がない」と述べましたが、センターに向いてるかどうかって「過去にセンターに立つことが出来たかどうか」はあまり関係なくて、大切なのは「センターにふさわしい素質や特徴を持っているか」じゃないかと思うんです。
だから、本当はあのラップスキルだけを見たら誰しもが「すみれこそセンターにふさわしい」と判断しなきゃいけないはずで。
でも、可可だけ反対した。
要するに、すみれのスクールアイドルをバカにしてる態度や行動が気に食わなくて、そのくせセンターに立つことは嫌がるという矛盾した行動が死ぬほど腹立たしかったんだろうなと(ここめちゃくちゃHIPHOP)。
結局、可可的には「すみれがセンターに向いているかどうか」ということが問題ではなくて「どういう理由や経緯があろうがセンターに立つ人間は堂々としていてほしい、そうでなければセンターたる資格はない」というのが本心ではないでしょうか。
......
いかに「センター」が特別な存在かがよく分かりますよね?
当然、可可自身もセンターに立ちたいだろうし、スクールアイドルへの情熱は5人の中で誰よりも持っている。
それなのに、目の前で「自分でいいのかなぁ?」的な冷めたことを言われたら確かに腹立たしくなるし、「ナメてんのか?(cv.佐山聡)」と胸ぐらを掴みたくなる気持ちは十分理解できます。
この2人の対立構造ってあくまで「スクールアイドル観」を中心にしていて、けどお互いにそれなりの言い分はあって。
まさにラップバトルに近いなと勝手に思ったりしました。
......
その後にかのんが
だから可可ちゃんも応援してあげてよ。
きっと本気になれば、誰もかなわない力を力を発揮すると思うんだ、すみれちゃんって。
とフォロー。
すみれはやっぱり本気になってなかったということなんでしょうか。
ここで、すみれにとっての「ショウビジネス」という単語が、いつの間にか「自分の核」ではなくて「自分の依存先」になってしまっていたんだというのが分かります。
すみれの屈折したスクールアイドル観がまたしても裏付けられてしまった...
......
で、その後に可可が「すみれのスクワットとランニングシーン」を目撃(+ストーカー)すると。
お姉ちゃん、いつまで練習してるの?
って遺伝子ゴリゴリの妹がいきなり登場するんですけど、この一言が全てを物語ってますね。
すみれはスクールアイドルに対して真剣に向き合っていた(もしくは向き合い始めた)ということが分かります。
センター(主役)という立場に対してこだわりを持っていたすみれは、「ようやく自分に回ってきた...」と思うようになったんですね。
そりゃ練習にも身が入りますね、いくらスクールアイドルをナメてた(?)とはいえ。
というか、言うても多分最初から本心ではナメてないと思いますね。
むしろ、「自分はお前らとは違うんだ」というマウント意識が最初にあって、その順位付けをするための言葉がショウビジネスであり、「努力する姿はあまり見せたくない」という態度にも表れていた。
すみれは多分すみれ自身を元々特別な人間だとは思ってなくて、グソクムシみたいな深海に沈む動物...とでも思ってたんじゃないかと。
けど、周りからはそんなことは知り得なくて、今までの行動や発言で判断するからこそ「何だこいつ?」となってしまう。
それもそれで当然の反応で。
むしろ、真剣にスクールアイドルに向き合っているのなら可可のような反応が正しいと言えばそうで、むしろかのんたちが優しすぎるって可能性もなくはないし高いですね。
でも、練習に励む姿を見て、可可はすみれへの見方が大きく変わったんでしょう。
......
その後に「学校のみんなの意見を聞く」ってシーンなんですけど、これ要りますかね?
いやまあ、話を盛り上げる上では必要だと思いますけど、「本来は」必要がないと思います。
さっき80点がどうこうって話したと思うんですけど、第三者から見たらすみれは「特徴がない」んですよ。
それは多分他メンバーも分かってたはずでしょうど、どうしてわざわざ聞こうと思ったんだろうな。
スクールアイドル活動に反対してたのは恋だけだったし、ここで意見を聞いたところで「すみれはセンターらしくない」という意見だらけになるのも分かってたでしょ。
そして、せっかく良い感じで来てたのに、またすみれがメンブレするのも分かってたと思うんですけど、結果論でしょうか。
すみれも実際、その案には懐疑的だったわけですよね。
是が非でも「いやもうセンターは自分だから!学校の人間なんて知るか!」って猛反対しなきゃいけなかったのに、未来を分かっていながら「いやでも...」と弱気になるのが何とも複雑でした。
かわいそうに。
......
で、その後に可可が
何逃げようとしてるデスカ!
って言うけど、「もうやめたれよ...」と。
その後に「誰が何と言おうと〜」って言うんですけど、今そこでそれを言うくらいなら、そもそもさっきのところで反対しとけよ...とも思うんですけど、わざとなんですかね?
崖から子供を突き落とすライオンってことなのかな?
結局メンブレしてるじゃん...
......
その後に可可の電話ですけど、「結果出なかったら国に帰る」って話ですね。
リアル中国人、よくそう言う類の話してる気がするんだけど気のせいかしら?
めちゃくちゃ厳しい世界なんだろうなあ。
それを盗み聴きするすみれ。
お互い様ですな。
でも、それで"ますます”すみれは追い込まれてしまった。
結果が出ないと可可が上海に帰ってしまうのに、自分のワガママでチームが崩壊しかけているじゃないか...みたいな。
ワガママではあるんですけど、まあ言うてちょっと周りも気を使うにも限界があったのかなと。
かわいそうだなと思いますね、やっぱり。
すみれ自身、最初から自分もメンバーの1人として変なプライド捨ててやればよかったのに、過去のトラウマが邪魔をしてしまって、仲間と目に見えぬ壁が生まれていたんですね。
その壁を壊すための鍵があると良いですが...
......
すみれがその後
私がかわいそうだから?
別に同情なんかでセンターになったって嬉しくない!
とブチギレるんですが、いやこれもう死ぬほど気持ち分かりますよ。
やっぱり自分はセンターに向いてる器じゃないって思っちゃったんですね。
でも、これ以上否定され続けると自分自身が保たなくなってしまう。
なんか、かのんと似てませんか?
かのんも実力はあるのにいつも肝心なところでやらかして、音楽の道を諦めかけた。
すみれはやらかしてるわけではありませんが、「過去が自分の足枷になっている」という点ではかのんと共通するところがあります。
だからかのんは、すみれに対してあれほど優しかったのかもしれません。
......
で、可可とラップバトル(広義)するシーンがあるんですけど、結局「可可自身がすみれに対する見方が変わったからこそセンターを任せるのであって、決して同情ではない」ということですね。
でもすみれはいつまでも過去を引きずっているので、完全に自信を喪失していたと。
だから、可可が何を言おうが頭の中に入ってこなくて反対してしまう。
こうなったら「これがセンターの証だ」というものを提示しないと多分解決しないと思って...
ティアラ
ティアラが登場したわけです。
めちゃくちゃ重要なシーンなんですけど、最初観た時に個人的に疑問がすごいあって、「わざわざ飛ばして掴ませる」ことでしかテーマを表現できなかったかな?と。
「自分の力でセンターを掴み取る」って流れにするにはそうしかなかったんでしょうけど、普通に渡してもテーマとしては成立するというか「あなたが1番センターにふさわしい」という象徴としてのティアラであって、それを飛ばして掴ませることが「自力でセンターを獲得した」とイコールで結びつくって言うのが、正直しっくりこなかった。
もう、話の流れ的にそれ以外の表現方法が見つからなかったんだと思いますし、まあ否定はしないんですけど、「そんな簡単に金属の塊が飛ぶか!?」ってところで引っかかってしまった。
ティアラという「鍵」を提示したのだから、そこにもう少し言葉を加えて納得させるってのもアリだったかなと思いますが、まあ尺の問題もあったのかな。
......
それはさておき。
上で述べましたが、ティアラにはいくつかの意味があると思っています。
1つ目が「センターの証」です。
ティアラは「特別な人間がつけるもの」だからこそ、すみれ自身の立場をきっぱり明確にさせようという可可やその他メンバーの意志がこもっています。
2つ目が「Liella!の証」です。
「今まですみれとその他メンバーには壁があった」という話をしましたが、その壁を壊す象徴ではなかったかと。
すみれ自身もどこか特別な意識というか「自分は違う」というマウントが心の中にあって態度や発言に出てて、スクールアイドルやLiella!に属していながらも心は別の方を向いていた。
それをティアラによって「同じ方向を向く」ようにさせたんだと思います。
「すみれ、あなたもLiella!のメンバーですよ」というメッセージがこもっています。
これで、ようやくすみれも本当の意味で「加入した」と言えるのではないでしょうか。
3つ目が「過去の証」です。
序盤に「別の子がティアラをつけてるシーン」がありましたが、ティアラってすみれからしたらトラウマの象徴でもあったと思います。
あれをつけてる人間を見ていたからこそ、自分自身が絶対的に「下」だと自覚させられ、どんどん自信を失っていった。
だから、最初に見た時に良い顔をしなかったんですよね。
......
ここまで書いて思ったんですけど、そう考えると「ティアラを飛ばすシーン=解放」な気がします。
最初見た時は「いやそれはちょっと無理があるだろ」と考えてたんです。
「もうちょっと他にやりようがあっただろ」みたいな。
でも、どうもそうでもないっぽいな...と、まさに今思いました。
どういうことかというと、そもそもすみれからするとティアラ自体にマイナスな感情が宿っていたんです。
それに「風で飛ばす」要素を加えることでその感情をマイナスからゼロにしてるというか、ティアラが持つ先程の3つ目の意味合いをリセットさせたというイメージです。
多分普通に渡すだけだと「過去」がよぎって素直に受け取れないと思います。
純粋な意味でティアラを自分のものにする、自分がセンターとなる...
そういう意識をすみれに植え付けるために、わざわざ飛ばしたのかもしれないですね。
まあ「金属の塊がそんな飛距離で飛ぶかいな!?」というツッコミはどうしても入ってしまうんですけど、ラブライブは昔から「多少の理不尽をゴリ押してでも言いたいことを言うぞい」的なスタンスなので、今更ツッコんでも仕方ないのかもしれない。
......
誰だと思ってるの... ?
という言葉、ここにきてすげえ重みあるな。
最初の方は「周りとの壁」を作る言葉だったのに、すみれ自身がいつの間にか「自信」を取り戻して、純粋にLiella!のメンバーとして「センターという立場」を自分で明確にする言葉に変わっている。
よかったね。
......
お待ちかねの楽曲パート。
で、振り付けとかは詳しくないのでラップだけ拾います。
ヘイ もっと笑いたいのに もっと素直になりたいのに
ヘイ 今 輝きたいのに そんな気持ちはここで最後に
ヘイ うだうだ愚痴らないで すぐ照らしてあげるから
君の手を握りしめては 決して離しはしないから
ああ、いいバースや...
ラップは韻を踏めるかどうかも大切なんですけど、とにかく「メッセージが伝わるかどうか」がすごく大切で。
「お前は何を言いたいんだ?」っていうのが分からないとラップとしては不十分なんですね。
バースというのは「サビ(フック)までのラップ」ってことです。
......
1行目は、「もっと素直になりたい」がポイント。
散々述べた「屈折したスクールアイドル観」とか「自信を失った過去」とか、自分を苦しめていた全ての出来事に対しての叫び。
それが2行目の「今 輝きたい」に繋がりますが、要するに「自分が輝くんじゃないんだ」ってことですね。
2行目が伏線ですが、いきなり3行目の「照らしてあげる」で回収します。
センターである自分が輝くんじゃなく、「照らしてあげる」んですって。
すみれの成長をそのまま表現してますね。
自分本位の考え方ではなく、あくまで「Liella!のセンターとして周りを照らす光になる」ということでしょう。
4行目も同じで、「君」は多分Liella!のメンバー。
自分自身の殻を破って、ようやく素直に周りと目線を合わせていくことができたということが表現されてるんだと思います。
よかったね、すみれ。
その他気になった点
まずは、今年のラブライブの地区予選について。
今回の地区予選の参加校はかなり多く、「スクールアイドル」というコンテンツがラブライブ!の世界において圧倒的な人気を得ていることが分かります。
こんなにたくさんの高校がエントリーしてるの?
あまりに多いので「ふるい落とし」があり、そもそも地区予選に出られすらしないのではないか...という話も浮上する始末でした。
実際、地区ごとに課題をつけることになり、そこで東京南西地区(渋谷が南西って23区以外はどうなってんだ?多摩とか島嶼部?)の課題が「ラップ」だったというわけですね。
ここ東京南西地区は、渋谷を含む流行の最先端地区!
上で『最近の音楽的な流行りに「ラップ」があるっていうのはなんとなく感じていて』みたいな話はしたと思うんですけど、やっぱりそういうことっぽかった。
......
次に千砂都のラップなんですけど
生まれはこの辺 特技はダンス
って言ってます。
「生まれはこの辺」ってHIPHOP的にめちゃくちゃ大事で、「レペゼン〇〇」って言ってラッパーは地元を基本的に大切にするんですよ。
千砂都はダンスのレッスンでなぜかラップも習ってたらしいんですけど、多分そういう教養的なところも学んでたのかなあ?
おわりに
今回の地区予選で「ラップ」という反骨精神の塊みたいな課題が設定されたのは多分偶然ではなくて、平安名すみれという個人が成長するために必要な課題だったんだと思います。
過去の出来事が自分を苦しめる中で、どうしたらそこから自分自身を解放してあげられるかと言えば、まずは周りの仲間たちと目線を合わせること、そして「ショウビジネスで生きてきた」歴史を自分の核となるアイデンティティに純粋な意味ですることが必要だったのではないでしょうか。
過去が持つ意味を変え、仲間と共に歩み、成長する。
これが、10話の物語の全てだと結論づけられました。
......
ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。
前の感想記事からだいぶ時間が空いてしまって、書き方というか考え方が鈍ってしまいました。
あんまりまとまりが無くて、とっ散らかった印象が自分でもあります。
読みづらかったかもしれないですけど、現状これで精一杯です。
すいません。
平安名すみれという人間は決して強くない。
そういう視点で見てみると強く共感できたし、5人の中だと1番人間としては好きかもしれない。
そんな回でした。
それでは、また今度。
さよなら、さよなら、さよなら。
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